石川優実さんに対するお詫びと、わたしが攻撃的になった人に対するお詫び、そして改めて、敵対ではなく共存を強く意識したことなど。 

先日、よもぎ団子さんと対話して印象が変わったというわたしに対して「よもぎ団子を擁護するのか!(してないけど)」と怒る人達についてブログに書きました
この後しばらくして、ふと気づいたのです。

昨年10月、青識亜論さんと石川優実さんの「これからのフェミニズムについて考える白熱討論会」という対談がありました。会場では石川さんが表現の自由を守りたいオタクの思いを多少理解してくれたはずで、本人も「有意義なイベントだった」と〆るほどだったのに、その後意見を翻し、青織さんへの人格攻撃的なブログを書かれ、青識さんをブロックし、結局オタクとフェミの溝がさらに深まってしまう出来事でした。
当時、参加者のリアルなツイートを追っていたわたしは、石川さんの華麗な手のひら返しに驚き、思わず石川さんにお伝えしたい事をブログにしました

この時わたしは、単純に「裏切り行為」としか思っていませんでしたが、おそらく、石川さんはフェミサイドから拒絶や激しいバッシングを受けたのでしょう。
実際、「あんなセクシスト(青織さんのことらしい)と対談なんかしなくていいんだ!」というツイートもよく見かけました。石川さん本人ではない人から見たら、「ひどいクソリプ」で済む話でも、本来なら味方のはずの人達からの激しいバッシングは心が折れたと思います。(時々「死にたい」と漏らされる繊細な石川さんなら尚更です)
「自分は敵側に転向したのではない」と味方にアピールする為にも、青識さんを罵るしかなかったのではないか
だからと言って、青織さんだけでなく、イベント参加者や、イベントに対して真摯に向き合い協力して来た人達の思いを裏切ることは決して許されませんが、わたしは石川さんに同情の気持ちが芽生えました。わたしに対する、よもぎ団子憎しの人達のバッシング以上に猛攻撃されただろうことは想像に難くないからです。

そしてわたし自身も、よもぎ団子さん憎しの人達から攻撃的で無理解なリプライをされ続けた為、自分を守る為に攻撃的になりすぎているとご指摘がありましたので、そこは素直に認めようと思います。
わたしが言ってもいない事を触れ回った事に対する訂正やお詫びをいただけないのは納得できませんが、わたしが感情的に荒れてしまった事に対しては、この場でお詫びしたいと思います。申し訳ありませんでした。

感情的になっていたといえば、石川優実さんに対して、わたしはかつてこの様なツイートもしました。

この時わたしは、石川さんの都合の良すぎる行動に文字通り怒りを感じてツイートしましたが、後になって読み返しても、ただ言葉が汚いだけで、我ながら説得力を感じません。
言った事を無かった事にするのは卑怯だと思うので、今まで削除はしないで来ましたが、お詫びした上で、この機に削除したいと思います。感情のあまり罵ってしまって申し訳ありませんでした。(石川さんには、このツイートをする以前から、理由はわかりませんがブロックされております。こちらのブログでお詫びの気持ちが届く事を願います)

さて、石川さんに感情的に罵った事を訂正したからといって、石川さんの日頃の主張に賛同した訳ではありません。これはよもぎ団子さんの印象は変わったが、彼の全意見に賛同した訳ではないのと同じですし、いまだにわたしへ批判し続ける人達のご意見に対しても、そうです。
これからも異論者同士ですから、相変わらず批判する事もあるでしょう。
ただ、異論者を対等な人間として尊重し、同じテーブルに着く。たったそれだけの事が、SNSではとても難しいです。

わたしは最近、何かを批判し続けたり、誰かと敵対する事に疲れています。

毎度、フェミニストを名乗りながら、気に入らない萌え絵を燃やし続け、先日はついに保育士兼グラドルの方という実在の女性の生き方を否定された太田啓子弁護士は、多分そういう才能があるのだと思います。(それこそこの件について批判ブログを書こうと思いましたが、本当に疲れてしまい、筆がのりません)

それでもわたしは、同じ意見の人とも、違う人とも、楽しい景色を見て行きたいです。

先日も、政治批評家のナザレンコ・アンドリーさんのyoutubeチャンネルに呼んでいただき対話させていただきましたが、ナザレンコさんと完全に主張は一致しなくても(特に慰安婦問題や伊藤詩織さんの件について)、お互いを尊重して意見を交換し合う事ができ、知らなかった事を教えていただいたり気づいたり、とても素晴らしい時間となりました。

人間は、敵や味方の2種類で分けられるものではなく、いろんなグラデーションを持った生き物です。重なり合う部分で共存し、対話したい。
今年に入ってから、少しづつですが、異論者の方ともお陰様で相互フォローになり、わたしはとても嬉しいです。
まだ極々小さな輪ですが、わたしは地道に広げていきたいです。

