新宿眼科画廊でのオンライン展示会始まりました。(7月7日まで)

6月26日から7月7日まで、新宿眼科画廊のオンラインweb展覧会に参加しております。

【作品説明】やぁみんな!まんこのようせい・まんこちゃんだよ!ぶったいを3Dスキャンして、じゆうにプリントできるかっきてきなぎじゅつをつかって、まんこアーティストのろくでなし子さんが、2014年のタイホをきっかけに、3dモデリングをべんきょうして、まんこをたのしいおもちゃにしたよ。だいいちだんは、3dLEGOまんこドール。おてもちのLEGOにくみあわせてあそんでね!(撮影:Michel Paschalis)

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今から6年前の2014年は、わたしにとって忘れられない年です。

5月に新宿眼科画廊にて、「まんこで遊ぼう!よいこのまん個展」を開催しました。自らのまんこを3Dスキャンして作ったまんこのボートや、3dプリントした模型、まんこのアプリゲームなど、わたしの中では最新テクノロジーを駆使しながら子供でも楽しく遊べるまんこアートを展示したつもりでしたが、後にそれらがワイセツとされ、7月と12月に二度も逮捕されました。

それ以前から、わたしはまんこをデコってジオラマを載せるなどしてましたが、手作業で石膏を使い1個1個かたどる作業は時間がかかるし、その単純なアナログ手法にも飽きていました。3dプリントの技術でそれが可能だと思いついた時は、興奮と喜びで満ちました。

当時も今も、新しいテクノロジーがあれば、まんことかけ合わせてみたい!そしてプロダクトアーツとして量産したい!と思う気持ちは変わりません。ただ、当時は3dの技術は自分には高度すぎた為、専門の業者にお願いしておりました。専門業者に頼めば当然お金もかかりますから、アイデアを気軽に形にできないのが、一番の悩みでした。

二度の逮捕を機に、「これで逮捕されたからには極めたい」と思い勉強し、50歳を前に、3d技術のスキルを身に付ける事ができました。これからは、誰に頼る事なく好きな作品を量産できると思うと、感無量です。警察には感謝しかありません。

あれから6年、新宿眼科画廊のオンライン展示会で再び展示させて頂く事になりましたが、ちょうど同じ年の7月16日に、わたしの裁判の最高裁ハンケツが下りる事になったのも、何かのご縁を感じます。

新宿眼科画廊オンライン展示会は、勿論、まんこに限らず、他の作家さん達の、若々しいアイデアに満ちた、楽しくて可愛くてユニークな作品が展示されています。ぜひ、遊びにいらして下さい。

http://shinjyuku-online.com

日本に住みながら、日本人をあまり理解しようとはせず、自身の考える正しさを日本人に押し付けがちなバイエ・マクニールさんにお伝えしたいこと

黒人差別反対運動”Black Lives Matter”の勢いは、本国アメリカでは治るどころか、ますます強いうねりとなっている様です。先ほども、幼い黒人の子供が警察に催涙ガスをかけられた報道を観ましたが、3歳の息子を持つ親として、子供までが巻き込まれてしまう事に、悲しすぎて胸が痛みます。

日本でもBLMに賛同した人達が先週末にデモを行っていた様ですが、本国アメリカとは少し違って、決して快くは受け入れられない人達の声の方がちらほら散見されました。その理由は以前ブログにも書きましたし、今日も少し追記しようと思います。

さて、そんな日本人の無理解に不満を抱いたであろうこの方が、この様な記事を寄稿されました。

黒人記者が語る「抗議デモ」と「人種主義」 知らないうちに、死んでるのかもしれません | アメリカ – 東洋経済オンライン

バイエ・マクニールさん。氏は、以前もダウンタウンの浜田雅功さんがお笑い番組の中でエディ・マーフィーさんのモノマネでしていた黒塗りメイクを「差別だ」とし、批判のツイートをされていた方です。

氏の記事は、一部の欧米リベラルを支持する日本人以外にはかなり不評の様で、わたしのタイムラインでも批判の声が上がっておりました。

何が問題かと言えば、バイエさんは「テレビで警察署に火炎瓶を投げつけているアメリカ人を見る時、あなたがそこに見ているのは、ブチ切れてしまった時のあなた自身です。」と言い切り、BLMデモで怒った暴行や略奪や放火を間接的に擁護し(それだけならご本人の自由ですが)、これに賛同しない人(多くの日本人)はレイシストと同じであるかの様に述べている事です。

日本人は、当たり前ですがアメリカとは全く違う歴史を歩んで来ました。アメリカの様な、異なる人種の人々を大量に連れて来て奴隷として売買し、それを制度にまでして代々労働搾取させた歴史もありません。また、他国と違って警察に対する信頼度も高く、実際に日本の警視庁の捜査能力は有能です。

勿論、日本にも差別は厳然とあります。というよりむしろ、あらゆる世界の国々の人達は、肌色や見た目に限らず、生まれ育ちや宗教や思想の違いで誰かを差別する物だと思います。

ただ、日本の差別は、暴力行為よりも、「無視」や「侮蔑」や「村八分」という形を取りやすく、治安や秩序を何よりも大事に考えて物を大切にする為、抗議の為に火炎瓶を投げる様な行為は、多くの日本人にはどうしても理解しづらいと思います。

また、1970年代に盛んとなった学生デモでは、活動家たちが仲間をリンチ殺害しあったり人質をとって山荘に立てこもり、1990年代にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした事で、反社会的な人達は「社会悪」というイメージが国民の中で決定的となりました。

ですから、「どんなに正しい事を言っている人でも秩序を乱すのはおかしい」と思う日本人が、ごく一般的ではないかと思います。

そもそも、まだコロナ禍が治っていない中で大規模デモに参加する事に疑問を感じる人の方が圧倒的だと思うので(だからこそ、コロナ禍でも、感染の危機に晒されながら、感染者数や死者数をどの国よりも抑えることができた特殊で独特な国の所以だと思います)。

この様に考える日本人の私と同じくらい、バイエさんにとってはバイエさんの欧米リベラル的な考えが「正しい」ものでしょうから、まずはお互いの「考え方の違い」を理解しなくては、歩み寄りは非常に難しいと思います。

実はこの件を、ブリティッシュ(スコットランド人)の夫とも話したのですが、わたしは日本人的な考え方と欧米リベラル的な考え方の違いを簡単に説明しましたが、夫には「欧州やアメリカと言ってもいろんな人種がいるから一括りにしてはならない。日本人だけグループマインドの国だから、ちょっと違うよ」と言われました。

