保釈金300マン円を横領して業務停止処分になったT弁護士に思う事。

わたしは2015年秋頃、しばき隊から不当な攻撃を受けていた時(いわゆるぱよちん騒動 (詳しくは 漫画 もしくは ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相ーオピニオンサイトiRONNA を参照ください)、T弁護士を初めて知りました。
当時は、新潟水俣病原告弁護団団長であり、しばき隊の卑怯なやり方を批判するT弁護士が頼もしく、また、名刺の肩書きにハゲと書くなどユニークなところにも好感を持ち、わたしも勝手に似顔絵を描くなどし、先生を尊敬しておりました。T弁護士も、わたしの事を「ろくでなし子師匠」と呼び面白がっていらしたので、わざわざ否定するのも無粋だと、放っておりました。ちなみに、多くの人が勘違いしている様ですが、T弁護士はろくでなし子弁護団のメンバーだった事は一度もありません

ただ、しばらくして、T弁護士が、精神を病んだ人を自殺に追い込むような、報復が極端にやり過ぎだという話をとある筋から聞き、疑問を感じるようになりました。T弁護士はキリスト教徒のはずなのに、敵と認定した人を徹底的に追い詰める容赦の無さにも怖い物を感じ、距離を置くようになりました。距離を置くといっても、元々、Twitterでしかお見かけしなかったのと、その後、わたしも結婚・妊娠・出産・子育てと忙しく、その件すらもすっかり忘れておりました。

ですから、Twitterで「なぜT先生を救わないのか!」と言うリプライが来て、初めて、T弁護士が裁判所からの保釈金300万円を横領して業務停止処分にされた件を知り、驚きました。
先生が生活に困窮していたのならお気の毒ですが、どんな理由があるにせよ、横領は犯罪です。

ニーチェもこう言っています。

《怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 「善悪の彼岸」—146節》

T弁護士は、深淵を覗きすぎて、結局しばき隊以上の怪物になってしまったのかもしれないと思うと残念でなりません。

以前にも似たような事があったのを思い出します。法律漫画家を称するSさん。
ある日、わたしはTwitterで見知らぬSさんから親しみを込めたリプライやRTをされるようになりました。当初はこちらも親しみを込めてやりとりをしておりました(この時も、ちょうどしばき隊による嫌がらせが続いており、Sさんはわたしに絡むうちにいつの間にかアンチしばき隊の頼もしいサポーターとなり、しばき隊リンチ事件の裁判傍聴ルポでは大活躍されました)。
しかし、わたしはSさんとは実際には会った事もなければ電話ですら話した事もありません。なのに、Sさんは過去にわたしと同じ漫画雑誌に同時に載っていたというだけで「ろくでなし子さんとコンビを組んでいた」と、まるで親しい間柄のように触れ回っていました。友人知人から「すごい仲良しなんだね」と言われ、だんだん気味悪く感じてきました。
それからしばらくして、Sさんはアシスタントとして仕事をする事になった某漫画家(仮にA先生とします)の事務所で、ツイキャスでA先生の私物を勝手に披露したり悪口を公開している姿を見て唖然とし、完全に距離を置くようになりました。
その後、Sさんは何と、A先生を介護セクハラで週刊誌に告発するのですが、実はSさんが 脳の病気を患った障害で独りでは動けないA先生のTwitterを乗っ取っていたり、A先生の股間を隠し撮りしてその写真を誰かに送るなどしていたことが関係者を通じて明らかとなりました
わたし自身も迷惑し、また、ツイキャスと言う公開の場でA先生の私物をひけらかしてA先生を「ポンコツ」と呼びバカにするようなSさんの道徳心の低さを知っていたので、Sさんの告発には信憑性が低い事をTwitter上で指摘しました。
その結果、A先生介護セクハラ疑惑は、大手週刊誌がスクープしたにも関わらず、MeTooムーブメントの時代にも関わらず、誰も話題にする事なく、どこかに消えてしまったようです。

