I Stand Against the “Ban Child Sex Dolls” Petition

(by Rokudenashiko, translated by MayNyanNyan;@satsumaMay

There seems to be another unsettling free expression restriction movement. This time they are trying to ban love dolls (primarily ones which look human in order to simulate sex).

After some research, I found out that this petition was created by American activists a couple of years ago, but recently I came across it on Twitter. Seeing many people agreeing with the petition, I was alarmed that there are over 170,000 names on the petition.

I read the English introduction to this petition, and found out that this activist describes those who use love dolls as “[t]hese child sex dolls can normalize a pedophile’s behaviors, emboldening them to harm children, as is often the case with those who view child pornography.” Love doll users are described as if they are going to become criminals.

Is this not an extreme bias and discrimination against love doll users?

Of course, sexual abuse towards real life children should never be condoned, and those who assault children in this way should be punished heavily.  And of course, the true aim of the petition, which is to end sexual assault crimes, is correct.

However, those who use the dolls for self-pleasure are merely using a doll, and are not hurting anybody.

In this world, there are many different kinds fo sexual preferences.  There are people sexually attracted to and aroused by the presence of someone of a different sex or gender, and those who are exclusively attracted to the same sex or gender. There are people who are sexually attracted to people of all genders, to dolls, to little girls or boys, to shoes, to buildings, and to inanimate objects that look nothing like humans. There are people who wish to hurt or eat others for sexual gratification, as well as people who do not feel sexual desires at all.

Whatever the character of a sexual desire (or the nonexistence of it), and even if nobody can understand it, nobody has the right to invade other people’s freedom to feel how they feel.  As long as that person does not harm real life beings, and only becomes sexually aroused within their fantasies, that is not a crime.

It is regrettable and quite unsettling that even such a simple principle cannot be understood by those whose emotions of disgust, fear, and unforgiving anger become their primary motivation behind actions and words.

I am not sexually or romantically attracted to other women. However, perhaps for some gays or lesbians, being able to love a person of different sex or gender may seem disgusting. We live in a world where heterosexuals are the overwhelming numerical majority, but it is up to individuals to decide what they like or do not like. Negating another person’s sexual preference or attraction because you cannot understand it, is I believe, an outright discrimination.

It was not so long ago that people attracted to the same sex or gender were harshly discriminated as a “sick and disgusting existence” in society. Today, as the term LGBT has come into common language, such sexuality is much more accepted. A society that supports diversity yet tries to restrict love doll users is acting against the principle of accepting and celebrating diversity. As a feminist, I strongly oppose this petition.

Recently, there has been a series of similarly unsettling cases against free expression and the freedom to feel a certain way, such as the protest against the Uzaki chan blood donation poster, LoveLive’s Mikan poster, as well as demanding for Takashi Okamura to be fired from his NHK show, and this petition against love dolls. Quite frankly, I am becoming tired of expressing my opposition to every single case.

It is much more fun studying about 3dCG or thinking about the plarail (plastic train models) I play with my son. Those activities make me forget about time, and make me feel extremely fulfilled, so to be honest, I do not want to talk about these issues.

However, I am blocked by Japanese feminist academics on Twitter, and if I remain silent, my protest would be treated as if it did not exist. Even if it is a tiring and cumbersome work, I must continue to express my opposition.

And I want to say to those who began this petition or have agreed to it:

Why are you criticizing people or things that you dislike and will never have to interact with? I find it far more enjoyable to pass time doing something I love.

署名「Ban Child Sex Dolls」に反対します

また、おかしな表現規制の動きが出ている様です。彼らは今度はラブドール(主にセックスを疑似的に楽しむ為の人間に似せた人形)を規制したいらしいのです。

調べたところ、この署名はアメリカの発起人により数年前に立ち上げられた様ですが、この数日twitterでも賛同や同調の声を見かけ、現在17マン筆以上の署名が集まっていると知り、わたしは恐怖を感じました。

英文を読んでみましたが、この発起人はラブドールを使ったり所有する人の事を「幼女型の人形で実在の幼女へのセックスの練習をしている」とし、まるで犯罪予備軍かの様にみなしているようです。

これはとんでもない偏見と差別ではないでしょうか。

もちろん、実在の児童に対して虐待や性犯罪をすることは、決して許される行為ではなく、犯罪者は重い刑に処すべきですし、性犯罪撲滅を目指す思い自体は間違っておりません。

ですが、人形でオナニーをする人達は、あくまでも人形を使っているだけで、誰の人権も傷つけてはいません。

世の中には、自分には理解できない性癖の人が存在します。

異性の人間に性的に興奮する人と同じ様に、同性の人間に(しか)興奮しない人、同性も異性もどちらにも興奮する人、人形に性的興奮する人、幼女や男児に性的に興奮する人、靴や建物等のもはや人間の形ですらない物に興奮する人達や、人間を傷つけたり食べたいと欲望する人、そもそも性欲がない人まで様々です。