ナザレンコ・アンドリーさんとのyoutube対談

twitterによくいる、一度こうだと思ったら頑なに相手をそうみなし、本人が「違う」と言っても絶対に認めない人達の妄想力の怖さなど

先日、青識亜論さんのツイキャスよもぎ団子さんと対話し、その後相互フォローになったことなどをブログに書きましたが、いまだにわたしの真意を理解せず、「よもぎ団子を擁護するのか!」と言う短絡的な人達がいます。
放っておこうかと迷いましたが、言ってもいない事を触れ回られるのは流石に迷惑なので、改めてわたしの考えを主張しておこうと思います。

わたしは、よもぎ団子さんの、誰も聞いてないのに自分の非を認められる素直さを、率直に良い事だと思いますが、その件と、「よもぎ団子さんが献血ボイコットを呼びかけた事」とは全く別問題です。
そもそも、よもぎ団子さんはわたしに対して謝罪した訳ではありませんし、わたし自身、ここ数年献血もしていない為、輸血が必要な方々や日赤に成り代わって誰かを罰する権利はないと思うので、わたしに謝罪されても困ります。
彼の行為は悪い事であっても、わたしはいち個人として、反省の意を述べている人に対して、「謝罪の仕方がなってない」「謝罪する相手が違う」「どうせまた繰り返す」などといつまでも責めたくありません。
それでも、彼への怒りが収まらないという人は、わたしは一切止めませんので、お好きにどうぞ。
それと、よもぎ団子さんがまた変な主張をすれば普通に批判するであろうわたしの姿勢は特に変わりませんのであしからず。以上です。

ところで、わたしのように炎上する事が多いと、「あれ?これと同じような体験、前もあったなぁ」と思う事がよくあります。

わたしが逮捕された直後、北原みのりさんがわたしの事件についての記事を書かれましたが、その中で、「(わたしの作品が逮捕されるのに)萌え絵が野放しなのはおかしい、そっちを規制しろ」と言う趣旨の事が書かれていた為、釈放後、なぜか、わたしが過激な表現の自由主義者たちに攻撃されたのです。
わたしは何かの表現を規制しろなどとは言ってないし、それどころか後にお分かりのように表現の自由を主張している為、非常に驚き、当然否定したのですが、「わたしは違う」と何度言っても彼らの攻撃は緩むどころかますます激しくなり、中にはほぼ毎日わたしのツイートに張り付いて粘着する人もいました。

彼ら曰く、「北原みのりの店でバイトしてるんだから、表現規制派に間違いない」との事で、驚き呆れました。
そう言うあなたは、あなたが働いている会社やバイト先の社長や、学校の先生と、全く同じ主義主張なのですか?
大学で単位取得のために受けただけの講義の教授が極端な主張をする学者だった場合、それだけで「あいつも同じ」と決め付けるのでしょうか?

友達同士や会社の同期がみんな全く同じ考えである訳がないし、そうだったら気持ち悪いのに、なぜか「同じ所属先」だけで簡単に○○派だと思いこむ人が世の中には多いです。
こういう人達には、敵を知るために反対勢力の講演会に行って情報集めする行為も許されない事になるのでしょうか。なんと効率の悪い考え方だと思います。
しかし、それ以上に怖いなと思うのは、一度こうだと思ったら頑なに相手をそうみなし、本人が「違う」と言っても認めず、ますます言いがかりをつける人達の妄想力です。考えてみれば、twitterには主義主張を問わず、そういう人がたくさんいますね。

さて、今でこそ、わたしは「表現の自由暴れん坊将軍」と呼ばれ、すっかり表現の自由の人というイメージですが、7年前のあの頃にわたしを規制派だと決めつけた人達は、ほんの数名の方をのぞいては、特に謝罪はありません。きっとお忘れになったのかもしれません。
わたしももう、彼らのアカウント名すら覚えていませし、今更謝罪も求めていませんが、非常に不愉快な思いをした気持ちは忘れる事ができません。
本人が否定している事を、お前はこうだと言い張り続けるのは、明確な嫌がらせですので即刻やめていただきたい。

改めて、よもぎ団子さんの「献血ボイコット」自体は決して許されない行為だったと思いますが、
かつてわたしを表現規制派と決めつけたものの、その後無かった事にして今は仲間かのように振る舞っている人達に比べたら、誰も聞いてないのに自分の非を認められるよもぎ団子さんは、その点においてはやはり立派だと思います。

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男とか女とか右とか左とかオタクとかフェミとかいう属性には関係なく、「そういう人はそうなんだ」と改めて思った事など

前回のブログで、アメリカで活躍されるプラスサイズモデルの藤井美穂さんの、ラブライブ!キャラクターのスカート丈を修正した動画ツイートへの批判を書きました。
正直、藤井さんにはブロックされると思っていたら、予想に反して丁寧で真摯なお返事をいただき、twitter上で数回やり取りする事ができ、とても嬉しかったです。
藤井美穂さん、ありがとうございました

