歴史修正したい人達に思う事

萌え絵ポスターへの抗議が冷めやらぬ中、今度は、中年男性と女子高生の関係について描かれた「娘の友達」という青年誌漫画が不道徳だとしてTwitterで批判されている様です。
その件をつぶやいていたら、あらぬ方角から人間の面白い心理について考えさせられる出来事が起きたので、今回は、主に表現の自由よりもその件について書こうと思います。

「娘の友達」の設定だけ聞けば、「中年男性が都合良くJKを搾取している!」と怒り出す人達がいるのは想像がつきます。また、この単行本カラー表紙は今までバッシングを受けてきた、いわゆる萌え絵風の、はにかんだ女の子が誘う視線で、淡いタッチの絵。
しかし読んだ方の感想によれば、自分を縛り付ける母親から逃れたく、救いを求めて主人公にすがる女子高生と、主人公が倫理観や責任感に悩み苦悩する話の様で、「エロ漫画」ではもちろんなく、むしろ現代の息苦しさを描いた作品の様です。

漫画はファンタジーです。仮にエロ漫画であったとしても、読み手はファンタジーとして楽しみたいし、漫画は道徳の教科書ではありません。それに、もしも漫画に道徳的な人間しか出せなくなったら、わたしが個人的に好きな平山夢明先生や岩井志麻子先生の小説は読めなくなってしまいます。

これについて考えていた時、わたしは過去のある出来事を思い出しました。
93年にあるドラマで既婚者を不倫略奪する女性を演じたUさんです。
当時のUさんは、童顔で、瞳が潤み、少し寂しげな表情が可愛らしい、まるで今の萌え絵を具現化した様な人でした。そのUさんが既婚者の中年男性を不倫略奪する女性を演じるストーリーの為か、単なる配役を演じただけにも関わらず、「媚びてて許せない」と、当時の女性達から嫌われました。
テレビのワイドショーでも連日の様にその話題となり、「嫌いな女ランキング」の1位にもなっていたと記憶しています。
良く言えば、多くの人をそこまで思いこませる役柄を演じたという意味でも演技の才能ある方だと思いますが、飲み会の席でも「Uってどう思う?」という下世話な話が繰り広げられ、そのくらいUさんは多くの女性に嫌われてしまう人なんだなぁとわたしは気の毒に思いました。
93年のあの当時にSNSがあったら「本人と役柄は無関係では」という当然の声が上がったかもしれませんが、残念ながら、皆がテレビからの一方的な情報を共有する時代でのバッシングは相当なもので、以降Uさんをテレビでお見かけすることはなくなりました。
その後、あさま山荘事件をテーマにした映画に出演しているUさんを観て、映画俳優として活躍されているんだな、という印象でした。最近はハリウッドに進出されたそうで、良かったなと勝手に思っておりました。

Uさんへの過去のバッシングに感じた気持ちは、「娘の友達」への批判に感じたのと同じ、
「現実とフィクションの区別をつけろ」
という事です。わたしはそれを言いたくて、以下の様にツイートしました。

“(´-`).。oO(女子高生と中年男性の恋愛漫画「娘の友達」へのバッシングも、絵柄が萌え絵ってのも大きそう。昔、〇〇というドラマでヒロイン演じたUさんが、仕事として演じただけなのに嫌われて、流石に理不尽だと思ったのを、ふと思い出した…多分繋がる、この違和感。”

“Uさんは童顔だし若かった。他人の夫を不倫に導くのが、気が強く恋愛も仕事もガツガツ行くタイプの人なら、そこまででは無かったかもしれない。女性層にとことん嫌われ、テレビから観なくなった。ありゃ本当に理不尽だった…その漫画もファンタジーなのにバッシングされるの、何か似てる…”

しかし、このわたしのツイートに、Uさんご本人が取り上げ、この様に引用RTして来たのです。

“へ???
自分の人生を表現して来たお仕事ではなく、ゴシップ誌が作ったストーリーで信じられてしまうことの不思議”

わたしはむしろ、マスコミが騒ぎ立てた事がおかしく、「現実とファンタジーの区別をつけろ」と言っている側なので、Uさんは何か勘違いされている様でした。このUさんの間違った解釈により、他の人達も勘違いしたままわたしを批判して来て、嫌な思いをしました。
わたしがそれらに対して律儀に説明しても、そういう人は後を断たず、Uさんも勘違いを訂正するどころか、わたしが「前後のツイートの流れを見てください。」とお願いしても、「元の流れがどうというのは私のサブジェクトではないのでわかりかねます」とし、「2019年の今もこうだと思われたら嫌でしょう」と、わたしが言ってもいない事を更に強調されただけでした。
自分の誤読は認めないし、相手のサブジェクトも知らない、という人と会話をする気持ちが萎えてしまったので、わたしはUさんをミュートしました。