それがどんなにおぞましく万人に理解できない欲望であっても、誰にも他人の内心の自由を侵害することはできませんし、その人が実在の人間に加害をせずにただ空想の中で欲情するだけなら、それは罪ではありません

こんな単純なことでも、「気持ち悪くて」「おぞましい」から「許すまじ」という感情が優先してしまう人達には理解ができない様で、恐ろしい事です。

わたしは同性の女性を恋愛や性欲の対象にはどうしても見れません。でも、同性愛者にとっては「異性を性的に愛せる方が気持ち悪い」事でしょう。異性愛者が世界で圧倒的多数なだけで、何を好み何を不快と思うかは人それぞれです。自分には理解できない他人の性欲を否定するのは、はっきりと差別行為ではないかと思います。

少し前までは、同性愛者の人達が「おぞましい存在」だとして激しい差別を受けていました。今ではLGBTという言葉も定着したように、ごく当たり前に受け入れられつつあります。多様性を謳うはずの社会が、ラブドール愛好者を規制しようとするのは、多様性のある社会とは逆行する考えです。わたしはフェミニストの一人として、このアメリカの署名に対して強く抗議します。

最近は特に、宇崎ちゃんの献血ポスターへの抗議、ラブライブのみかんのポスターへの抗議、岡村隆史さんのNHK番組降板要求や、ラブドール規制の署名など、おかしな抗議が多く、それに逐一抗議するにもわたしは疲れを感じています。

3dCGの勉強や息子と遊ぶプラレールの事を考える方がよっぽど楽しく、時間を忘れるほど充実した気分を得られるので、正直、こんな話をしていたくないんです。

とはいえ、わたしは日本のフェミニスト学者からもなぜかtwitterでブロックされており、黙っていては「無かったこと」にされるだけ。面倒で疲れる作業でも、抗議を込めて主張し続けるしかありません。

そして、この署名を立ち上げたり賛同した人達に言いたいです。

なぜあなた達は、自分が一生関わる事もない嫌いな誰かや表現物を、わざわざ叩いて回るのでしょう。自分が好きな物に夢中になる方が、ずっと楽しいですよ

東京経済大学准教授の澁谷知美氏及び日本のフェミニスト学者達は「フェミニズム」や「教育」とは何か、その本質を今一度考え直していただきたい

コロナ禍で、相変わらず困難な状況が世界中で続いています。
辛く苦しい日々ですが、コロナによって、従来の考え方や価値観が良くも悪くも激変し、物事の「裏面」も明らかになって来ました
例えば、このウィルスが流行りだした頃、日本から見て「人権意識が高いはずの欧米諸国」では、あからさまな中国人(アジア人)差別が見られました。拙宅があるアイルランドでは、中国人というよりイタリアからの渡航者がよりウィルスを拡げたのですが、不思議な事に、アジア人に罵声を浴びせる酔っ払いはいても、イタリア人差別は全く見受けられませんでした。
きちんとした機関だとなぜか信じていたWHOのテドロス事務局長も、中国に買収されているのではないかと思える発言を繰り返しています。
また、ウィルス感染者や死者数も、日本は海外と比べ、厳しいロックダウンでもなく罰則もないゆるい自粛要請だけなのに、圧倒的に少ない事が、海外でも奇妙に受け止められました。
これは、日本が国民皆保険で、病院に予約なしでアクセスできる事、海外と違って医療関係者の方々もブラックな働き方に日頃から慣れていた事(これは手放しで喜ぶべき事ではありませんが、医療関係者の方にはとにかく感謝しかありません)、室内土足は禁止の文化で、手を洗ったり毎日風呂に入る事が当たり前である日本人の公衆衛生観念の賜物ではないかと思います。
なんでも「日本はダメだ、欧米は進んでる!」と自国を卑下する人はよくいますが、コロナを機に、「日本って欧米よりちゃんとしてるじゃん…。」と、意識を改めた人は少なくない事でしょう

ついでですので、是非この機にもっと明らかにして欲しい事があります。
大学教員(特に社会学者やフェミニスト学者)という「学問の権威」の裏面です。
ちょうど昨日は、京都精華大学の白井聡専門講師が以下のツイートをし、批判が集まっていました。

”「安倍政権はどんな政権だと考えられるか、自分で資料を見つけてまとめなさい」という課題を学生に出してみた。いま見てるんだが、辛辣なことといったらない! 「とてつもなく自分勝手」「自己保身以外ない」「うわべだけ」等々。”