今思えば、Sさんも、しばき隊と闘って持ち上げられる事で、社会悪と言う怪物に魅入られて自分を見失ってしまったのか・・・な・・・?まぁ、Sさんの場合は元々話を大きく膨らましたり虚言癖がある事が大きいと思いますが。(何しろ、子供時代は貧乏で劣悪な環境で過ごしていたと語りながら、ロシアやアメリカの大統領に会うような生活をしていたと、平気で最初の設定忘れて文法が間違ったおかしな英語をツイートするような人だったので)

ただ、Sさんには最初から迷惑していたので何の思い入れもありませんが、かつては尊敬していたT弁護士が横領事件で業務停止処分された事については、残念な思いと深い悲しみを感じております。
(はからずも、T先生をベイダー卿に描いた似顔絵が、今となっては皮肉な話です)

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あいちトリエンナーレ絡みのエライ人達ってどうしてこんなに…

“愛知・大村知事の「明確にヘイト」発言に竹田恒泰氏「お前がいうな!」”
29日、大村秀章愛知県知事(59)は27日に同県の施設「ウィルあいち」(名古屋市東区)で開催された「芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』」について「内容からして明確にヘイトにあたると言わざるを得ない」と発言、法的措置を考えていることを明らかにした。 https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1603155/ 東スポWebより

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今日は表現の自由問題について呆れる事ばかりで、ついついブログを2回も更新してしまいます。
繰り返し言っていますが、「あらゆる表現は意図せず誰かを傷つける」ものです。たとえ、作者や主宰には誰かを傷つける意図はなくても。

問題となった、昭和天皇の肖像を焼く動画作品は、作者の大浦信行さんが、過去に天皇をモチーフにしたコラージュ作品を富山県美術館で展示したところ、不敬だと抗議が殺到して展示中止になり、美術館側に図録を焼却された経緯があり、それを再現している様なので、焼いた(規制した)のは国や保守的な人達だと言う皮肉を込めた作品と思われます。決して単純な反日作品ではないとわたしは思います。

しかし、背景を知らない人や、あるいは知ったとしても、ある種の人達を大いに傷つけ、憎悪や怒りを煽りました。彼らには十分、ヘイトと思わせた。ヘイトかどうかで言えば、表現の不自由展の件の作品も当てはまると思います。
ヘイト規制を設けたら、ヘイトかどうかを決めるのは国や大きな組織や集団に委ねられ、気に入らない表現は簡単に規制できてしまい、みんなが自由に表現できない世界となります。

だからこそ、わたしは ”表現の不自由展” の表現の自由を支持して来たのに、
「我々の展示は表現の自由だが、あいつらのはヘイトだから法的措置を」と、
ダブルスタンダードをかます大村秀章知事に腰が砕けそうです

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会には、萌え絵や巨乳の人を奇形差別とし、秋葉原をR16特区にしろと言う岩渕潤子さんが委員として就任する始末です。
あいちトリエンナーレ絡みのエライ人達って、どうしてこんなに・・・・なの?

「萌え絵を奇形差別として規制できないか」と言っている岩渕潤子さんに思う事

昨日に引き続き、萌え絵を規制したがる人がテーマです。
今度は、『萌え絵を女性差別で規制はできないが「奇形差別」でなら条件付きで認められる可能性はある』と言っている識者が現れ、まんこアーティストのわたしですらドン引きしております。
作家の岩渕潤子さん。
氏は、驚く事に、巨乳の萌え絵の問題に絡めて、女性の中には巨乳である事を恥じて整形手術をしている人もいる事をTwitterで何度も強調していました。まるで、巨乳の女性が悪いどころか奇形だとし、整形手術を煽っているかのようです。
(追記:今朝見たところ、「秋葉原に高い外塀を作りR16指定の特区にする案」なる話をツイートされており、ナチスのゲットーと同じ発想でゾッとしました。なぜ自ら炎上中に更にガソリンを被りたがるのか、不思議で仕方ありません)
氏は、フェミニストではないそうですが、あいちトリエンナーレのあり方検証委員会の委員だそうです。ある種の表現を「奇形差別で規制できる」と平気で言う人が、日本の表現問題に関わる重要な立場にある事を、わたしは非常に危惧します