やり取りがあまりに噛み合わず、なぜなのかを考えていて、Uさんは単純に、女性に嫌われていた過去を触れられたくなかったのかと、鈍感なわたしはやっと気づきました。
わたしは自分の恥部をアートにするぐらいなんでも明け透けにする女なので、その様な恥じらいの意識に欠けていました。すまんこです。
しかし、ならば、わたしに絡んでしまった事で、多くの人に拡散され、逆効果だったのではないでしょうか

その上、Uさんを擁護する人達の、わたしに対する批判は止まず、今度は、「93年のあのバッシングは無かった、マスコミの嘘だ、女性に嫌われていたのはフィクションだ」と歴史修正する人達まで湧いて来ました。
わたしはバカ正直なので、自分が見て来た景色や事実と違う事を受け入れる気はありません。
当時の時代の空気を知る人達なら周知の事実を否定されればされるほど、Uさんへの過去の一般女性達が下した評価について語らねばならず、一体誰が幸せなんだろう?と疑問です。

どんなに嫌な過去でも、過去は消せません。わたしも逮捕を二回され、あれこれ言う人はいます。しかし他人の口を封じる事はできないし、起きた事実も変わりません。だからわたしは全部ネタにして笑いにして来ました。
昔、Uさんの様に「ぶりっ子」として嫌われたさとう珠緒さんも、現在はその過去をネタにご活躍されていると聞き、俄然応援したくなりました。

Uさんは今はハリウッドでもご活躍されている大俳優なんですよね。
過去にこだわるより、今どうかが大事ではないのでしょうか。
むしろ吹っ切って「昔は嫌いな女ナンバーワンだったんです」と明るく言う人だったら好感度も高まると思うのですが・・・余計なお世話ですね。
女性に嫌われていた事を隠したいキャラなら、それも自由だと思います。
ただし、人間とは、歴史修正をしたがるほど、隠されれば隠されるほど、余計に見たくなる下世話な生き物です。吉本芸人の花紀京さんも、見せたくない物を引き出しに隠し「あっ、そこは絶対開けたらアカン!」と言い張り続けてかえってバレるお笑いネタを披露していました。
だからわたしも、昔、自分が浮気や不倫した話も筑摩書房の自伝本や他の漫画で正直に書きました(後でなんか言われるくらいなら自分から言った方がマシですから)。
そして、自分だけは気づかれていないと思っている事も、周りが知っているのは、見ている方もなんとなく恥ずかしいものです。

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【これからのフェミニズムを考える白熱討論会 – 石川優実×青識亜論(せいしきあろん)】に登壇した石川さんに伝えたい事

「フェミニストって、討論会に誘っても絶対来ないんだよな」

今から5年前、わたしのまんこアート逮捕時に弁護団の一員となり、その後も無罪を勝ちとる事に貢献して下さった山口貴士弁護士が、無駄に感じ悪くこう言っていました(わたしの裁判は有罪部分のみ、現在も最高裁で係争中です)。

フェミニストは男女格差をなくそうと活動する人です。当然、反対論者との討論会には積極的に参加するものと思っていたわたしは驚きました。本当に社会を変えたいなら敵対者や無理解な人達にこそ我々フェミニストの主張を理解してもらわないと進展しないでしょう。社会の半数は男性で構成されているのを考えれば分かる事です。
しかし残念ながら、確かに山口先生の言う通り、フェミニストを名乗る学者や知識人達が、特に表現規制に反対する人達との討論会には頑なに拒否して参加しないパターンを、その後もよく見かけました

ですから、青識亜論(せいしきあろん)さんという表現の自由主義の方が、「KuToo」運動を興したフェミニストの石川優実さんとの討論をTwitter上で呼びかけていた時も、あまり期待していませんでしたが、石川さんが承諾した事で、わたしは俄然、この討論会を注目し始めました。

同じフェミニストでも、わたしは表現の自由主義者。週刊誌のグラビアや萌え絵ポスターのゾーニングを主張する石川さんとは意見が真っ向対立しますが、「フェミニストを名乗る人が討論会に参加する」と言う、よく考えれば当たり前の話でもなかなか実現しなかった事が叶うのは素晴らしいことです。
残念ながら、現在は日本に住んでいない為、直接討論会を見に行くことは出来ませんが、Twitterで討論の様子がツイートされるのを楽しみに待ちました。

わたしは石川優実さんにはなぜかブロックされていて、氏のタイムラインを見れませんが、よく反対論者とのやりとりがTwiterで流れてくるのを見ていても、主張がコロコロ変わりやすくて一貫性に乏しく、場当たりで意見を述べる人の様に推測できるので、理詰めで話をするタイプの青識さんとは全く合いそうにないのは確かでした。
でも、アイドルと学者が対談してエンターテイメントとして面白くなるNHKの番組もよくありましたし、わたしはその化学反応まで含めて、本当に楽しみだったのです。