この方は、おそらく日頃から自らの政治思想を学生の前で語っているのでしょう。
それ自体は本人の自由ですが、課題として生徒に政治信条を書かせて採点する事が異常な事だとは気づいていないのが、恐ろしいです。生徒は単位を落としたくないですから、当然、講師の喜ぶ回答をするはずです。自分の生徒に忖度をさせる講師が、安倍総理を「とてつもなく自分勝手」と生徒に言わせて喜んでいるのはどんなブラックジョークかと思いますが、本人のツイートを拝読する限り、「正しい事をしている」と確信されている様で、わたしはゾッとしました。

前置きがだいぶ長くなりましたが、この先生のツイートを見て、わたしはあるフェミニストの社会学者を思い出しました。
東京経済大学の准教授、澁谷知美氏
わたしは、澁谷准教授からtwitter でブロックされているだけでなく、大学の授業で学生達に「ろくでなし子は性暴力に加担する奴だ」と教え込まれている様なのです
理由は、会田誠氏の作品について、わたしが「表現の自由」と言った事と、わたしの弁護団にフェミニストが敵対するオタク弁護士の山口貴士先生が参加した事の様です。
わたしが山口先生に弁護団に入って頂いた件については、先生がワイセツ案件で日本で優秀な弁護士である事と、フェミニストであるわたしとオタクの先生が共闘して国家と闘うのは素晴らしい事だと思ったから、というのは以前にもブログに書きました。
しかし、それは日本のフェミニスト村ではとんでもない御法度で、以降、わたしはフェミニスト達から無視されているのです。

澁谷准教授が学生におかしな事を吹き込んでいる事は、氏の授業を受けていた学生から、忘れらないくらい失礼なメールを直接送られた事で知りました。
その学生には、彼女の制作した映画の講評をお願いされていました。
ちょうどわたしが逮捕直後で話題だったので、いい宣伝になると思ったのでしょう。
作品は、自分の父親を食べるというカニバリズム的な内容で、血まみれの演者のグロテスクな写真がカバーでした。エグいと思いましたが、表現の自由だし、もちろんOKしました。
しかし後日、その学生から「澁谷先生がろくでなし子は会田誠氏を擁護して、性暴力に加担する人だと言っている、映画の講評の話は無しにして欲しい」と一方的なメールでキャンセルされたのです。
とても失礼だし、「自分は血まみれのエグい作品で誰かを不快にさせるかもしれないのはOK」でも「会田誠氏の作品はダメ」という不公平さにも腹が立ったものです。
教授も教授なら、教え子も教え子で、清々しいほどのダブルスタンダード

自分の偏見だけで誰かを「性暴力に加担する奴だ」と学生に教える澁谷准教授に、しかし、当時のわたしは抗議する勇気がありませんでした。
当時はまだ日本にいた為、フェミニスト学者達とも繋がっているメディア(主に左派系)も敵に回すであろう事にためらいがありました。
しかし、澁谷准教授は、おそらく今も、自分の受け持つ学生に偏見を植え付けているかと思うと憤りを感じますし、なぜわたしだけが言われのない誹謗中傷や嘘を言われっぱなしなのか理不尽だし、もっと早く抗議すれば良かったと後悔しています。
ちなみに今朝、この件を連投でツイートしたところ、他の方からも、
「学生だった時、毎週誰かを講師に呼べる授業でろくでなし子さんを呼びたかったけど、ゼミの教授が教授会で提案したら「ろくでなし子はダメだ」と、ある女性教授が言った事で流れた、なぜダメなのかも全く教えてもらえなかった」
というDMが送られて来ました。
この件からも、わたしはフェミニスト学者村で、はっきりと村八分にされている
事がわかります。

フェミニスト学者達は、女性の自由や権利を主張しながら、まんこをワイセツだとする警察と闘っているわたしを、「あいつは大学の授業や講師に呼ぶな」と、まるで警察の様にわたしを迫害します
彼らは反安倍政権派なので、「誰もが総理に忖度する日本の政治は異常だ!」とよく叫びますが、彼らこそ、時々おかしな事を言う上野千鶴子先生や、まんこをワイセツだと認めてしまった北原みのり氏に、誰よりも忖度し、内部批判を許さない、全体主義にこり固まった集団です。
しかし、教育とは、教育者の偏見や思想を学生に植え付けて洗脳する事ではなく、学生がそれぞれの意見や考えを自分の頭で考える能力を養う事ではないでしょうか?
曲がりなりにも大学教員であるならば、指導学生にまで自分と同じ思想や政治信条を押し付けてはならないし、女性の性の自由や開放を主張して国家権力と争っているわたしを「性暴力に加担する人」などと呼んでウソや偏見を学生に植え付けず、本来のフェミニズムに立ち返っていただきたい