そこで一瞬納得しかけたのですが、「ん?待てよ?」と思ったのです。

というのも、話しているうちに、結局夫も「黒人差別は酷いものだから、多少の暴力や略奪は仕方ない」という典型的な欧米リベラルな考え方を、平和的なデモと犯罪は分けて考えるべきとするわたしにも押し付けがちだったからです(流石に、「BLMni賛同しない人はレイシスト」とは夫は言ってませんけど)。

欧米リベラルは、自分達は何からも自由であって、他者の多様性を尊重しましょう、と言いながら、時々物凄く押し付けがましく決めつけてくるし、答えや主張がみんな共通している様に感じるので、結局それも「欧米リベラルのグループマインド」に見えてくるから不思議です

繰り返しますが、わたしは、欧米リベラルの考えを否定してはいません。ただ、日本人であるわたしとは異なる、と言っているのです。その違いがわかると、「なんで理解ができないのだろう」とイライラする前に、「違うのだから理解できないのは仕方ない」と一旦諦め、「ならばどう伝え、共存して行くか」という方向に思考がシフトできるのです。

バイエさんの、ダウンタウン浜田さんの黒メイク批判についても、「こんなの欧米ではアウトだ!不愉快だ!」といきなり反発するのではなく、欧米の様な黒人差別はなかった日本で、肌色の違う黒人のモノマネをするのに黒くする事に疑問を感じてこなかった日本の芸能文化について多少は理解した上で、「それでも世界基準では、それは問題にあたるので、考えてみませんか?」という風に伝えていたら、少しは違っていたかもしれません。

バイエさんは日本滞在が16年もお有りの様ですし、やみくもに「火炎瓶を持って立ち上がる人の気持ちがわからないのか!」と言う前に、多少は日本人の考え方をご理解いただいければ、どの様に日本人に訴えて行くのが一番効果的かも自ずと見えてくるのではないでしょうか。

バイエさんに限らず、以前より、日本に住む外国人ジャーナリストが、一方的に日本を悪く言ったりバカにする記事をよく見かけて残念な気持ちになります。遠い東の異国に住む人達の事について楽しく書くよりも、面白おかしく笑ったり貶す方が、本国のニュースサイトではアクセス数が得られるのかもしれませんが、もしも本当に日本の事を心配したり気にかけてくださるのなら、思い込みだけで記事を書かず、日本の文化や歴史や、なぜ日本人はそう思うかをよくご理解して頂きたいものです。

わたし自身も、BLMについてや、その他の海外で起きる事件に対し、日本的な価値観で一方的に決めつけたり断罪しない様に十分気をつけ、自分と相手の違いを考えながら主張していきたいです。

ちなみに、わたしは、まんこのアートを作っていただけで逮捕され、約1ヶ月間警察に勾留されて自由を奪われた上に起訴されるという理不尽さを体験しましたが、人生で一番ブチ切れた相手に火炎瓶を投げるよりも、ブチ切れた相手には裁判で闘うし、ブチ切れた相手を作品にしたり、モチーフにしたおもちゃを買って息子と遊ぶ方が楽しいです。世の中には、そういう人もいるんですよ、バイエさん(^^)(この日はプレイモービルの警察署で遊んでます)

What I want to say again about the difference between Japanese and foreign ways of thinking about protest demonstrations against killing of George Floyd

While the number of new coronavirus infections is declining worldwide, in the United States, “Black Lives Matter”, protest demonstrations against a man killed by police officers discriminating black people became popular, and the spark is spreading all over the world. It is natural for people to stand up against black discrimination, but the riots have become radical. Some people are even attacking Nike and Apple stores and others are setting fire on buildings and cars.

President Trump said such actions were led by ANTIFA, militant, left-wing, and anti-fascist political activists and identified them as terrorists.

However, there is also a theory that these criminal acts are masquerading or inciting by Trump-supporting white supremacists. Since I live far from the United State, I do not know what the truth is.

Although it was revealed in a survey by Twitter, Inc. that the twitter account claiming to be ANTIFA was a spoofed white supremacist, I wonder if an account with only a few hundred followers could be so influential. Also, have watched the videos of people actually attacking shops. Some were white and some were colored. They seemed to be the people of all races. There seems to be no white man. In addition, I do not really have a good image for ANTIFA. The reason is because due to the mere disagreement, for many years I have been receiving harassment, such as being called as a racist, by people who claim to be ANTIFA in Japan.

And, of course, I am opposed to racism, but my home in Dublin is near the American Embassy. It would be terrifying if there was an arson or an attack near my home even in the name of black discrimination.

I agree with the demonstrations, but I am against crimes such as plunders and violence.

However, when I said so, some people especially English-speaking and Japanese living in overseas, attacked me with Twitter. “Black discrimination is more important than such a small crime!”, one said. “A small sacrifice is just for justice!”, the other told me off and labeled me as “discriminator”.

Let me say again.

(1) It is a serious problem that a black man was killed by public authority due to racism. So, I support the demonstration activities.

(2) I oppose situations where the property or life of a third party, including myself, is unduly exposed to danger.

Opinions (1) and (2) can coexist in my mind, but for some reason, many people do not understand. It felt extremely unreasonable be attacked by them when I expressed the idea (2) even after I stated (1). Why are they so extreme? 

This question has come a little after a talk with my friend, so I would like to share my thoughts with you. In short, I thought that it could be due to differences in the history and culture of the demonstrations, as well as the degree of liability in public safety, and police between Japan and foreign countries.

For example, in Japan the student movement flourished in the 1970s, an extremist student group gathered in the mountain. They tortured and killed each other and held a hostage in the cottage. They became a symbol of social evil. In the 1990s, AUM Shinrikyo caused a subway sarin incident, so the impression that “Anti-social people were terrifying when radicalized.” became stronger, I think. I also think that compared to other parts of the world, in safe country like Japan, decapitations and arsons caused by demonstrations are quite extraordinary for us Japanese.

Two years ago, youths gathered in Shibuya for Halloween to make a big fuss, not a demonstration. In countries with poor securities, it is an everyday scene and there is no arrest, but in Japan some of them were arrested and their real names were announced to the public as a warning to others. Unfortunately, each one of them would not even be able to get a proper job just by burning a light truck upside down. They are almost liquidated from society. However, we Japanese value security more than anything else. So, if there is a plunder or an arson in the demonstrations, those who have done it will be subject to social sanctions.

In some other countries where police and mafia are connected to each other, the police are corrupt and unreliable for not helping those who reported the cases or not investing them. On the other hand, Japanese police do not have obvious corruption or cozy relationships with the gangs. Although they arrest a female artist of pussy, they seem to have basically a high trust from the public for their investigative ability.