やり取りしても、やはりお互いの意見が変わる事はありませんでしたが、わたしにとっては意見の違いは特に重要ではない事を改めて実感しました。
藤井さんがご自身の身体を高らかに謳歌し表現する事で、他の女性に勇気や励みを与えるでしょうし、わたしも大いに励みを得ました。そんな素晴らしいご活動をいちフェミニストとして尊敬し応援したい気持ちは全く変わらないからです。
意見は違えど、ブロックや拒絶せず、お互いを尊重し意見交換すると言う、よく考えたら当たり前の話でも難しい現代SNSで、それができた事を嬉しく思い、殺伐としがちなtwitter上で心温まる出来事でした。

さて、今日はツイッター論客の青識亜論さんのツイキャスに呼んでいただき、久しぶりに生配信に参加させていただきましたが、まるで藤井さんとのやり取りのような嬉しい気持ちになれました。

テーマは、やはり最近のツイフェミ(わたしはふしだら憲兵と呼んでいます)についての雑感で、それについての意見や思いはフェミニストではない青識さんとなぜか意見がほぼ一致するわたしなので、特に荒れることのないトークだろうとは思っていましたが、予想以上に楽しい展開となりました。
配信中に、最近の過激なツイフェミ代表人物であるよもぎ団子さんも突然参加される事になったのです。

よもぎ氏は宇崎ちゃんの献血ポスター騒動時に「献血ボイコット」呼びかけなど軽率な発言の多い人でしたし、わたしにも批判的で、気付いたらブロックされていたので良い印象は全くありませんでした。
が、実際のよもぎ氏は、失礼ながらツイッターでのおかしな発言と違い口調も物静か。またツイキャスに参加する際の自己紹介時、その献血ボイコット発言に件について、誰も聞いてないのに謝罪されました。
自分が悪いと思った事を、自ら素直に謝れる人は立派だし誠実です。
一気によもぎ氏の好感度が上がりました。

なぜこんな誠実そうな人が他人をブロックするのか?

疑問に感じて思わず質問したところ、よもぎ氏曰く、わたしとのやり取りが嫌なのではなく、わたしがよもぎ氏への批判をツイートすると、わたしの意見の支持者の中でも過激な人達がよもぎ氏を攻撃してくるのが怖いからだそうです。非常に残念です。

「言いたい事を言えば、誰かに何か言われるのは当たり前」、わたしはそれにすっかり慣れてますが、そこまで耐性のない人が大量に批判を受けたら、確かに怖く感じるでしょう。
また、わたしの意見の支持者の中でも過激な人達がいるのは事実で、誰かをクズ、クソ、と罵倒するような人達には、わたしも以前から気になっていました。気づくものに対しては「いくら正論でも、相手を罵っては説得力がなくなって損ですよ。」と呼びかけてはいますが、もっと強く主張した方が良いかもしれないと意識を改めました。(わたし自身も、過去に菅野完氏に対して「クズ」「クソ」など言っていたことを反省しております)

とはいえ、この機会がなければ話す事すらなかったであろうよもぎ氏の真意を聞けて、わたしは非常に良かったです。
相手への印象が変わると、異論であっても聞く耳を持とうと思えるのも不思議な物です。
よもぎ団子さんも、わたしと同じ思いを感じられたのか、ツイキャス後にブロックを解除され、フォローしていただきました。よもぎ団子さん、ありがとうございます。
またこの場を設けてくださった青識亜論さん、ありがとうございます。

ところで、そんな感想をツイートしたところ、青識亜論さんとトークイベントをした石川さんが皆さんに好印象だったにもかかわらず、その後掌を返すように青識さんを罵ってブロックした事例を持ち出し、「(どうせ裏切られるのに)正直、ここまで学習能力がないとは思わなかった」「騙されやす過ぎ、ちょろい」などと言う人達がいました。
それだけでなく、「(何度も失言を繰り返すよもぎ氏を)擁護した事を軽蔑する、許せない」とまで言う人がいたのは流石に驚き、ある出来事を思い出しました。

わたしの逮捕騒動時、わたしの弁護団に「山口貴士というオタク弁護士は絶対入れるな」と某フェミニスト達に言われたものの、表現の自由やワイセツ案件で実績のある山口先生を外すことは考えられず、弁護団の一員になっていただいたのですが、それを機に、わたしは「裏切り者」としてフェミニスト界隈から実質追放されました。

よもぎ氏を「誠実な人だ」と評価して相互フォローになったわたしを「軽蔑する、許せない」と言う人の不寛容さは、気に入らない表現をつぶそうとし、対立者とは対話せず拒絶し、わたしを裏切り者と呼んだ某フェミニスト達の態度にそのまま当てはまるのではないでしょうか。
実は以前から思っていた事ですが、結局、男とか女とか右とか左とかオタクとかフェミとかいう属性には関係なく、「そういう人はそうなんだ」と言う事でしょう。これは大変興味深い事です。