澁谷准教授はわたしをブロックしている為、わたしの批判など無かった事にするはずですから、すぐ流れてしまうtwitterではなく、ブログに書き留めておく事にしました。
何か反論でもあれば、わたしは正々堂々と応対したいと思います。
あらゆる裏面を暴いていくコロナ禍の今、フェミニスト学者達の異常さがもっと明らかになる事で、彼らが、フェミニズムとは、教育とは何か、その本質について、今一度真面目に考え直される事を願うばかりです

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フェミニズムを、間違った人やダメな人を徹底的にうちのめす棍棒にしてしまった人達に思うこと

コロナ禍で世界的に大変な毎日が続いております。
生きる事への漠然とした不安を身近に感じる日々の中、フェミニズムを問題にし、議論バトルをしていたほんの2ヵ月前の頃を思うと、政治や社会システムが不完全ではあっても、人々が安全に暮らせていただけでも贅沢だったのだなぁとしみじみします。
最近は、もはやフェミニズムの話をする気もすっかり失せ、3d CGの勉強に加え、パンを焼いたり手作りマスク制作など、ステイホーム生活を地味に勤しんでいたわたしでしたが、岡村隆史さんの深夜ラジオでの発言に対するその後の騒動に対して、久しぶりに「黙っていられるか」という気分になったので、息子が寝ている隙に、ブログに思いをぶつけてみる事にします。

岡村さんの発言について、すでにご存知の方も多いので、詳細は省きます。
わたしの感想は、「これからお金に困って職探しするであろう人を自分の欲望を満たす道具としてしか考えていない、品性下劣な発言だなぁ。」でした。
そこに怒りを感じて批判する人の気持ちもよくわかります。
ただ、それは岡村さんのコアなファンや仲間が聴く深夜ラジオでの発言であり、一般的に不快に思うような人達には向けられていなかったにも関わらず、芸能人の不謹慎な発言を探して回って配信し視聴率を稼ぐ配信者によって拡散された様でした。
それなのに、怒りのあまりに、岡村さんのレギュラー番組であるNHKの「チコちゃんに叱られる」を降板しろ!と言う人も出てきて、ついにmetooを彷彿とさせる署名運動まで立ち上がり、今や、岡村さんは非道な罪悪人かの様にバッシングされています

岡村さんは、たしかにこれからお金に困るであろう人を喜ぶ不謹慎な発言をしたけれど、特定の女性に対して自分の役職を盾に「やらせなければこの世界で仕事をできなくさせてやる」と言い性加害を強要していませんし、スタッフとして雇った複数の女性に無理やり性的奉仕させ続けてもいませんし、酔って前後不覚な女性を持ち帰ってもいませんし、電話の受話器で殴ったり、家に押しかけ「抱っこして」と迫って訴えられた訳でもありません。
むしろ、コロナ禍が終息したら風俗に行きまくってお金を落とすと言っているので、セックスワーカーにはありがたいお客さんです。
彼のメインの仕事まで奪って社会的に懲らしめるほどの事でしょうか。
わたしには、ただ、ムカついた人を徹底的にいじめて楽しむ嗜虐行為にしか見えません。
そして、それをしたところで「お金に困って風俗の仕事を選択するであろう人」の現状は、何も変わりません。

岡村さんの失言に対しては、すでに相方の矢部さんがラジオに登場して岡村さんを公開説教しています。
おそらく、それまでの自身の女性差別的な発言に物申す人もいないまま50歳間際になってしまった男性にとって、本質を変えることは物凄く難しい事ではないかと思います。
また、この説教中に矢部さんは岡村さんに「結婚しろ」と言い、結婚ができない人、向いてない人への無意識の差別やハラスメントをしています。
この説教で、実は、岡村さん自身も社会から「いい年をして女性とまともに付き合えない、結婚もできないダメな奴」と虐げられる側の人だったのだと、わたしはようやく気づきました。
だからこそ、岡村さんはますます女性を敵視したり嫌悪しながら性欲だけ求めてしまっていたのではないでしょうか

この様な人を、有無を言わさず見せしめに懲罰したところで、女性への怒りや恨みや恐怖心をますます募らせるだけで、彼の本質は全く変わらないでしょうし、「結婚などの一般的には健全とされる生き方に正そうとする」事も、とてつもない暴力に感じます。
岡村さんは以前、鬱になって休業していたそうですが、また発症されるかもしれません。

ただ、長年の相方である矢部さんのによる公開説教は、多くの人を納得させ、本人もひたすら謝罪を述べていて、「もうこの件はこれで終わりにしよう」という流れに変えました
それについては、岡村さんのNHKの番組を降板させる署名運動よりはるかに建設的だと思いました。