With the dark history such as the student movement in the 1970s and the terrorist act of AUM Shinrikyo, we Japanese have a lot of trust in the police and fear for deprivations and arsons. The promise of the way of thinking about demonstrations may be different between us and people in unsafe (pardon me for using this word) countries with frequent demos.

I add what I have noticed about a story about an acquaintance of mine who lived in the United States. Her favorite pouch was stolen as she left it for less than a minute in the school lavatory. She reported to her teacher. The teacher preached, “A thief has reasons. Make sure to protect your treasure.” When her relatives called the police for an office robbery, the policeman told them that criminals might not be found and so the stolen goods would not return. It seems to me that Americans think criminals have circumstances or reasons such as poverty, so people should be responsible for self-protection within the United States.

Since we Japanese strongly aware that “No matter what the circumstances, a crime is a crime.”, “We shouldn’t annoy or harm others.” and “Criminals are evil.”, it is hard for us to understand American way of thinking. When I had no idea why they think that way, but now my discomfort disappeared. There is no help for it because the ways of thinking towards crimes are different. Therefore, obviously it is not a matter of comparing the superiority of cultural standard between two countries.

Even with these differences, I would say again that I am in favor of the demonstrations because it is a serious issue that black man was killed by public authority due to racism. However, I am against situations where the property and life of third parties, including myself, are wrongfully exposed to danger.

It is because we all do not want to be attacked on our shops or residence. If I were told “A small sacrifice is unavoidable.”, I would be angry not only with those who said so but also with the people who participated in the demonstration. It still is unreasonable for someone to get hurt or suffer damage even if it is much smaller compared to black discrimination. There will be another hatred and fights and discriminations will never end.

The chain of barren anger should be broken.

Shouldn’t we consider protest demonstrations and crimes such as plunders and arsons separately?

In Black Lives Matter, there was a demonstration that allowed the American flag to be run over by a car. Although expressions to stain, trample, destroy or burn something are not what I like, I do not stop them at all because we all have freedom of expression. I just want to express my hate of police officers in cute and happy ways in my works.

Discrimination is something that is in everyone’s mind, so I think it is difficult to eradicate. However, I hope everyone in the world can live in peace, and happiness by reducing it as much as possible.

In this text, I used the phrase “the American way of thinking”, but of course, since it is a country of all races, I do not say that all Americans think the same way.

I speculated that it might be a particularly prominent feature of those who attacked me on Twitter.

元ミスiDのアイドルの方にツイートを誤訳された事で、mixed race の人達への差別や、彼らにとっての「外国人」という言葉の重みを改めて考えた事など。

黒人殺人事件への抗議デモ”Black Lives Matter”に、わたしの意見をツイートすると、主に海外在住者の人達から理不尽な批判を受ける。というのは前回のブログに書きました。

繰り返しますが、わたしは、デモには賛成ですが、略奪や暴力行為などの犯罪には反対で、抗議目的のデモと略奪行為や放火など(犯罪)ははっきり分けて考えるべきだと思います。わたしのツイートを極端に解釈する人達のアカウントをざっと眺めたところ、英語のリプライだと、一見、英語圏の(日本人ではない人種で欧米人などの)外国人かな?と思いやすいのですが、彼らは英語が堪能な在外日本人か、ハーフジャパニーズのmixed raceか、日本人ではないが日本に住んだことがある日本文化に馴染みある人達だと気づきました。わたしは、たまに英語の勉強がてら、英文ツイートもするのですが、日本人ではない諸外国(欧米など)の人にはあまり絡まれません。それが英語であっても、彼らにとって、アジア人のわたしのツイートは特に興味がないのでしょう。

結局、わたしのツイートに関心を寄せるのは、英語が堪能な在外日本人かハーフジャパニーズのmixed raceか日本人ではないが日本に住んだことがあるなど日本文化に馴染みのある人達です。(日本人ではない人種で欧米人などの)外国人にとってはアジア人は関心が無いのでしょう。わたし自身、それは仕方のない事だと思います。いくら頑張ってもネイティブのようには話せず片言の英語なら、読む方も楽しくない。わたしも、英語や様々な言語の人のツイートを読もうとしたら、落ち着いて言語を理解せねばならず、気軽に見たいtwitterでは疲れてしまいますので、お互い様です。

その様な事を感じて、こう呟きました。

ところが、これを英語で間違った翻訳をして拡散する人が現れました。

わたしのツイートの「外国の人の意見にはさほど興味がない」という部分を、「わたしにうざい絡み方をしてくる在外日本人かハーフジャパニーズかバイリンガルのこと」だとされ、まるで「彼らは外国人だからわたしの知ったことか!」と言っているかの様に翻訳されたのです。事実は全く逆なのに。

こんな事を言われたら、自分を日本人だと思っているmixed raceの人達が怒りだすわけです。「そんなに興味がない」という部分も「I barely interested in」などにすべきなのに、わざと「I don’t care about」という非常にキツイ英文にされています。I don’t care とは、わたしの親戚の子が悪態をつくときによく使う言葉です。また、彼女はtwitterの日本語翻訳を参考にしたのでしょう。これだと細かいニュアンスがザックリ省略されることが多くてわたしは以前から疑問でした。

とにかく、わたしが言いたかったこととはまるで違う事を言われた上に、その誤訳を何の疑いもなく信じた人々に、次々と絡まれたのは、ショックでした。わたしの息子もハーフジャパニーズ、ハーフスコティッシュのmixed raceで、日本とアイルランド国籍を持っています。当然、息子は「日本人であり、アイルランド人です」。大切な我が子と同じ属性の人を、わたしが差別したりバカにするとしたら、どうかしています

My son is half Japanese and half Scottish. I never discriminate mixed race people you know.Twitter translate is just wrong. I know that mixed race people were deeply hurt by discrimination. 