冒頭でも言いましたが、意見が違うだけの人と普通に会話することが、今のSNSでは特に困難です。
しかし、多様性を謳うなら、そんなの当たり前の話にしていかなくてはなりません。
よもぎ団子さんとわたしが相互フォローになったからと言って、特に世界がが変わるわけではありませんし、相変わらず規制派は気に入らない表現を批判してなくそうとしてくるでしょうし、今後もますますよもぎ氏とは意見が食い違うと思います。
でも、それこそが「多様性」ではないでしょうか

氏は同じ失言を繰り返しているそうなので、「絶対に許すな」と、まるで犯罪者のように言う人もいますけど、それでも、わたしは自分の意志は変えませんし、「反対論者同士が拒絶ではなく共存することが大事」だと思います。そこから、お互いが不満に感じる事をどうすり合わせていくのか、冷静に話し合う壇上に登れるからです。
それに正直、敵対はもう疲れました。
どうしてもよもぎ氏を許せない人達には同調できませんから、「ろくでなし子は騙されやすくてちょろい」と思ってくださって結構です。

余談ですが、よもぎ氏が、「下ネタは大好き」だけど「まのつく3文字は恥ずかしくて言えない」と仰っていた事にも、なぜそう思うのか、いつか理由も伺ってみたいです。
なぜなら、まさにわたしがその疑問を持ってアートを作っているからです。
そして、よもぎ氏のようなツイフェミの皆さんが、「なぜまんこと言ったら恥ずかしいのか」、その根源的な理由を考える事から『「性的」とは何か』についての議論が始まるのでは、と思うのです。

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ラブライブキャラクターポスターのスカート丈を加工した動画をUPした藤井美穂さんを見て、「そんな着方は恥ずかしいわよ」と着物の着付けを勝手に直してくる着物憲兵おばさんを思い出した事など。

今度は、ラブライブというアニメのキャラクターを採用した沼津のJAなんすんのポスターが、またもやフェミニストakaふしだら憲兵さんから「性的だ」として批判され、炎上しています。

わたしは最近、自分がフェミニストである事を疑う事ばかりです。フェミニストを名乗る人達がやっている事に全く賛同できないからです。そして、いちいち反論する事にも段々と疲れや虚しさを感じています。実はこのブログを書く気力も萎え、ずっとパソコンの前でぼんやりしてました。
わたしが何かを言っても言わなくても世界は何も変わりませんし、フェミニスト達は、この件に飽きたらまた新たなターゲットを探して攻撃するでしょう。

とは言え、このラブライブのキャラクターのスカートの陰影描写に物申す人が、スカート丈やシワが不自然すぎるとし、「この方が健康的だ」と言って、丈を伸ばす加工動画をUPした事に、なんともいやぁな気分になったので、気分を消化する為、「自分の為に」書く事にします。

さて、件の動画をUPしたのは藤井美穂さんという方で、ご自身のふくよかな体型を生かし、アメリカでプラスサイズモデルとしてご活躍との事。Twitterのアカウント写真も堂々と胸の開いた赤いドレス姿で素敵です。

わたしは「なんとフェミニストらしい人だなぁ」と思いました。
日本ではコンプレックスと受け取られがちなふくよかな体型を、チャーミングな長所に変え、お仕事としてご活動されて、とても幸せな人生だと思います。
かく言うわたしも、自分のまんこに対して「汚い、臭い、気持ち悪い」と言う嫌なイメージを世間から植え付けられている事に反発し、まんこを「面白くて楽しくて笑える物」に変える作品を作って来ました。
だから、自分が「他者から欲望される物を男性に捧げる」のではなく、「自分の意志で」自分の体を高らかに表現し謳歌することの楽しさや素晴らしさについては、藤井さんと共感する事ができると思っています
ですが、わたしは藤井さんのあのラブライブのキャラクターのスカート丈の加工動画には、全く共感できませんでした。そして、ある事を思い出しました。

わたしは30代の頃、着物にハマってました。訪問着の様な高級着物ではなく、古着や木綿の安い着物を洋服と合わせたりカジュアルに着るのが好きでした。
でも、自分なりに「これがかわいくてオシャレ」と思って着ているのに、街を歩いていると、突然わたしの着ている着物の襟を正し出したり、帯やおはしょりを勝手に直してくる憲兵の様なおばさんが必ず現れるのです。
こちらは訪問着みたいな着方や合わせ方が嫌で好きにしているのに、「そんな着方じゃ恥ずかしいわよ!」と、「おばさんが思う正しい着方」に直され、ひどい時は聞いてもいないのに着物の格についての説教を聞かされる。そういうことが続いて、だんだんと着物を着るのが嫌になってしまい、そのうち着物を着なくなりました。
それから10数年後、日本を出てアイルランドに住む様になってから、わたしはまた着物を着るようになりました。
ここでは「その着方はおかしい」と他人の着物の襟や帯やおはしょりを直そうとしてくる着物憲兵はいませんし、どんな着方をしていても「ジャパニーズキモノ、ソービューティホー!」とみんな適当に褒めくれて、とても居心地いいのです。
他人が干渉してこない方が「着物をもっと着たい」と思え、着物の購買意欲も高まりますから、着物文化を広めたいなら、着物を知らない人や若い人の好きにさせる事が一番ではと思います。