それでもまだ、振り上げた拳をおろす事ができず、岡村さんにフェミニズムを学ばせようという署名まで立ち上げるフェミニストの石川優実さんに、わたしは強く反対します。
石川さんが牽引するKutoo運動は、パンプスなどの履き続けると痛い靴強要からの解放運動だったはずですが、なぜその中心人物が、フェミニズムを、誰かを懲らしめるために「無理矢理」学ばせようとしたり、レギュラー番組を降板させろなど、他者をクーツー(苦痛)にしようとするのでしょうか。

フェミニズムとは、女性のみならず、あらゆる人の選択の自由や権利を尊重し広げようという思想のはずです。あらゆる選択の自由があるなら、岡村さんの様な社会的に生きづらい人の自由も尊重すべきです。
世界には、宗教的に男尊女卑的慣習を続ける国もあります。自国の価値観や、どれか一つの思想や考えだけが正しいとし、その価値観を押し付ければ、戦争に発展するでしょう。全く異なる相容れない考えの人と、それでも共存していかなければならない、多様な社会とはそういう事だと思います。
たとえ不謹慎で不愉快な発言をした人であっても、性犯罪を犯した訳ではない人を、社会的に困らせるまで追い詰めるのは本末転倒です。フェミニズムを、気に入らない誰かを滅ぼすまで殴り続ける棍棒にしないでほしいです。

追記:
岡村さんを降板させろ署名に賛同し、強く抗議している藤田孝典氏が、ホームレスを安い家賃の家に数人で住まわせ生活保護費を巻き上げる貧困ビジネス疑惑で、さいたま市議会で追及されていたそうで、驚きました。
「懺悔として貧困者の正義の味方になった」のであれば、それは責めるべき事では全くありませんが、藤田氏によるこの件の説明はまだありません。
事実でなければ堂々と説明できるはずだし、事実なら不正横領の償いをすべきです。
岡村さんは謝罪しているのにも関わらず(しかも犯罪でもない事で)、降板を要求。この不均衡は一体なんでしょう。
岡村さんを降板させても貧困者の現状は何も変わらない、とわたしは言いましたが、むしろ、藤田さんの様な人は、貧困者がいないとビジネスにならなくて困るのではないかと思えて来ました。

わたしは、フェミニズムを、この様な人達にもてあそばれるのが、本当に残念だし、強い憤りを感じます。

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石川優実さんに対するお詫びと、わたしが攻撃的になった人に対するお詫び、そして改めて、敵対ではなく共存を強く意識したことなど。 

先日、よもぎ団子さんと対話して印象が変わったというわたしに対して「よもぎ団子を擁護するのか!(してないけど)」と怒る人達についてブログに書きました
この後しばらくして、ふと気づいたのです。

昨年10月、青識亜論さんと石川優実さんの「これからのフェミニズムについて考える白熱討論会」という対談がありました。会場では石川さんが表現の自由を守りたいオタクの思いを多少理解してくれたはずで、本人も「有意義なイベントだった」と〆るほどだったのに、その後意見を翻し、青織さんへの人格攻撃的なブログを書かれ、青識さんをブロックし、結局オタクとフェミの溝がさらに深まってしまう出来事でした。
当時、参加者のリアルなツイートを追っていたわたしは、石川さんの華麗な手のひら返しに驚き、思わず石川さんにお伝えしたい事をブログにしました

この時わたしは、単純に「裏切り行為」としか思っていませんでしたが、おそらく、石川さんはフェミサイドから拒絶や激しいバッシングを受けたのでしょう。
実際、「あんなセクシスト(青織さんのことらしい)と対談なんかしなくていいんだ!」というツイートもよく見かけました。石川さん本人ではない人から見たら、「ひどいクソリプ」で済む話でも、本来なら味方のはずの人達からの激しいバッシングは心が折れたと思います。(時々「死にたい」と漏らされる繊細な石川さんなら尚更です)
「自分は敵側に転向したのではない」と味方にアピールする為にも、青識さんを罵るしかなかったのではないか
だからと言って、青織さんだけでなく、イベント参加者や、イベントに対して真摯に向き合い協力して来た人達の思いを裏切ることは決して許されませんが、わたしは石川さんに同情の気持ちが芽生えました。わたしに対する、よもぎ団子憎しの人達のバッシング以上に猛攻撃されただろうことは想像に難くないからです。

そしてわたし自身も、よもぎ団子さん憎しの人達から攻撃的で無理解なリプライをされ続けた為、自分を守る為に攻撃的になりすぎているとご指摘がありましたので、そこは素直に認めようと思います。
わたしが言ってもいない事を触れ回った事に対する訂正やお詫びをいただけないのは納得できませんが、わたしが感情的に荒れてしまった事に対しては、この場でお詫びしたいと思います。申し訳ありませんでした。