股マタ、わたしの話をさせて下さい。
漫画家のわたしは、10年近く前に女性器の陰唇を切除して綺麗に整えるという名目の”小陰唇縮小手術”という整形手術を受け、その体験を漫画にしました。
当時はうすらぼんやり自分のまんこはビラビラし過ぎだし色も黒ずんでいて醜い、というコンプレックスを抱えていました。
日本では、性器にモザイクがかかって隠されている上、大人は誰も真剣に性の話を教えてくれなかったので、女性器がどんな色形が正常なのかもよくわからずに大人になりました(実は、クリトリスがどこにあるかも知らなくて、20歳を過ぎるまで自分はクリトリスが無い人だと思い込んでいました)。
そこまで悩んでいませんでしたが、今まで自分のまんこを漫画のテーマにした人は居なさそうだし、この機に「まんこと言えばこの人」と言われるポジションも得られると思い、割とカジュアルにその手術を受けました。
その後、漫画のネタの流れで整形後のまんこをモチーフに、笑えるまんこアートを始めたところ、2ちゃんねるで「キモい、臭そう、グロ、etc…」と激しく罵倒されたのでした。

型を取った石膏の上にジオラマを載せたり、キラキラパーツで飾ったわたしのまんこ作品を「ただ、まんこというだけで」激しく嫌悪する人達がいる事に、世間知らずのわたしは驚きました。
そこから、わたしは女性の性について真剣に考えるようになり、その流れでフェミニズムに辿り着きました。
そして、アート活動の一環としてデコまんワークショップを開くようになり、他人様のまんこを見るようになってから、まんこの形とは実にユニークで、人の数だけ多種多様、正解なんてなく、みんな違って素晴らしい物だと気付きました。
かつてのわたしは、ピンク色で小陰唇も小ぶりな方が良いまんこだだと何故か思い、そうなるように整形手術を受けたのですが、それはわたしが、AVやポルノの影響で自分の本当の体(まんこ)を醜いと思わせて来た世間の風潮にすっかり流されていただけなのでした。
もちろん、整形手術をしたい人にはそうする自由があります。
長年のコンプレックスを、手術で気軽に解消できます。やりたい人を止めません。
しかし、自分の体を悪いものや恥ずかしい物だと思っていなければ、そもそもしなくて済む手術です。まして、巨乳は奇形であるかのように思わせ、整形手術を煽るかの様な話を、日本の表現問題に関わる重要な立場にある人が言ってしまって良いのでしょうか

昨日の繰り返しになりますが、

胸のでかい女性をいじったり、セクハラをする人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物を潰しても世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしていきましょうよ。

ところで、岩渕さんのお望みの「奇形差別とみなされた物は規制できる世界」になったとしたら、規制対象になる芸術作品を以下に挙げてみる事にします。
キュビズム、シュールレアリスムの名画は大体アウトになるかと思います。
こうして眺めると、現代は権威ある芸術作品も、当時は嫌悪感で猛烈に反発する人達がいただろう事は容易に想像がつきますし、三回言いますが、萌え絵を奇形差別でなら規制できると言う岩渕さんに、なぜあいちトリエンナーレのあり方検証委員会と言う表現問題に関わる重要なポストを任せてしまったのか、大いに疑問です。

萌え絵は環境型セクハラだと言うフェミニストの皆さんへ

あいちトリエンナーレの表現の不自由展の騒動が冷めやらぬ中、今度は献血ポスターに採用された萌え絵表現への抗議でTwitterは荒れています。
問題の絵である「宇崎ちゃんは遊びたい!」という漫画のキャラクターである宇崎ちゃんが、異様に胸が強調されている為、性的だとして主にフェミニスト達から猛烈な批判を浴びています。

わたしもフェミニストであり、かつてはこの種の萌え絵に得も言われぬ違和感を覚え、どちらかと言えば嫌悪する側でした。が、わたしは表現の自由主義者。己の嫌悪感は差し挟まず、あいちトリエンナーレで問題となった天皇の肖像を焼く動画などと同様、公平に表現の自由を主張しています。
なお、献血はコミケ会場に併設される事が多い為、オタク層をターゲットにする事は特に問題ないかと思います。実際に都内の献血ビルをルポした方によれば、問題のポスターも献血ビルの中に入らなければ見ることもなく、よく探さなければ見つからず、秋葉原の献血ビルに数枚あった程度、との事でした。