そこでわたしもこの様に、英文で訂正のお願いを伝えたのですが、

本人は一切訂正することもなく、バカにされるだけでした。また、彼女のツイートに便乗した人にもわたしの夫の事まで誹謗中傷されました。嘘つきと、間違った事を謝らない人が大嫌いなわたしは、怒りで眠れませんでした。

ただ、時間が経つにつれ、少し気づいた事がありました。

この方は、日本で地下アイドルを目指していた愛美奈・デュジャンさんという方で、日本国籍ではないものの、日本に非常に馴染みのある方の様です。詳しい関係者によると、日本にいた時はmixed raceコミュニティにもいたそうなので、mixed raceのフォロワーさんが多いのもうなづけます。

黒人と同じく、アジア人も欧米では差別されます。また同じ日本人同士でも、mixed race  の日本人は日本で差別やいじめにあいます。愛美奈さんがなぜわたしに意地悪をしたかといえば、日本にいた時に「日本人のアイドルの様にしたいのに、見た目などによってあまりそう見てもらえない疎外感」が根底にあったからではないか?と思うと、彼女の苛立ちにも納得することはできます。なぜなら、日本人のアイドルといえば、日本人の9割を占める「アジア人の様な見た目を持つ人」が主流だからです。彼女の仲間や友達であるmixed raceの日本人もまた、「日本人なのに、日本人として見られない疎外感」を強く感じながら生きて来たのではないかと思います。

わたしが自分の息子と同じ属性の人を差別することなどないと、言わなくてもわかるはずだと思っていましたが、わたしはmixed raceではないですし、彼らが日本で受けた「異質な人扱い」への悲しみや怒りは、わたしには計り知れない物だったでしょう。子供時代に日本とアメリカのmixed race の子がいましたが、やっぱりいじめられていました。日本はアジア人の特徴を持つ見た目の人が9割なので、見た目や肌色の違いを個性とは受け取られづらく、目立つ人は、残念ながら日本ではいじめられやすいです。おまけにまんこで逮捕された女の息子です。だから、子育てするなら様々な人種がクラスにいるのが当たり前なアイルランドの方が、わたしも正直、安心です。この様に、日本では安心して息子を育てられないと思ってしまうほど、mixed raceの人へのいじめや差別が厳然とあるのです。

ただそれも、黒人差別は良くない!と言いながら、コロナでアジア人差別する人には無関心な欧米の人達みたいに、軽視されやすい差別なのではないか?と改めてわたしは気づきました。また、両親がともにアジア人顔の日本人から産まれて来たわたしにとって、何でもない「外国人」という言葉が、彼らにとっては非常にセンシティヴな言葉だったのだ、と今更ながら気づきました。

愛美奈さんも、彼女の誤訳をそのまま真に受けてわたしに嫌がらせしてきた人も、過去に「見て欲しい自分を見てもらえないこと」や「常に異国の人」扱いをされ、嫌な思いをしてきたからでは、と思うと、嫌がらせは絶対に良くない事ですが、愛美奈さんが憤りを誰かにぶつけたくなる気持ちも理解することができます。彼女のねっとりとした悪意を受けて、わたしも理不尽な怒りが移ってしまい、暴言を投げそうになりましたが、許す事にしました。

ただこの様に、悲しみや怒りは連鎖するのです。

残念ながら、差別とはわたしにもあなたにも、誰の心にもある物だから、差別を根絶する事はできないと思います。それでも、悲しみや怒りの連鎖は止めたいです。綺麗事ではなく、わたしの息子と同じ様に、彼女が幸せになる事を願います。

最後に、ミスiD2016時代の彼女の動画を載せておきます。楽しそうにお喋りする姿がとても可愛らしい方です。この時の愛美奈さんの笑顔を、世界のアイドルとして、また日本でも見られることが来るのを、わたしは願って止みません。

I wish you all the happiness.Xxx

*追記;この件をtogetterまとめられましたので、掲載します。日本語が異なる意味で世界に伝わってしまう恐怖。~ろくでなし子さんの場合~ – Togetter 

黒人殺人事件への抗議デモに対する日本的な考え方と海外の人の考え方の違いについて。そして改めて言いたいこと。

世界的にもコロナウィルス新規感染者が減少傾向の中、アメリカでは、警官の黒人差別により命を落とされた男性に対する抗議のデモ”Black Lives Matter”が盛んとなって、その火種が世界中に波及しています。黒人差別に人々が立ち上がるのは当然の事ですが、暴動が過激になり、ナイキやアップルストア等のお店を襲撃したり、建物や車に放火する人達まで出ています。トランプ大統領は、その様な行為はANTIFAを名乗る反体制運動家達が主導しているとして、彼らをテロリスト認定しました。

しかし、それら犯罪行為はトランプ支持の白人至上主義者がなりすましているor扇動している、という説もあり、一体何が真実なのか、アメリカから遠く離れた場所に住むわたしには、よく分かりません。

ANTIFAを名乗るtwitterアカウントが白人至上主義者のなりすましだった事がtwitter社の調査で明らかにはなったものの、フォロワーがわずか数百人のアカウントの為、そんなアカウントがそこまで影響力があったのか、少々疑問です。また、実際にお店を襲撃している人達の映像を見ていても、白人も有色人種の人も、人種を問わず物を破壊し商品を盗んでいる様子です。また数年前より、日本でANTIFAを名乗る人達から、単なる意見の違いなだけで、わたしはレイシスト呼ばわりされたり嫌がらせを散々受けたので、ANTIFAに良いイメージが正直ありません。

それと、わたしは人種差別には当然反対ではありますが、ダブリンの自宅がアメリカ大使館の近くですし、もしもマンがいち、黒人差別の名の元に、自宅近くに火を放たれたり襲撃されたらとても恐ろしいです。

デモには賛成ですが、略奪や暴力行為などの犯罪には反対です

しかし、それを言うと、「黒人差別はそんな小さな犯罪などより重要だ!」「正義の為なら小さな犠牲は仕方ないんだ!」と怒る人や、わたしを「差別主義者!」と決めつける人達(特に英語圏の人や、海外在住の日本人)までいて、twitter で攻撃してくるのです。繰り返しますが、

①人種差別で黒人が公権力に殺されたことは重大な問題だから、デモに賛成。

②わたし含め、第三者の財産や生命が不当に危険に曝される状況には反対。

わたしには①と②の2つの考えが共存できるのですが、なぜかこれが理解できない人達が多く、①を言っているにも関わらず、②を言うと攻撃されるのが凄く理不尽でした。

なぜ彼らはそう極端なのか?