感情的になっていたといえば、石川優実さんに対して、わたしはかつてこの様なツイートもしました。

この時わたしは、石川さんの都合の良すぎる行動に文字通り怒りを感じてツイートしましたが、後になって読み返しても、ただ言葉が汚いだけで、我ながら説得力を感じません。
言った事を無かった事にするのは卑怯だと思うので、今まで削除はしないで来ましたが、お詫びした上で、この機に削除したいと思います。感情のあまり罵ってしまって申し訳ありませんでした。(石川さんには、このツイートをする以前から、理由はわかりませんがブロックされております。こちらのブログでお詫びの気持ちが届く事を願います)

さて、石川さんに感情的に罵った事を訂正したからといって、石川さんの日頃の主張に賛同した訳ではありません。これはよもぎ団子さんの印象は変わったが、彼の全意見に賛同した訳ではないのと同じですし、いまだにわたしへ批判し続ける人達のご意見に対しても、そうです。
これからも異論者同士ですから、相変わらず批判する事もあるでしょう。
ただ、異論者を対等な人間として尊重し、同じテーブルに着く。たったそれだけの事が、SNSではとても難しいです。

わたしは最近、何かを批判し続けたり、誰かと敵対する事に疲れています。

毎度、フェミニストを名乗りながら、気に入らない萌え絵を燃やし続け、先日はついに保育士兼グラドルの方という実在の女性の生き方を否定された太田啓子弁護士は、多分そういう才能があるのだと思います。(それこそこの件について批判ブログを書こうと思いましたが、本当に疲れてしまい、筆がのりません)

それでもわたしは、同じ意見の人とも、違う人とも、楽しい景色を見て行きたいです。

先日も、政治批評家のナザレンコ・アンドリーさんのyoutubeチャンネルに呼んでいただき対話させていただきましたが、ナザレンコさんと完全に主張は一致しなくても(特に慰安婦問題や伊藤詩織さんの件について)、お互いを尊重して意見を交換し合う事ができ、知らなかった事を教えていただいたり気づいたり、とても素晴らしい時間となりました。

人間は、敵や味方の2種類で分けられるものではなく、いろんなグラデーションを持った生き物です。重なり合う部分で共存し、対話したい。
今年に入ってから、少しづつですが、異論者の方ともお陰様で相互フォローになり、わたしはとても嬉しいです。
まだ極々小さな輪ですが、わたしは地道に広げていきたいです。

ナザレンコ・アンドリーさんとのyoutube対談

twitterによくいる、一度こうだと思ったら頑なに相手をそうみなし、本人が「違う」と言っても絶対に認めない人達の妄想力の怖さなど

先日、青識亜論さんのツイキャスよもぎ団子さんと対話し、その後相互フォローになったことなどをブログに書きましたが、いまだにわたしの真意を理解せず、「よもぎ団子を擁護するのか!」と言う短絡的な人達がいます。
放っておこうかと迷いましたが、言ってもいない事を触れ回られるのは流石に迷惑なので、改めてわたしの考えを主張しておこうと思います。

わたしは、よもぎ団子さんの、誰も聞いてないのに自分の非を認められる素直さを、率直に良い事だと思いますが、その件と、「よもぎ団子さんが献血ボイコットを呼びかけた事」とは全く別問題です。
そもそも、よもぎ団子さんはわたしに対して謝罪した訳ではありませんし、わたし自身、ここ数年献血もしていない為、輸血が必要な方々や日赤に成り代わって誰かを罰する権利はないと思うので、わたしに謝罪されても困ります。
彼の行為は悪い事であっても、わたしはいち個人として、反省の意を述べている人に対して、「謝罪の仕方がなってない」「謝罪する相手が違う」「どうせまた繰り返す」などといつまでも責めたくありません。
それでも、彼への怒りが収まらないという人は、わたしは一切止めませんので、お好きにどうぞ。
それと、よもぎ団子さんがまた変な主張をすれば普通に批判するであろうわたしの姿勢は特に変わりませんのであしからず。以上です。

ところで、わたしのように炎上する事が多いと、「あれ?これと同じような体験、前もあったなぁ」と思う事がよくあります。

わたしが逮捕された直後、北原みのりさんがわたしの事件についての記事を書かれましたが、その中で、「(わたしの作品が逮捕されるのに)萌え絵が野放しなのはおかしい、そっちを規制しろ」と言う趣旨の事が書かれていた為、釈放後、なぜか、わたしが過激な表現の自由主義者たちに攻撃されたのです。
わたしは何かの表現を規制しろなどとは言ってないし、それどころか後にお分かりのように表現の自由を主張している為、非常に驚き、当然否定したのですが、「わたしは違う」と何度言っても彼らの攻撃は緩むどころかますます激しくなり、中にはほぼ毎日わたしのツイートに張り付いて粘着する人もいました。