それでもこの絵に対する嫌悪感の強い人達の怒りは収まらないようで、「巨乳の人が見たら可哀想!」「環境型セクハラだ!」「私は巨乳ですが、この胸のせいでからかわれたりセクハラされて嫌な思いをして来たんです!」と、実在の巨乳の方々もわたしに怒りをぶつけて来られます。
「あらゆる表現は意図せず誰かを不快にさせるもの」なので、それは当然。不快に思う人の気持ち自体は否定しません。現に、かつてのわたしも萌え絵が嫌いでした。
しかし、この意見をフェミニストを名乗る人達も一緒になって叫んでいるのは不思議です。
フェミニズムとは、女性を長らく押さえ付けて来た社会の役割や性的な偏見や古い価値観から解放し、女性はもっと自由になろうと謳って来た思想のはずだからです。

フェミニストこそ、「女の胸がでかくて何が悪い!」と言うべきではないでしょうか。

Twitterでは「アメコミの女性キャラは胸の露出が多いのに不快じゃ無いのは胸が大きくても強調されてないから」と絵付きで説明する人もいましたが、まるで、スカートの丈や前髪の長さをチェックする風紀委員のようです。
昔、娘や生徒がミニスカートを履いたり体のラインを強調する服装をしたら怒るお父さんや教師みたいな事を、女性の自由を主張するはずのフェミニスト達が率先しているのが怖いです。
しかも、萌え絵はフィクションの世界の絵です
よ。(こう言うと、現実の女性とフィクションを一緒にするな!と言う方がいますが、あなた方がフィクションである萌え絵を現実と混同して騒いでいるから批判されるのです)

もちろん、おっぱいのでかい女性をいじる男の子達やセクハラをする大人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物ではありません。

ここでわたしの話をさせてください。
今は出産した上、加齢でしぼんでしまいましたが、かつてEカップの胸を持っていたわたしは、20代の頃は自ら好んで胸が強調されるピタピタTシャツやセーターを着て、もっと胸が大きく見えるよう、パッドを入れて底上げまでし、自分の体を性的な視線で見られることも承知で楽しんでいました。(現在は見る影もありませんが、わたしは自分の体を普通に受け入れていますから、別段悲しくもありません。今は胸が無いぶん、洋服をすっきり着られるし、乳首隠しのついたワイヤー無し下着をつけて肩こりのない快適な毎日を過ごしてます)
わたしのような女性も少なからずいるはずです。そうでなければ、見せブラ、底上げボリュームUPブラなどの需要は市場に一切無い事になります。

さて、20代の頃は性の対象として眺められるのも悪くないと思っていたわたしは、加齢とともに胸も萎んだ代わりにフェミニズムに目覚め、40歳を前にして、まんこのアートをするようになりました。
まんこのアートと言うだけで、面と向かって「汚いから寄るな!」と嫌悪感を示す人もいましたし、簡単にセックスができる女だと思われ、仕事の話と称してわたしを呼び、ホテルに連れ込もうとする人もいました。一番多かったのは、性的な表現をしているからと、人間以下のように見下す人達でした。
そこで気の強いわたしは反発するのですが、驚く事に、その場にいた人達まで、「怒りすぎだ」「女なんだから大人になってあげないと」と、同じ女性ですら、わたしを牽制したりバカにするのです。とてもガッカリしました。
女性に嫌なことをするセクハラ加害者の方が社会的に立場が強いと、周りは無視するか、加害者側に立つのです。これではセクハラが一向に無くならないわけです
この手の話はわたしの体験に限った事ではないと思います。
つい最近も、フォトジャーナリストの広河隆一氏の複数の性接待強要事件が発覚した騒動が記憶に新しいですが、被害者達によれば、人権団体の関係者に相談しても聞いてもらえなかったが、metooムーブメントを機に勇気を出して週刊誌に告発したとの事でした。恐ろしい事に、人権団体の人達ですら、権威ある人のセクハラを、長年見て見ぬふりして来たのですよ。
カトリック教国であるアイルランドでも、神父の信徒の子供達への性虐待が長らく隠されていた事が80年代に大問題になりましたが、これも同じく、加害者の悪事を正すべきはずの信者達が隠して来たのが根深いです。

話を萌え絵を抗議するフェミニスト達に戻します。
「萌え絵が公共の場にあるとセクハラに加担する事になる」なら、萌え絵などなかった時代はセクハラは一切無かったのでしょうか?
あなた方の主張が世間に届いていたら、広河氏の十数年に及ぶ性接待強要も、あらゆるセクハラはとっくに問題視され、解決していたはずですが、なぜ見過ごされて来たのでしょうか?