この疑問が、友人との話をきっかけに、少し見えて来たので、わたしの考えを述べたいと思います。端的にいうと、日本と海外のデモの歴史や文化やその認識のされ方の違い、治安や警察に倒する信頼度の違いではないかと思いました。

例えば日本では、1970年代に学生運動が盛んになりましたが、過激に先鋭化した運動家達が山に篭ってリンチ殺人しあい、人質をとって山荘に立て篭り、社会的な悪の象徴になりました。1990年代はオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、「反社会的な人達は過激化すると恐ろしい」というイメージがより強くなったと思います。加えて、日本はとても治安がよくて、デモで掠奪されたり放火される事が、他国より非日常的すぎるのだと思います。

2年前にも、デモではなくて、ハロウィンで渋谷に集まった若者達が大騒ぎをしましたが、治安がよろしくない海外なら日常的すぎて逮捕もされないでしょうが、日本では実名公表で見せしめのように逮捕されました。群衆の中で軽トラックを倒したというたったそれだけの事で、まだ若い彼らは、残念ながら、まともに就職もできないでしょうから、社会的に抹殺されたも同然です。しかし日本人は何よりも治安を大事に考える為、もしもデモで略奪や放火などがあれば、それをした方が社会的に制裁を受けるのです。

また、他国では警察とマフィアがズブズブだったり、通報しても助けてくれないとか、捜査もしないとか、警察が腐敗していて信頼度に欠ける面があるのに対し、日本の警視庁は(まんこアートした女はなぜか逮捕はしても)あからさまな腐敗やギャングとの癒着もなく、捜査能力が高く、庶民からの信頼が基本的に高いのも関係してそうです。

70年代の学生運動の失敗や、オウム真理教のテロ行為という負の歴史が根深くありつつ、日頃から治安が良くて警察への信頼も厚く、子供の頃から「他人様に迷惑をかけてはならない」と教えこまれ、掠奪や放火が起きたと聞けば恐ろしい人達だと認識しやすい日本人と、治安が良いとは言えずデモが頻繁な文化の国では、やっぱりデモに対する考え方の前提が違うのではないかと思います。

追記になりますが、米国に住んでいた知人の方の話で気づいた事を書きます。彼女がトイレにお気に入りのポーチを置き忘れて1分も経たない間に盗まれて、それを教師に伝えたところ、「盗む人にも事情がある。あなたも大事な物なら自衛をしっかりしなさい」と逆に説教されたそうです。また、強盗にあって警察を呼んでも、形式で調書はとっても「多分、犯人は捕まらないし、盗品も返ってこない」と言われるそうなのです。米国では、「犯罪する側にも貧困などの様々な事情があるし、被害者にも自衛の責任がある」という考え方の様です。

日本人は「どんなに事情があっても罪は罪」だし、「他人様に迷惑をかけてはならない」し、「犯罪者は悪」という認識が強い為、この米国的な考え方を理解するのは難しいでしょう。

とはいえ、何で彼らはそう思うのかが分からなかった頃よりも、違和感や不快さはなくなりました。「犯罪に対する考え方の違い」なのだから仕方ないと思えますし、だからこそ、どちらが民度が高いとか低いと比べる話でもない事は自明です。

それら違いを踏まえた上で、わたしは改めて、人種差別で黒人が公権力に殺されたことは重大な問題なので、デモには賛成ですが、わたし含め、第三者の財産や生命が不当に危険に曝される状況には反対です。だって、自分のお店や住居が襲撃されたら嫌ですし、それを「小さな犠牲は仕方ないんだ」とか言われたら、今度はそう言った人達やデモをする人達に対してわたしは怒りが芽生えると思います。黒人差別に比べたらどんなに些細なことであっても、誰かが傷付いたり損害を被るのはおかしいし、それがまた新たな憎悪となり、争いや差別はなくなりません。不毛な怒りの連鎖は断ち切るべきです

抗議目的のデモと、略奪行為や放火など(犯罪)は、はっきり分けて考えるべきではないでしょうか。

Black Lives Matterでは、アメリカの国旗を車にひかせるようなデモ行為もありましたが、わたしは、やはり、何かを汚したり踏んづけたり破壊したり焼いたりする表現は苦手だし、好きではありません。表現の自由だから一切止めませんが、わたしは自分の作品でも、憎い相手の警察も、可愛く楽しく表現したいです。

差別は誰の心にもある物なので、根絶は難しいと思いますが、少しでもそれらが減り、世界中の全ての人が平和に楽しく幸せに暮らせる事を願います。

7月16日15時、遂にまんこアート裁判の最高裁ハンケツが言い渡される事になりました。

先程、弁護団から聞きましたが、7月16日15時、遂に、最高裁ハンケツを言い渡される事になりました。
直前までお楽しみにと思ってましたが、すでにメディアが報道してるので、ご報告いたします。

報道では、有罪濃厚と言われてますけど、もしそうでも、ひとつの区切りですので、わたしは法廷に出向くつもりです。

2014年の逮捕から、6年も経ちましたが、この事件のお陰で、わたしは精神的に鍛えられた上に、良き弁護団に恵まれ、支援者の方々に支えて頂き、まさかの良い出会いもあり結婚&かわいい息子まで授かり、お釣りが来ても良いぐらい幸せでした。
この場を借りて、お礼を述べます。
警察、ありがとう❣️
もう刑事被告人じゃなくなるのが、正直、寂しいです…( ;∀;)

それにしても、最高裁の待合室なんてなかなか入れないと言われたので、今から楽しみです。
折角ですので、ろくでもない記念グッズなど作って支援者の方に配ろうかなと考えてます。
遊びに来てください!(最高裁って一般の方が入れるのか知らんけど)

I Stand Against the “Ban Child Sex Dolls” Petition

(by Rokudenashiko, translated by MayNyanNyan;@satsumaMay

There seems to be another unsettling free expression restriction movement. This time they are trying to ban love dolls (primarily ones which look human in order to simulate sex).

After some research, I found out that this petition was created by American activists a couple of years ago, but recently I came across it on Twitter. Seeing many people agreeing with the petition, I was alarmed that there are over 170,000 names on the petition.

I read the English introduction to this petition, and found out that this activist describes those who use love dolls as “[t]hese child sex dolls can normalize a pedophile’s behaviors, emboldening them to harm children, as is often the case with those who view child pornography.” Love doll users are described as if they are going to become criminals.

Is this not an extreme bias and discrimination against love doll users?

Of course, sexual abuse towards real life children should never be condoned, and those who assault children in this way should be punished heavily.  And of course, the true aim of the petition, which is to end sexual assault crimes, is correct.

However, those who use the dolls for self-pleasure are merely using a doll, and are not hurting anybody.

In this world, there are many different kinds fo sexual preferences.  There are people sexually attracted to and aroused by the presence of someone of a different sex or gender, and those who are exclusively attracted to the same sex or gender. There are people who are sexually attracted to people of all genders, to dolls, to little girls or boys, to shoes, to buildings, and to inanimate objects that look nothing like humans. There are people who wish to hurt or eat others for sexual gratification, as well as people who do not feel sexual desires at all.