彼ら曰く、「北原みのりの店でバイトしてるんだから、表現規制派に間違いない」との事で、驚き呆れました。
そう言うあなたは、あなたが働いている会社やバイト先の社長や、学校の先生と、全く同じ主義主張なのですか?
大学で単位取得のために受けただけの講義の教授が極端な主張をする学者だった場合、それだけで「あいつも同じ」と決め付けるのでしょうか?

友達同士や会社の同期がみんな全く同じ考えである訳がないし、そうだったら気持ち悪いのに、なぜか「同じ所属先」だけで簡単に○○派だと思いこむ人が世の中には多いです。
こういう人達には、敵を知るために反対勢力の講演会に行って情報集めする行為も許されない事になるのでしょうか。なんと効率の悪い考え方だと思います。
しかし、それ以上に怖いなと思うのは、一度こうだと思ったら頑なに相手をそうみなし、本人が「違う」と言っても認めず、ますます言いがかりをつける人達の妄想力です。考えてみれば、twitterには主義主張を問わず、そういう人がたくさんいますね。

さて、今でこそ、わたしは「表現の自由暴れん坊将軍」と呼ばれ、すっかり表現の自由の人というイメージですが、7年前のあの頃にわたしを規制派だと決めつけた人達は、ほんの数名の方をのぞいては、特に謝罪はありません。きっとお忘れになったのかもしれません。
わたしももう、彼らのアカウント名すら覚えていませし、今更謝罪も求めていませんが、非常に不愉快な思いをした気持ちは忘れる事ができません。
本人が否定している事を、お前はこうだと言い張り続けるのは、明確な嫌がらせですので即刻やめていただきたい。

改めて、よもぎ団子さんの「献血ボイコット」自体は決して許されない行為だったと思いますが、
かつてわたしを表現規制派と決めつけたものの、その後無かった事にして今は仲間かのように振る舞っている人達に比べたら、誰も聞いてないのに自分の非を認められるよもぎ団子さんは、その点においてはやはり立派だと思います。

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男とか女とか右とか左とかオタクとかフェミとかいう属性には関係なく、「そういう人はそうなんだ」と改めて思った事など

前回のブログで、アメリカで活躍されるプラスサイズモデルの藤井美穂さんの、ラブライブ!キャラクターのスカート丈を修正した動画ツイートへの批判を書きました。
正直、藤井さんにはブロックされると思っていたら、予想に反して丁寧で真摯なお返事をいただき、twitter上で数回やり取りする事ができ、とても嬉しかったです。
藤井美穂さん、ありがとうございました

やり取りしても、やはりお互いの意見が変わる事はありませんでしたが、わたしにとっては意見の違いは特に重要ではない事を改めて実感しました。
藤井さんがご自身の身体を高らかに謳歌し表現する事で、他の女性に勇気や励みを与えるでしょうし、わたしも大いに励みを得ました。そんな素晴らしいご活動をいちフェミニストとして尊敬し応援したい気持ちは全く変わらないからです。
意見は違えど、ブロックや拒絶せず、お互いを尊重し意見交換すると言う、よく考えたら当たり前の話でも難しい現代SNSで、それができた事を嬉しく思い、殺伐としがちなtwitter上で心温まる出来事でした。

さて、今日はツイッター論客の青識亜論さんのツイキャスに呼んでいただき、久しぶりに生配信に参加させていただきましたが、まるで藤井さんとのやり取りのような嬉しい気持ちになれました。

テーマは、やはり最近のツイフェミ(わたしはふしだら憲兵と呼んでいます)についての雑感で、それについての意見や思いはフェミニストではない青識さんとなぜか意見がほぼ一致するわたしなので、特に荒れることのないトークだろうとは思っていましたが、予想以上に楽しい展開となりました。
配信中に、最近の過激なツイフェミ代表人物であるよもぎ団子さんも突然参加される事になったのです。

よもぎ氏は宇崎ちゃんの献血ポスター騒動時に「献血ボイコット」呼びかけなど軽率な発言の多い人でしたし、わたしにも批判的で、気付いたらブロックされていたので良い印象は全くありませんでした。
が、実際のよもぎ氏は、失礼ながらツイッターでのおかしな発言と違い口調も物静か。またツイキャスに参加する際の自己紹介時、その献血ボイコット発言に件について、誰も聞いてないのに謝罪されました。
自分が悪いと思った事を、自ら素直に謝れる人は立派だし誠実です。
一気によもぎ氏の好感度が上がりました。

なぜこんな誠実そうな人が他人をブロックするのか?