話が長くなりましたが、わたしは藤井さんの動画を観て、あの時のいやぁな気分を思い出したのです。

藤井さんは、問題の絵のキャラクター:高海千歌ちゃんが、「男性の都合に併せた姿態を演じさせられている意志のない人の様に感じられる」のではないでしょうか?
実はわたしも、少し前までは、萌え絵を見ると勝手にそう感じてイラついてました。
萌え絵の女の子は、なぜか内股でおしっこ漏れそうなのを我慢しているみたいだし、常に困った様な笑顔だし、男に「やらせて」と言われたら簡単にやらせそうで、「しっかりしろよ!」と言いたくなった物です。
萌え絵のキャラクターに自分の考える物差しや価値観を当て嵌めて見ると、服のシワやら胸のふくらみやらスカート丈まで、実在の人間にはありえない矛盾ばかり見えてきます。
そうです、これって、わたしの着物の着方に文句を言って来た着物憲兵おばさんと一緒なんですよね。
つまり、かつてのわたしや今の藤井さんは、女性(単なる創作物に過ぎない物でも)に対して、勝手に「自立した女性とはこうあるべきだ」とする、実にフェミニストらしいステレオタイプな価値観を押し付けているのです。相手がリアルな人間ではないぶん滑稽ですが。

多様性の時代と言われる様に、今は人々がそれぞれの考えを持つ事が当たり前となっています。その流れが急速すぎるのか、「自分が良いと思う物」が、他人には全くそうではない事がわからなかったり、アップデートできない人がいます。
そもそも、萌え絵は創作物であって、実在の人間ではありません。
男性オタクでも、二次元にしか興味がない人も沢山います。実在の女性が何をしようが、どんな服を着てようが、知ったこっちゃないのです。
オタク達は創作の世界で楽しんでいるだけなのに、勝手に自己投影して文句を言うフェミニストという女達が意味不明でしょう。
それに、高海千歌ちゃんの様な絵が好きな人は、何も男性ばかりではありません。
萌え絵には女性ファンが大勢いますし、萌え絵師が女性である事もごく普通の事で、
ファンの女性がキャラクターに自己投影してコスプレするのも普通の事です。
その人にはそれが「カワイイ」し、自分にとっての理想だと思うから共感できるのでしょう。
どんな女性でありたいかは、人それぞれのはず。
フェミニズムとは、選択の自由を増やそうと言う思想です。
これが「カワイイ」と思ってそのスタイルをしたり、絵に描いたり、表現したりする事も、当然、その人の立派な強い意志によるものだという事を、なぜかフェミニストは無視しがちです。
藤井さんや、オールドタイプのフェミニストが考える理想の女性象の方が、もしかしたら、今の日本では少ないかもしれません。

「フェミニストから見て、好ましい女性であるかどうか」

そんな価値観で同じ女性(しかも創作物であるキャラクター)の見た目や服装を「あんた、それじゃダメでしょう」「恥ずかしいわよ」と正そうとする事に、わたしはフェミニストの傲慢さを感じます。
そんなことではますます「やかましいおばさん」としてフェミニストは嫌われて理解されず、せっかくフェミニズムに興味を感じた若い人も、ウンザリして離れて行くだけでしょう。

茜さやさんと言う、胸の大きな女性モデルさんを起用した広告が最近炎上しましたが、
フェミニストが、茜さんの様な女性は許せず批判し、藤井さんのモデル活動は批判せず、むしろ称賛している様なのも、なんとなくですが、そこに通じる話ではないかと思います。
(茜さやさんのTwitterの自撮り写真投稿などを改めて見ると、萌え絵のキャラクターの様な独特の雰囲気である「カワイイ」を感じます)

最後に、藤井さんに質問させて下さい。
ご自身のモデルとしてのご活動を見た人が、藤井さんに「性的な事をするな」と言って来たり、直接グイグイと藤井さんの襟元や胸元を正そうとして来たら、どう思われますか?
「わたしが好きでやっているんだ!邪魔するな!」とフェミニストらしく怒る事でしょう。
もしも、創作物である高海千歌ちゃんがリアルな人間だったら、
「わたしだって好きでやっているんです。スカートの丈を勝手に直さないで。」と、藤井さんに言い返すのでは
ないかとわたしは思うのです。