Whatever the character of a sexual desire (or the nonexistence of it), and even if nobody can understand it, nobody has the right to invade other people’s freedom to feel how they feel.  As long as that person does not harm real life beings, and only becomes sexually aroused within their fantasies, that is not a crime.

It is regrettable and quite unsettling that even such a simple principle cannot be understood by those whose emotions of disgust, fear, and unforgiving anger become their primary motivation behind actions and words.

I am not sexually or romantically attracted to other women. However, perhaps for some gays or lesbians, being able to love a person of different sex or gender may seem disgusting. We live in a world where heterosexuals are the overwhelming numerical majority, but it is up to individuals to decide what they like or do not like. Negating another person’s sexual preference or attraction because you cannot understand it, is I believe, an outright discrimination.

It was not so long ago that people attracted to the same sex or gender were harshly discriminated as a “sick and disgusting existence” in society. Today, as the term LGBT has come into common language, such sexuality is much more accepted. A society that supports diversity yet tries to restrict love doll users is acting against the principle of accepting and celebrating diversity. As a feminist, I strongly oppose this petition.

Recently, there has been a series of similarly unsettling cases against free expression and the freedom to feel a certain way, such as the protest against the Uzaki chan blood donation poster, LoveLive’s Mikan poster, as well as demanding for Takashi Okamura to be fired from his NHK show, and this petition against love dolls. Quite frankly, I am becoming tired of expressing my opposition to every single case.

It is much more fun studying about 3dCG or thinking about the plarail (plastic train models) I play with my son. Those activities make me forget about time, and make me feel extremely fulfilled, so to be honest, I do not want to talk about these issues.

However, I am blocked by Japanese feminist academics on Twitter, and if I remain silent, my protest would be treated as if it did not exist. Even if it is a tiring and cumbersome work, I must continue to express my opposition.

And I want to say to those who began this petition or have agreed to it:

Why are you criticizing people or things that you dislike and will never have to interact with? I find it far more enjoyable to pass time doing something I love.

署名「Ban Child Sex Dolls」に反対します

また、おかしな表現規制の動きが出ている様です。彼らは今度はラブドール(主にセックスを疑似的に楽しむ為の人間に似せた人形)を規制したいらしいのです。

調べたところ、この署名はアメリカの発起人により数年前に立ち上げられた様ですが、この数日twitterでも賛同や同調の声を見かけ、現在17マン筆以上の署名が集まっていると知り、わたしは恐怖を感じました。

英文を読んでみましたが、この発起人はラブドールを使ったり所有する人の事を「幼女型の人形で実在の幼女へのセックスの練習をしている」とし、まるで犯罪予備軍かの様にみなしているようです。

これはとんでもない偏見と差別ではないでしょうか。

もちろん、実在の児童に対して虐待や性犯罪をすることは、決して許される行為ではなく、犯罪者は重い刑に処すべきですし、性犯罪撲滅を目指す思い自体は間違っておりません。

ですが、人形でオナニーをする人達は、あくまでも人形を使っているだけで、誰の人権も傷つけてはいません。

世の中には、自分には理解できない性癖の人が存在します。

異性の人間に性的に興奮する人と同じ様に、同性の人間に(しか)興奮しない人、同性も異性もどちらにも興奮する人、人形に性的興奮する人、幼女や男児に性的に興奮する人、靴や建物等のもはや人間の形ですらない物に興奮する人達や、人間を傷つけたり食べたいと欲望する人、そもそも性欲がない人まで様々です。

それがどんなにおぞましく万人に理解できない欲望であっても、誰にも他人の内心の自由を侵害することはできませんし、その人が実在の人間に加害をせずにただ空想の中で欲情するだけなら、それは罪ではありません

こんな単純なことでも、「気持ち悪くて」「おぞましい」から「許すまじ」という感情が優先してしまう人達には理解ができない様で、恐ろしい事です。

わたしは同性の女性を恋愛や性欲の対象にはどうしても見れません。でも、同性愛者にとっては「異性を性的に愛せる方が気持ち悪い」事でしょう。異性愛者が世界で圧倒的多数なだけで、何を好み何を不快と思うかは人それぞれです。自分には理解できない他人の性欲を否定するのは、はっきりと差別行為ではないかと思います。

少し前までは、同性愛者の人達が「おぞましい存在」だとして激しい差別を受けていました。今ではLGBTという言葉も定着したように、ごく当たり前に受け入れられつつあります。多様性を謳うはずの社会が、ラブドール愛好者を規制しようとするのは、多様性のある社会とは逆行する考えです。わたしはフェミニストの一人として、このアメリカの署名に対して強く抗議します。

最近は特に、宇崎ちゃんの献血ポスターへの抗議、ラブライブのみかんのポスターへの抗議、岡村隆史さんのNHK番組降板要求や、ラブドール規制の署名など、おかしな抗議が多く、それに逐一抗議するにもわたしは疲れを感じています。

3dCGの勉強や息子と遊ぶプラレールの事を考える方がよっぽど楽しく、時間を忘れるほど充実した気分を得られるので、正直、こんな話をしていたくないんです。

とはいえ、わたしは日本のフェミニスト学者からもなぜかtwitterでブロックされており、黙っていては「無かったこと」にされるだけ。面倒で疲れる作業でも、抗議を込めて主張し続けるしかありません。

そして、この署名を立ち上げたり賛同した人達に言いたいです。

なぜあなた達は、自分が一生関わる事もない嫌いな誰かや表現物を、わざわざ叩いて回るのでしょう。自分が好きな物に夢中になる方が、ずっと楽しいですよ

東京経済大学准教授の澁谷知美氏及び日本のフェミニスト学者達は「フェミニズム」や「教育」とは何か、その本質を今一度考え直していただきたい

コロナ禍で、相変わらず困難な状況が世界中で続いています。
辛く苦しい日々ですが、コロナによって、従来の考え方や価値観が良くも悪くも激変し、物事の「裏面」も明らかになって来ました
例えば、このウィルスが流行りだした頃、日本から見て「人権意識が高いはずの欧米諸国」では、あからさまな中国人(アジア人)差別が見られました。拙宅があるアイルランドでは、中国人というよりイタリアからの渡航者がよりウィルスを拡げたのですが、不思議な事に、アジア人に罵声を浴びせる酔っ払いはいても、イタリア人差別は全く見受けられませんでした。
きちんとした機関だとなぜか信じていたWHOのテドロス事務局長も、中国に買収されているのではないかと思える発言を繰り返しています。
また、ウィルス感染者や死者数も、日本は海外と比べ、厳しいロックダウンでもなく罰則もないゆるい自粛要請だけなのに、圧倒的に少ない事が、海外でも奇妙に受け止められました。
これは、日本が国民皆保険で、病院に予約なしでアクセスできる事、海外と違って医療関係者の方々もブラックな働き方に日頃から慣れていた事(これは手放しで喜ぶべき事ではありませんが、医療関係者の方にはとにかく感謝しかありません)、室内土足は禁止の文化で、手を洗ったり毎日風呂に入る事が当たり前である日本人の公衆衛生観念の賜物ではないかと思います。
なんでも「日本はダメだ、欧米は進んでる!」と自国を卑下する人はよくいますが、コロナを機に、「日本って欧米よりちゃんとしてるじゃん…。」と、意識を改めた人は少なくない事でしょう