疑問に感じて思わず質問したところ、よもぎ氏曰く、わたしとのやり取りが嫌なのではなく、わたしがよもぎ氏への批判をツイートすると、わたしの意見の支持者の中でも過激な人達がよもぎ氏を攻撃してくるのが怖いからだそうです。非常に残念です。

「言いたい事を言えば、誰かに何か言われるのは当たり前」、わたしはそれにすっかり慣れてますが、そこまで耐性のない人が大量に批判を受けたら、確かに怖く感じるでしょう。
また、わたしの意見の支持者の中でも過激な人達がいるのは事実で、誰かをクズ、クソ、と罵倒するような人達には、わたしも以前から気になっていました。気づくものに対しては「いくら正論でも、相手を罵っては説得力がなくなって損ですよ。」と呼びかけてはいますが、もっと強く主張した方が良いかもしれないと意識を改めました。(わたし自身も、過去に菅野完氏に対して「クズ」「クソ」など言っていたことを反省しております)

とはいえ、この機会がなければ話す事すらなかったであろうよもぎ氏の真意を聞けて、わたしは非常に良かったです。
相手への印象が変わると、異論であっても聞く耳を持とうと思えるのも不思議な物です。
よもぎ団子さんも、わたしと同じ思いを感じられたのか、ツイキャス後にブロックを解除され、フォローしていただきました。よもぎ団子さん、ありがとうございます。
またこの場を設けてくださった青識亜論さん、ありがとうございます。

ところで、そんな感想をツイートしたところ、青識亜論さんとトークイベントをした石川さんが皆さんに好印象だったにもかかわらず、その後掌を返すように青識さんを罵ってブロックした事例を持ち出し、「(どうせ裏切られるのに)正直、ここまで学習能力がないとは思わなかった」「騙されやす過ぎ、ちょろい」などと言う人達がいました。
それだけでなく、「(何度も失言を繰り返すよもぎ氏を)擁護した事を軽蔑する、許せない」とまで言う人がいたのは流石に驚き、ある出来事を思い出しました。

わたしの逮捕騒動時、わたしの弁護団に「山口貴士というオタク弁護士は絶対入れるな」と某フェミニスト達に言われたものの、表現の自由やワイセツ案件で実績のある山口先生を外すことは考えられず、弁護団の一員になっていただいたのですが、それを機に、わたしは「裏切り者」としてフェミニスト界隈から実質追放されました。

よもぎ氏を「誠実な人だ」と評価して相互フォローになったわたしを「軽蔑する、許せない」と言う人の不寛容さは、気に入らない表現をつぶそうとし、対立者とは対話せず拒絶し、わたしを裏切り者と呼んだ某フェミニスト達の態度にそのまま当てはまるのではないでしょうか。
実は以前から思っていた事ですが、結局、男とか女とか右とか左とかオタクとかフェミとかいう属性には関係なく、「そういう人はそうなんだ」と言う事でしょう。これは大変興味深い事です。

冒頭でも言いましたが、意見が違うだけの人と普通に会話することが、今のSNSでは特に困難です。
しかし、多様性を謳うなら、そんなの当たり前の話にしていかなくてはなりません。
よもぎ団子さんとわたしが相互フォローになったからと言って、特に世界がが変わるわけではありませんし、相変わらず規制派は気に入らない表現を批判してなくそうとしてくるでしょうし、今後もますますよもぎ氏とは意見が食い違うと思います。
でも、それこそが「多様性」ではないでしょうか

氏は同じ失言を繰り返しているそうなので、「絶対に許すな」と、まるで犯罪者のように言う人もいますけど、それでも、わたしは自分の意志は変えませんし、「反対論者同士が拒絶ではなく共存することが大事」だと思います。そこから、お互いが不満に感じる事をどうすり合わせていくのか、冷静に話し合う壇上に登れるからです。
それに正直、敵対はもう疲れました。
どうしてもよもぎ氏を許せない人達には同調できませんから、「ろくでなし子は騙されやすくてちょろい」と思ってくださって結構です。

余談ですが、よもぎ氏が、「下ネタは大好き」だけど「まのつく3文字は恥ずかしくて言えない」と仰っていた事にも、なぜそう思うのか、いつか理由も伺ってみたいです。
なぜなら、まさにわたしがその疑問を持ってアートを作っているからです。
そして、よもぎ氏のようなツイフェミの皆さんが、「なぜまんこと言ったら恥ずかしいのか」、その根源的な理由を考える事から『「性的」とは何か』についての議論が始まるのでは、と思うのです。

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