中部大学の玉田敦子教授には、教育者として「ヘイト」の大安売りをしないでいただきたい

数日前に、この様なブログを書きました。「髙崎順子さんとひろゆきさんのハフポスト対談コラムを「有毒」だと言う中部大学の玉田敦子教授にお伝えしたいこと」

まず玉田教授からのコメントはないであろうと期待していませんでしたが、予想に反してご返信をtwitter経由で頂きました。玉田教授、ご丁寧にありがとうございます

教授曰く、

との事。
そこでわたしはこの様にお返ししたところ、

との事でした。

わたしは思わず「ヘイトスピーチ」について、辞書で調べ直してしまいました。しかし、何度読み返しても、ひろゆきさんの発言に、ヘイトの定義の「(英: hate speech)人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する言説」を見出す事はできませんでした

繰り返しますが、ひろゆきさんはご自身の母親から感じた女性の印象を語っただけなのにデマと呼ぶのも意味不明ですし、(フェミニストやフェミニズムと言う言葉は使わない方が良いとは仰っていても)フェミニズムの根底にある「男女平等」思想そのものは否定されていない様に見えます。
特に後編では、実際に日本の男性が家事分担の偏りがある事も認め、女性の政治家を増やしたいなら男女の議員数を同数にすべきだ等(それが独時の見解ではあっても)、むしろ建設的な会話がなされており、女性嫌悪や女性蔑視を感じる言説は見当たりません。
そしておそらく、ひろゆきさんと同じ様な意識の男性は、日本ではそう珍しくないでしょう。その程度の事でも許せない話となると、議論の壇上に上がる事もできません。
また、これが「ヘイト」なら、女性がよく言う「男ってバカよね」や、鼻垂れ坊主の「お前のかーちゃんデベソ!」も、「ヘイトスピーチ」になってしまいます
そこでわたしは、

とご返信しましたが、玉田教授からのお返事は今のところ無い様です。

ここ数年は、かつては蔑ろにされて来た、マイノリティと呼ばれる人達〜性差別や性犯罪被害や民族差別を受けて来た人達〜の発言力がSNSを通して活発になっています。彼らが声をあげられるようになった今はとても良い時代です。
ですが同時に、「傷ついた!」と思えばすぐに「ヘイトだ!」と言う人達も増え、実際には「ヘイト」の意にそぐわないことであっても誰かを「ヘイトスピーカー」と断定し、「ヘイト」と言う言葉を大安売りする人達をtwitterでも頻繁に見かけるようになりました。
自分にとって都合が悪い事を言う人を「ヘイトスピーカー」と言う加害者に仕立てれば、相手を黙らせる事ができるからです。
わたしはそこに、相手を悪者に貶める卑怯さや、言論の自由を損ねる危険を日々感じています。
それと同じ事を、いち大学教授が率先してやっている事、まるで「ヘイト」と言う言葉を、鼻をかんだティッシュの様に使用される事に、驚きと、強い危惧をますます強めております。

もう一度、懲りずに玉田教授にお伝えします。

ひろゆきさんのような女性観は、フェミニスト学者様におかれては都合が悪いのは分かりますが、まずは世の男性のリアルな意見を耳を塞がずに聞き入れ、現実を受け入れる事が大事です。
そして、我々フェミニストの意見も理解される様すり合わせ、異論者同士でも共存する方法を探っていくのが教育者のすべき事ではないでしょうか?
このままでは、フェミニストとは、何か言えば「ヘイト」と言い、人の話を全く聞かない極端でヤバイ人達の集まりだとして、ますます世の中からドン引きされるだけです。

ハフポストの当該対談コラム相手候補者も、何か言えばフェミニストの社会学者に「ヘイト」と罵られるようなら、誰も喜んで受けてくれなくなるでしょう。
言論の自由の為に、この様な事があってはならないと強く思います。

*ちなみにその後、髙崎順子さんからもご丁寧なご返信があり、対談コラムの連載は引き続き行われる様で少し安心しましたが、今後もこの様な異常な批判がフェミニスト学者から起きた場合、わたしは同じフェミニストの一人として批判し続けます。
(同じ批判は、フェミニスト学者内部から声は上がっているのでしょうか?わたしは聞いた事がなく、その事実が信じられません)

ひろゆきさんに言われても、やっぱりわたしはフェミニストをやめないし、フェミ嫌いな人との対話を心がけていきたいです。

筆不精なのに、今日で連続4日もブログを更新しております。

数日前から炎上しているハフポストの髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの件。
単に個人の意見を述べただけなのに、フェミニスト達から異常に批判されたひろゆきさんご本人も思うところあったのか、ガジェット通信でご意見の記事他者に敬意を払わない集団とフェミニストの先鋭化。をアップされていました。
「レディースデー」「女性専用車両」などの事例を挙げ、日本と海外での比較論や、ひろゆきさんが「フェミニストではなく差別主義者」と認定した数名の方への批判や反論の後の〆として、わたしへの呼びかけと、拙ブログのリンクも貼って頂いていたのには驚きました。