繰り返しますが、本当の敵は、セクハラや性暴力をする加害者と、それを見過ごしたり無視したり、被害者をバカにする周りの空気です。物言わぬ表現を攻撃しても、世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしましょうよ。

最後に、それでも萌え絵が「環境型セクハラだ!」と言う事でしたら、日常のあらゆる事象を性的だと思った瞬間に取り締まらないといけませんので、わたしも性的に感じた物をUPしますね。ご査収ください。

“Female Pleasure” Review: Fighting the Patriarchy – The New York Times. NYタイムズにて、わたしも出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」が紹介されています

“Female Pleasure” Review: Fighting the Patriarchy – The New York Times

NYタイムズに、わたしも出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」が紹介されています↓

https://www.nytimes.com/2019/10/17/movies/female-pleasure-review.html

続・あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の展示中止騒動と再開催について

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の展示に、脅迫や抗議が相次ぎ、展示3日で中止に至り、その他の海外からの参加作家達も相次いで抗議の不参加表明をしていましたが、本日10月8日、晴れて展示再開となったそうです。
いち表現者として、わたしも喜ばしく思います。おめことうございます。

ただし喜ばしい反面、絶対に納得がいかない事があります。

わたしは以前、本展示の中止について、このような意見をブログに書きました。あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」展示中止騒動について

運営側のクレーム対策不十分さへの批判と、これはクレームに怯えた運営側が自主規制しただけで、逮捕者もおらず、国や警察から強制撤去もされていないので、「戦後最大の検閲」とする報道はおかしい、と述べました。

今でも、あれは単なる自主規制だったと思う気持ちは変わりません。
が、文化庁があいちトリエンナーレへの補助金不交付を決定したのであれば、それは経済的に芸術家や美術館側を追い込む形となる為、「国が国民の表現に介入し検閲した」と言っても過言ではなくなりました

今後、県立、国立美術館は国から補助金が降りなさそうな展示はせずに、無難な展示ばかりになるでしょう。

文化庁が補助金不交付にしたのも、「展示内容の是非が不交付の理由ではない」と強調しながらも、交付審査に必要な情報の不申告で「手続き上の不備」という曖昧な理由では納得がいきません。安全面の確認が足りなかったのはわたしも同意ですが、本当に運営がそこまで予期していなかった事態を後から責めるのは理不尽です。これをOKにしてしまったら、一度決めた補助金交付を国の後だしジャンケンでいくらでも無かった事にできます。
わたしは文化庁の仕打ちに強く反対します。

このような意見を Twitterで呟いたところ、表現の不自由展を嫌悪する人達から沢山の反論が来ました。曰く、「不愉快な表現になぜ国民の税金を使わねばならなのか」、「国を批判する表現をしている芸術家が国から金をもらうなどみっともない、自分の金でやれ」
まるでわたしも国から補助金をもらって制作して来たかのように勘違いし、わたしを乞食呼ばわりしている人もいましたが、一言言っておきます。

逮捕もされたわたしのまんこアートに国が補助金なんて出すわけないだろボケ!


わたしではなく、これからの日本の芸術家達を支えてあげようと言っているのです。芸術家も遊びではなく仕事で作品を作っています。何かを作ったら対価を得るのは当然です。会社員が給料をもらうのと一緒です。
また、補助金があれば助かるのは芸術家だけではありません。美術館側も補助金があれば入場料を安くできますから、日頃芸術に馴染みのない人や子供達でも気軽に芸術に触れる事ができるのです。
それに補助金(助成金)は芸術家しかもらえないと勘違いしている人もいるようですけど、あなたも何か発表したいことがあれば、国に申請する事はできるんですよ。なぜ、自らの楽しみを奪おうとするのか。なぜ、大人なのに未来ある若者を支えるどころか足を引っ張ろうとするのか、わたしにはそちらの方が見苦しい事です。