ついでですので、是非この機にもっと明らかにして欲しい事があります。
大学教員(特に社会学者やフェミニスト学者)という「学問の権威」の裏面です。
ちょうど昨日は、京都精華大学の白井聡専門講師が以下のツイートをし、批判が集まっていました。

”「安倍政権はどんな政権だと考えられるか、自分で資料を見つけてまとめなさい」という課題を学生に出してみた。いま見てるんだが、辛辣なことといったらない! 「とてつもなく自分勝手」「自己保身以外ない」「うわべだけ」等々。”

この方は、おそらく日頃から自らの政治思想を学生の前で語っているのでしょう。
それ自体は本人の自由ですが、課題として生徒に政治信条を書かせて採点する事が異常な事だとは気づいていないのが、恐ろしいです。生徒は単位を落としたくないですから、当然、講師の喜ぶ回答をするはずです。自分の生徒に忖度をさせる講師が、安倍総理を「とてつもなく自分勝手」と生徒に言わせて喜んでいるのはどんなブラックジョークかと思いますが、本人のツイートを拝読する限り、「正しい事をしている」と確信されている様で、わたしはゾッとしました。

前置きがだいぶ長くなりましたが、この先生のツイートを見て、わたしはあるフェミニストの社会学者を思い出しました。
東京経済大学の准教授、澁谷知美氏
わたしは、澁谷准教授からtwitter でブロックされているだけでなく、大学の授業で学生達に「ろくでなし子は性暴力に加担する奴だ」と教え込まれている様なのです
理由は、会田誠氏の作品について、わたしが「表現の自由」と言った事と、わたしの弁護団にフェミニストが敵対するオタク弁護士の山口貴士先生が参加した事の様です。
わたしが山口先生に弁護団に入って頂いた件については、先生がワイセツ案件で日本で優秀な弁護士である事と、フェミニストであるわたしとオタクの先生が共闘して国家と闘うのは素晴らしい事だと思ったから、というのは以前にもブログに書きました。
しかし、それは日本のフェミニスト村ではとんでもない御法度で、以降、わたしはフェミニスト達から無視されているのです。

澁谷准教授が学生におかしな事を吹き込んでいる事は、氏の授業を受けていた学生から、忘れらないくらい失礼なメールを直接送られた事で知りました。
その学生には、彼女の制作した映画の講評をお願いされていました。
ちょうどわたしが逮捕直後で話題だったので、いい宣伝になると思ったのでしょう。
作品は、自分の父親を食べるというカニバリズム的な内容で、血まみれの演者のグロテスクな写真がカバーでした。エグいと思いましたが、表現の自由だし、もちろんOKしました。
しかし後日、その学生から「澁谷先生がろくでなし子は会田誠氏を擁護して、性暴力に加担する人だと言っている、映画の講評の話は無しにして欲しい」と一方的なメールでキャンセルされたのです。
とても失礼だし、「自分は血まみれのエグい作品で誰かを不快にさせるかもしれないのはOK」でも「会田誠氏の作品はダメ」という不公平さにも腹が立ったものです。
教授も教授なら、教え子も教え子で、清々しいほどのダブルスタンダード

自分の偏見だけで誰かを「性暴力に加担する奴だ」と学生に教える澁谷准教授に、しかし、当時のわたしは抗議する勇気がありませんでした。
当時はまだ日本にいた為、フェミニスト学者達とも繋がっているメディア(主に左派系)も敵に回すであろう事にためらいがありました。
しかし、澁谷准教授は、おそらく今も、自分の受け持つ学生に偏見を植え付けているかと思うと憤りを感じますし、なぜわたしだけが言われのない誹謗中傷や嘘を言われっぱなしなのか理不尽だし、もっと早く抗議すれば良かったと後悔しています。
ちなみに今朝、この件を連投でツイートしたところ、他の方からも、
「学生だった時、毎週誰かを講師に呼べる授業でろくでなし子さんを呼びたかったけど、ゼミの教授が教授会で提案したら「ろくでなし子はダメだ」と、ある女性教授が言った事で流れた、なぜダメなのかも全く教えてもらえなかった」
というDMが送られて来ました。
この件からも、わたしはフェミニスト学者村で、はっきりと村八分にされている
事がわかります。

フェミニスト学者達は、女性の自由や権利を主張しながら、まんこをワイセツだとする警察と闘っているわたしを、「あいつは大学の授業や講師に呼ぶな」と、まるで警察の様にわたしを迫害します
彼らは反安倍政権派なので、「誰もが総理に忖度する日本の政治は異常だ!」とよく叫びますが、彼らこそ、時々おかしな事を言う上野千鶴子先生や、まんこをワイセツだと認めてしまった北原みのり氏に、誰よりも忖度し、内部批判を許さない、全体主義にこり固まった集団です。
しかし、教育とは、教育者の偏見や思想を学生に植え付けて洗脳する事ではなく、学生がそれぞれの意見や考えを自分の頭で考える能力を養う事ではないでしょうか?
曲がりなりにも大学教員であるならば、指導学生にまで自分と同じ思想や政治信条を押し付けてはならないし、女性の性の自由や開放を主張して国家権力と争っているわたしを「性暴力に加担する人」などと呼んでウソや偏見を学生に植え付けず、本来のフェミニズムに立ち返っていただきたい

澁谷准教授はわたしをブロックしている為、わたしの批判など無かった事にするはずですから、すぐ流れてしまうtwitterではなく、ブログに書き留めておく事にしました。
何か反論でもあれば、わたしは正々堂々と応対したいと思います。
あらゆる裏面を暴いていくコロナ禍の今、フェミニスト学者達の異常さがもっと明らかになる事で、彼らが、フェミニズムとは、教育とは何か、その本質について、今一度真面目に考え直される事を願うばかりです