”というわけで、フェミニストの人はフェミニストじゃない人の状況も見えてないし、海外のこともあんまり見えてないし、行動パターンがネトウヨに似てきてるので、やっぱりまともな人は「フェミニスト」を名乗らないって選択をしちゃうんじゃないですかね? ろくでなし子さん。”

やはりわたしはまともではないのでしょう。
ネット界では影響力の大きいひろゆきさんにこう言われても、相変わらずフェミニストを名乗る事にわたしの意志は揺るぎません(^.^)
それより、不肖わたしに呼びかけて頂いたのが嬉しく光栄でした。記事全体についても楽しく読ませていただきました。

この記事をまた批判している方々もいますが、そういうのはそちらにお任せするとして、わたしは共感した点を挙げてみます。
これはわたしも実際に欧州に住み、欧州文化に触れて実感した事ですが、

「日本は専業主婦・主夫をかなり優遇する仕組みを持っている」
「フェミニストは働く女性が云々の話はするが、世の中には働きたくないけどお金は欲しいという人が大勢いるってのが見えてない気がする」

欧米といってもわたしが住むアイルランドはまだ保守的で日本に近いので、専業主婦であるわたしがさほど生きづらさを感じることはありませんが、特に男女平等が進んでいると言われるスェーデン人のママ友がこんな事を言っていました。

「スェーデンではあらゆる福祉が整っていて、女性が出産するとベビーシッター補助も付くので働きたい人はいつでも働ける(1年間の産休を取るのが普通だと言う人もいます)から、女性でも働かないで家にいると「なんで働かないの?」と言われる事もある。自分は今、子供達と家で過ごすのが楽しいし、ここ(アイルランド)にいると、そういう空気がないから、すごくラク」

念の為、これは、いちスェーデンママ友さんが言っていただけで、スェーデン人の総意ではありません。
でも、男女平等を徹底すると、外で働くより家事や育児が好きな人が窮屈に感じる世界にもなり得るのが興味深いです。
わたし自身、今は必死で働く必要がなく、家事や子供のお世話をしながら自分の時間を持ってのんびりできる専業主婦と言う生き方に、とても満足していますが、ここで「男女平等なんだから、女も働け」という空気を感じたら、わたしは生きづらいと思うでしょう。

わたしは、フェミニズムとは、男女平等はもちろんですが、女性の権利や選択の自由を増やすことだと捉えているので、当然「専業主婦でいたい人の自由」も尊重されるべきだと思います。
ですが、現在のフェミニストには「専業主婦」を否定したり見下し、働いている女性をよしとする暗黙の空気の様な何かを感じてしまいます。それって、結局女性差別や選択の不自由さでは、と思います。
「専業主婦は旦那に何かあったり死んだら終わり、何も考えてないバカ」とあからさまに言う人もいますが、「働いている人も何かあったり死んだら終わり」でしょう。
どの様な生き方であっても、その人が選んだ生き方を、他人が勝手に気の毒がったり蔑むのはおかしな事です。
せっかく日本には、働きたいくない女性が優遇される面もあるので、そこについてまで否定しなくてもいいじゃないかと思います。
ですから、ひろゆきさんの、「なんでもかんでも欧米の真似をすればいいってものではなく、日本は日本の文化と生活習慣に会わせて取り入れていけばいいと思うんですよね。」と言う意見に同意します。

さて、ひろゆきさんの言っている事に怒るどころか共感部分が多いわたしが、ひろゆきさんがウンザリされている「フェミニスト」であり、それを名乗る事を止めようとは一切思っていないのが、我ながら不思議です。
今や悪いイメージしかないフェミニストを名乗る事になんのメリットもありませんが、わたしがもし、メリットの可否で何かを選択できる常識人だったら、そもそもまんこのアートをしていません。他人から見てデメリットでしかなくても、わたしがわたしである為にやっているのです。

ただ、ひろゆきさんが仰る通り、差別主義者の様なフェミニスト達の横行や先鋭化が非常に気がかりです。
特に、いち男性の単なる個人的な意見についても「有毒だ」と言い、人間を敵か味方でしか見れないフェミニスト(大学教授や学者に多い)が、これからの若者に「有毒」で心配です。
教育者なら、違う意見の人も尊重し共存していくにはどうしたら良いかを、若い学生達と一緒に考えてほしい
ものです。

この様なフェミニスト学者達の結束は強いので、どの様に対処していけば良いのか?
わたし一人では、正直どうしたらいいか分かりません。
ならばこそ、フェミニズムとは無関係な人や、フェミが嫌いな人達の意見をもっと聞き、時にはフェミニストが見えていない事を教えていただける様、わたし一人でも、対話を心がけていこうと改めて思いました。
閉塞したフェミ学者様達には何も届いていなくとも、ブログで思いを伝えたこの数日で、「ろくでなし子さんの考えるフェミニズムなら応援したい!」と言う声を沢山かけていただきましたから、何もしないよりは、ずっと効果を感じます。