と言うと、「あんなものは芸術ではない、ただの無駄」と言う人がいます。

そもそも皆さん分かっていないようですが、芸術とはなんの役にも立たない無駄なものです

それを見ても空腹は満たされませんし、お金ももらえません。ですが、何かを見て感動したり、物事を深く考えるきっかけとなる思考体験があれば、生活はより豊かになるでしょう。なくても生きていけるけど、あった方が楽しい物。芸術とはそういうものです
また、表現の不自由展には、確かに保守的な人の感情を逆なでするような表現もあります。天皇の肖像を焼く動画作品(ちなみにこの作品の背景には、作者である大浦信行さんが海外滞在中に自分のアイデンテティを考えた結果、自分のルーツである日本、それを象徴した昭和天皇をコラージュ作品にして富山県美術館で発表したところ、美術館が作品を非公開にし図録を焼却した事件がベースにあると思われます。むしろ素朴な愛国心を表した作品を国によって弾圧された皮肉を表現しているのです)や、慰安婦問題の象徴となってしまった少女像など、不愉快に思う人達が一定数いるのはわかります。

ですが、あらゆる表現物は、意図せず誰かを傷つけます

たとえそれがモネの睡蓮シリーズのような誰もがうっとりする美しい作品であっても、それが好きだった恋人や家族を失った人にとっては悲しい気持ちを連想させるから見たくない作品となるでしょう。かわいい動物や赤ちゃんの動画も、それを失くした人には残酷な動画となります。天気の話ひとつを取ってもそう。「いい天気だなぁ」となんの気なしに呟いても、地球の裏側で被災している人にとっては腹立たしい呟きになりうるのです。
また、表現の自由とは、その内容や見た人の感想を問わず、あらゆる表現を守るものだと思います。むしろ多くの人から支持されない表現をこそ守らなければ「あらゆる表現を守る」の根底が崩れてしまいます。
仮に、見た人が快・不快かで判断されるべき事になったなら、その基準は誰が決めるべきなのか?
大きな国や組織の判断に委ねるしかないでしょう。
そうなると、国や組織や権力のある人が気に入らない個人を恣意的に潰すことも簡単になってしまいます。

この観点からすると、あいちトリエンナーレ側が「SNS禁止」にしたり、展示再開にあたっても「30分の教育を受けた人のみ、制限制で」と決めた件にも物申さなくてはなりません。大村知事は、「SNSのせいで拡散された、だから禁止にしたのに」と言っているようですが、イベントがあればSNSで拡散されるのが一般的な今の時代にわざわざ隠そうとするから返って不信感を募らせる人達を呼び寄せたのですよ。また、教育を受けなければ見られない芸術作品とは、なんとバカげた発想ですか。反論を恐れ、理解できる人しか見るな、と言う人達の催す芸術展に、一体なんの意味があるの?
わたしは以前もブログに書きましたが、あいちトリエンナーレを仕切るエラい人達は、どうしてこうもへタレなんでしょうか。

日本では、局部を隠していないワイセツ表現以外なら、かなりおおらかに表現の自由が守られて来ていました。しかし、今回の補助金不交付で、ワイセツだけでなく、政治的な表現も規制されるようになってしまいました。
この先、どんどんと、あれもこれも駄目というケースが増えて行くでしょう。

日頃、まんこをれんこし、ヘラヘラとふざけて来たわたしですが、日本の表現の自由がまたひとつ閉ざされた為、この記事に笑いのオチをつける事すら出来ないのが残念でなりませんこ。
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あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の展示中止騒動について

先日開催されたばかりの、あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展・その後」の展示が、「ガソリンをまくぞ」などという脅迫や抗議が相次ぎ中止に至った件につき、様々な意見や抗議の声が上がっています。

わたしは海外に住んでいるのもあり、本芸術祭の内容や騒動を知ったのも、つい最近の事でした。

展示の内容的にも、そもそも「組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われたり美術館や展示会から拒否された作品の展示」です。天皇の写真を燃やす動画(正確には、過去に天皇をコラージュした作品を国(美術館)から不謹慎だとして焼却処分された事件について、別の作者がオマージュした、超皮肉な作品と思われる)など、当然、ある種の人達を刺激して怒りや憎悪を煽るだろう、ぐらいの事はわたしでも想像がつきます。