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フェミニズムを、間違った人やダメな人を徹底的にうちのめす棍棒にしてしまった人達に思うこと

コロナ禍で世界的に大変な毎日が続いております。
生きる事への漠然とした不安を身近に感じる日々の中、フェミニズムを問題にし、議論バトルをしていたほんの2ヵ月前の頃を思うと、政治や社会システムが不完全ではあっても、人々が安全に暮らせていただけでも贅沢だったのだなぁとしみじみします。
最近は、もはやフェミニズムの話をする気もすっかり失せ、3d CGの勉強に加え、パンを焼いたり手作りマスク制作など、ステイホーム生活を地味に勤しんでいたわたしでしたが、岡村隆史さんの深夜ラジオでの発言に対するその後の騒動に対して、久しぶりに「黙っていられるか」という気分になったので、息子が寝ている隙に、ブログに思いをぶつけてみる事にします。

岡村さんの発言について、すでにご存知の方も多いので、詳細は省きます。
わたしの感想は、「これからお金に困って職探しするであろう人を自分の欲望を満たす道具としてしか考えていない、品性下劣な発言だなぁ。」でした。
そこに怒りを感じて批判する人の気持ちもよくわかります。
ただ、それは岡村さんのコアなファンや仲間が聴く深夜ラジオでの発言であり、一般的に不快に思うような人達には向けられていなかったにも関わらず、芸能人の不謹慎な発言を探して回って配信し視聴率を稼ぐ配信者によって拡散された様でした。
それなのに、怒りのあまりに、岡村さんのレギュラー番組であるNHKの「チコちゃんに叱られる」を降板しろ!と言う人も出てきて、ついにmetooを彷彿とさせる署名運動まで立ち上がり、今や、岡村さんは非道な罪悪人かの様にバッシングされています

岡村さんは、たしかにこれからお金に困るであろう人を喜ぶ不謹慎な発言をしたけれど、特定の女性に対して自分の役職を盾に「やらせなければこの世界で仕事をできなくさせてやる」と言い性加害を強要していませんし、スタッフとして雇った複数の女性に無理やり性的奉仕させ続けてもいませんし、酔って前後不覚な女性を持ち帰ってもいませんし、電話の受話器で殴ったり、家に押しかけ「抱っこして」と迫って訴えられた訳でもありません。
むしろ、コロナ禍が終息したら風俗に行きまくってお金を落とすと言っているので、セックスワーカーにはありがたいお客さんです。
彼のメインの仕事まで奪って社会的に懲らしめるほどの事でしょうか。
わたしには、ただ、ムカついた人を徹底的にいじめて楽しむ嗜虐行為にしか見えません。
そして、それをしたところで「お金に困って風俗の仕事を選択するであろう人」の現状は、何も変わりません。

岡村さんの失言に対しては、すでに相方の矢部さんがラジオに登場して岡村さんを公開説教しています。
おそらく、それまでの自身の女性差別的な発言に物申す人もいないまま50歳間際になってしまった男性にとって、本質を変えることは物凄く難しい事ではないかと思います。
また、この説教中に矢部さんは岡村さんに「結婚しろ」と言い、結婚ができない人、向いてない人への無意識の差別やハラスメントをしています。
この説教で、実は、岡村さん自身も社会から「いい年をして女性とまともに付き合えない、結婚もできないダメな奴」と虐げられる側の人だったのだと、わたしはようやく気づきました。
だからこそ、岡村さんはますます女性を敵視したり嫌悪しながら性欲だけ求めてしまっていたのではないでしょうか

この様な人を、有無を言わさず見せしめに懲罰したところで、女性への怒りや恨みや恐怖心をますます募らせるだけで、彼の本質は全く変わらないでしょうし、「結婚などの一般的には健全とされる生き方に正そうとする」事も、とてつもない暴力に感じます。
岡村さんは以前、鬱になって休業していたそうですが、また発症されるかもしれません。

ただ、長年の相方である矢部さんのによる公開説教は、多くの人を納得させ、本人もひたすら謝罪を述べていて、「もうこの件はこれで終わりにしよう」という流れに変えました
それについては、岡村さんのNHKの番組を降板させる署名運動よりはるかに建設的だと思いました。

それでもまだ、振り上げた拳をおろす事ができず、岡村さんにフェミニズムを学ばせようという署名まで立ち上げるフェミニストの石川優実さんに、わたしは強く反対します。
石川さんが牽引するKutoo運動は、パンプスなどの履き続けると痛い靴強要からの解放運動だったはずですが、なぜその中心人物が、フェミニズムを、誰かを懲らしめるために「無理矢理」学ばせようとしたり、レギュラー番組を降板させろなど、他者をクーツー(苦痛)にしようとするのでしょうか。

フェミニズムとは、女性のみならず、あらゆる人の選択の自由や権利を尊重し広げようという思想のはずです。あらゆる選択の自由があるなら、岡村さんの様な社会的に生きづらい人の自由も尊重すべきです。
世界には、宗教的に男尊女卑的慣習を続ける国もあります。自国の価値観や、どれか一つの思想や考えだけが正しいとし、その価値観を押し付ければ、戦争に発展するでしょう。全く異なる相容れない考えの人と、それでも共存していかなければならない、多様な社会とはそういう事だと思います。
たとえ不謹慎で不愉快な発言をした人であっても、性犯罪を犯した訳ではない人を、社会的に困らせるまで追い詰めるのは本末転倒です。フェミニズムを、気に入らない誰かを滅ぼすまで殴り続ける棍棒にしないでほしいです。

追記:
岡村さんを降板させろ署名に賛同し、強く抗議している藤田孝典氏が、ホームレスを安い家賃の家に数人で住まわせ生活保護費を巻き上げる貧困ビジネス疑惑で、さいたま市議会で追及されていたそうで、驚きました。
「懺悔として貧困者の正義の味方になった」のであれば、それは責めるべき事では全くありませんが、藤田氏によるこの件の説明はまだありません。
事実でなければ堂々と説明できるはずだし、事実なら不正横領の償いをすべきです。
岡村さんは謝罪しているのにも関わらず(しかも犯罪でもない事で)、降板を要求。この不均衡は一体なんでしょう。
岡村さんを降板させても貧困者の現状は何も変わらない、とわたしは言いましたが、むしろ、藤田さんの様な人は、貧困者がいないとビジネスにならなくて困るのではないかと思えて来ました。

わたしは、フェミニズムを、この様な人達にもてあそばれるのが、本当に残念だし、強い憤りを感じます。

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