遠いアイルランドにおりますが、スカイプやライン通話もできる時代です。フェミニズムに関わる問題での話し合いの場がありましたら、気軽にお声がけください。
よろしくお願いいたします。

髙崎順子さんとひろゆきさんのハフポスト対談コラムを「有毒」だと言う中部大学の玉田敦子教授にお伝えしたいこと

ハフポストでの、髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの炎上が続いている中、後編がUPされました。

これを読み、「前編よりもずっと良い」と言う人もいましたが、わたしは相変わらず前編の何が一体ダメなのか、さっぱりわかりません。だって、ひろゆきさんは質問に対して個人の意見を述べているだけですよね。むしろ、後編はやたら注釈が多く、ハフポスト編集部からもナゾの謝罪文があり、フェミニストの逆鱗に触れないよう、気を遣って慎重に慎重に書かれていて気色悪く感じました。
(よろしければ、わたしの前編ついての感想 と オマケも併せてお読みください)

フェミニズムへの思いを専門外の人が気軽に語ると、フェミニストに怒られる。
そしてメディアもそれに忖度する。
これでは、フェミニズムへの理解が深まらないのも当然です。
わたしはフェミニストの一人として、非常に情けなく思います。

怒って批判するにとどまらず、『一般の皆さんは読まなくていい』とし、コラムをまとめている髙崎さんに対して『後半(のコラム)で(髙崎さんがひろゆきさんを)論破されているならば、なるべく早く公開して解毒してほしい。有毒すぎる。』とTwitter上で要求するフェミニストの大学教授がいると知り、恐ろしくなりました。
中部大学の玉田敦子教授、この方のもとで学んでいる学生達の事を考えるとわたしは勝手に心配になって来ます。

思い出してほしいのですが、当コラムは、髙崎さんが『専門家でなくても、より身近な「私ごと」として、フェミニズムに触れられないだろうか』という趣旨でスタートした物です。なぜ、いちフェミニストの教授の意に沿わないだけで、有毒だと決めつけられ、相手を論破しないといけないのでしょうか?

髙崎さんは、これに対して丁寧に「有毒性とは何か具体的にご指摘を」と聞かれていましたが、玉田教授はこれに答えず「(ひろゆきさんという)相手を選んだご自身で責任をとられた方が良い」とのこと。DVモラハラの夫に責められた妻がどこが悪いのか尋ねると「自分で考えろ」と言う論法とそっくりで、わたしはますます怖くなりました。

わたしは同じフェミニストとして、フェミニストの学者である方がこの様な態度を取られている事を見るに耐えませんので、無駄とはわかっていても、玉田教授に以下の事をお伝えしようと思います。

今、フェミニストと言えば、一般人には「何か言えば攻撃してくるヤバい人達」というイメージになっています。異論反論を拒絶すればするほどヤバさ高まる一方です。これでは、フェミニストの意見や主張など、社会に通るはずもありません。
もしも教授が日本のフェミニズムの未来を真剣にお考えであるなら、どうかフェミニズムに無理解な人の話にこそ積極的に耳を傾けてください
わたしは「反論を受け入れ肯定しろ」とは言っていません。
世の中には、違う意見の人達がいる。それを知ることが大事なのです。
そして、教授が本当に教育者であるならば、違う意見の人も尊重し共存していくにはどうしたら良いかを、若い学生達と一緒に考えてほしいです。(丁度、髙崎さんも「フランスでは違う意見の相手を尊重しようと言う教育が徹底しており、日本でもその作業が必要ではないか」と当コラムで仰っています)

わたしの意見など、当然教授はガン無視されるでしょう。同じフェミニストからの反対意見であっても「聞かなければ、無かった事にできる」のです。
しかし、その様な態度こそ、「女子供の話なぞ聞かなくていい」と言って来た、我々フェミニストが敵対して来たはずの家父長と同じ態度ではないでしょうか。

つまり、今のフェミニズムに「有毒」なのは、玉田教授の様な閉塞的で不寛容な態度では無いでしょうか。

フェミニストを名乗る社会学者や人文学者の先生方には玉田教授のような思考の方が多く、もはや驚く事もなくなってきましたが、同じフェミニストであるわたしの思いを「無かった事」にはされたくありません。今まではTwitterでぶつくさ言っているだけでしたが、Twitterだと流れてしまってそれこそ「無かった事」になる。
ご本人には届かなくても、フェミニストの中にはこの様な考えの者が少なくともここに居る事を、一人でも多くの方が目に留めてくださる様、拙ブログに書き留めておきます。

*当該コラムに関するわたしの感想を書いた一連のブログ内で、髙崎順子さんの事を「高崎さん」と漢字を間違えて記述しておりました。お詫びいたします。

*こちらのブログに、玉田教授からご返信をいただきました。その件につきまして更新しました。併せてお読みください。