ただし、「こんな政治的 or 偏ったものを税金を使ってやるな」という意見には、わたしは反対です。作品の良し悪し好みとは関係なく、表現の自由は守られるべきです。

「政治的か否か/ 偏っているか否か」で助成金が判断されるなら、誰がそれを決めるのか。

結局、それは検閲になるだろうし、わたし個人としては、「右も左もちんこもまんこも税金を使って自由に展示できる社会」が望ましいです。

ところで、警察から作品がワイセツだとされ二度の逮捕経験のあるわたしは、2015年に江古田で開催された「表現の不自由展」にもトークゲストで呼ばれ、展示されていた慰安婦問題の象徴となっている少女像と、自作のまんこちゃんフィギュアを持ってツーショット写真も撮りました。

ですので、当然今回の展示にも、お声くらいはかかっても良いのに、なぜわたしが呼ばれなかったのか不思議で仕方ありません。

ただ、それよりも疑問に感じたのは、この展示を企画した津田大介芸術監督が、あらかたの抗議は予想できたはずなのに、クレーム専用の窓口やスタッフも立てておらず、開催に苦言を呈した某政治家の意見に猛反発する事もなく、また表現の不自由展関係者と一切の話合いもないままに、一方的に中止決定した事でした。それは単なる自主規制と言えるのに、「戦後最大の検閲」と報道しているメディアにも首を傾げております

わたしは、ガソリンをまかれても表現の自由を死守しろ!などと根性論は言いません。根性論ほど大嫌いなものはありません。

しかし、何の対策もせず、いざ抗議が来たら涙目で自主規制とは、あまりにお粗末です。

これまで表現の不自由展で活動して来た表現者や関係者の意見も聞かずに中止を決めたのも、表現者の思いを踏みにじる行為です。

某社会主義国のように、作家が政治犯として逮捕されたわけでもない、作品を強制撤去されたわけでもない、単に政治家に「意見」されただけで、トドメを刺されたわけでもないのですから、もしも真に表現者や作品のことを考える芸術監督であるならば、関係者と地道に交渉を続け、中止だけは避けるようもう少し努力して欲しかった。

もちろん、死者が出るかもしれない危険を考えれば、中止にしようという意見そのものは理解します。

ですが、ただ狂人が「ガソリンまくぞ」と言っただけで簡単に世界を無にできると証明してしまったことは、重く受け止めるべきでしょう。

今、わたしが一番望んでいるのは、批判が集中して弱っている芸術監督やTwitterを鍵かけて逃亡中の企画アドバイザーをこれ以上正論でぶん殴ることではなく、まだ開催期間が2ヶ月近くあるので、今からでも表現の不自由展の立て直しを考えてほしい事と、卑怯な脅迫犯を絶対に許さず、必ず逮捕、刑事告訴し、愉快犯をのさばらせないことです。

数年前、わたしのまんこごときに威信をかけて捜査した警察の皆さん、お願いします。ハロウィンの渋谷に適当に集まって暴れた若者達を特定するぐらい優秀なんだからできるはずです。

ついでに、あいちトリエンナーレ主催の皆さん、もしも面倒臭いクレーマー対応に本当に困っていたら、ろくでなし子を呼んでください。毒をもって毒を制すと言いますが、おかしな人が「責任者を出せ」とか言って来たら、おかしな奴を出すのはどうでしょうか?

右翼の街宣車にも、むしろノリノリで、警察にも押収された自作のまんボートを盾に対峙したいと思います。

追記: 先程、ガソリンまくぞと脅迫した男性が、威力業務妨害で逮捕されたとニュースが流れて来ました。流石、わたしのまんこごときに威信をかけて捜査しただけの事はあり、きっちりお仕事していただき、警察の皆さん、ありがとうございます!
今後もあいちトリエンナーレの全催しが会期終了まで無事である事を祈ります。
そして、面倒臭いクレーマーに困ったらいつでもろくでなし子をお呼び下さいね。