そして案の定、討論会が始まってから、石川さんの知識不足や主張の論理性のなさを指摘する参加者のツイートや、途中で石川さんが変なことを言って嘲笑されていたようなツイートまで見かけましたが、参加者の多くが議論好きの表現の自由主義者ばかりの中、たった独りでも討論会に参加した石川さんの真摯な姿勢に好感を寄せる人が多かった様で、
「石川さんの主張には反対だが、イメージが良くなった」
この様なツイートが圧倒的だったのが印象的でした。

くどい様ですが、なぜか石川さんにブロックされているわたしですら、石川さんへの好感度がUPしました。主張はさておき、反対論者にも話を聞いてもらう架け橋を作った石川さんは素直にすごいと思いました。
この討論会について、参加もせず、応援もせず、後になって「公開処刑だ」と言いだす石川さん支持の人達の声が強まれば強まるほど、返って孤軍奮闘した石川優実さんの好感度が増す形となりました。(彼らが本当に石川さんを支持しているなら、なぜ参加して質問タイムなどで意見を述べないのか不思議です)
石川さんのお陰でフェミニストの印象も少しは変わったのではないかと、わたしは喜んでおりました。

ところが、この討論会は有意義だったとその場では言っていたと言う石川さんご自身のブログを読んだわたしはひっくり返りそうになりました。

曰く、「私は青識さんの承認欲求を満たす道具にされた」「共感が欲しいのに上から目線の評価しかない」「青識さんを嫌いになったから関わらない事にします」…etc.

一体、なぜこの様な解釈となってしまったのでしょう。

せっかく良いイメージとなり、今後への架け橋を作りかけたのに、自らちゃぶ台返してしまった石川さん。
フェミニストは討論会などしても無駄、敵対し続けたい人達のイメージが補強されただけで、酷すぎます。彼女やその支持者は内部の支持や共感がほしいだけ。
社会を変えようとは本気で思ってないのでしょう。

でも、わたしは違います。わたしはフェミニストが嫌いな男性にこそ、討論し、お互いがどう共存するかを話し合いたいです。
残念ながら日本にはいませんが、どんどんキリスト教的禁欲主義、保守となり、視野が狭くなっていく日本のフェミニスト達を見ていられません。

真偽はわかりませんが、石川さんは討論会後、フェミニストを名乗るK氏やその一派に連れて行かれ、会場での発言について怒られたとお聞きしました。
K氏のツイートによれば、その会場に「潜入したが、石川さんが嘲笑されていて酷かった」との事ですが、なぜ「潜入」と言う言葉を使うのか。青識さん界隈にならK氏の顔や名も知れているのですから、こそこそせず堂々と入ればいいでしょう。まして、石川さんが目の前で笑われているなら助けようと声を上げる事もしなかったのは何故でしょう。
わたしが石川さんなら、味方が困っていてもただ見てるだけの無能なK氏を逆に怒りたくなりますが。

最後に、同じフェミニストを名乗る者として、石川さんにお伝えします。

「共感が欲しいのに、上から目線の評価しかない」とか言っているのは、あなたがブロックした人達だから、ただ見えないだけです。
あなたは一人でも頑張ったと、皆さんからの人気を得ています。(これはあなたの欲しい「共感」ではないのかもしれないけど、あなたへの好意や人気に変わりなく、それはあなたの活動理解にもつながるでしょう)
むしろ、K氏の様にあなたの邪魔しかしない人達に、どうか洗脳されないで。
せっかくあなたが作った架け橋を無駄にしないでください。

(石川さんのブログ中の「誰も評価してくれない」について誤読しておりましたが、「共感が欲しい」ということの様でしたので、訂正し、お詫び申し上げます。)

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保釈金300マン円を横領して業務停止処分になったT弁護士に思う事。

わたしは2015年秋頃、しばき隊から不当な攻撃を受けていた時(いわゆるぱよちん騒動 (詳しくは 漫画 もしくは ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相ーオピニオンサイトiRONNA を参照ください)、T弁護士を初めて知りました。
当時は、新潟水俣病原告弁護団団長であり、しばき隊の卑怯なやり方を批判するT弁護士が頼もしく、また、名刺の肩書きにハゲと書くなどユニークなところにも好感を持ち、わたしも勝手に似顔絵を描くなどし、先生を尊敬しておりました。T弁護士も、わたしの事を「ろくでなし子師匠」と呼び面白がっていらしたので、わざわざ否定するのも無粋だと、放っておりました。ちなみに、多くの人が勘違いしている様ですが、T弁護士はろくでなし子弁護団のメンバーだった事は一度もありません

ただ、しばらくして、T弁護士が、精神を病んだ人を自殺に追い込むような、報復が極端にやり過ぎだという話をとある筋から聞き、疑問を感じるようになりました。T弁護士はキリスト教徒のはずなのに、敵と認定した人を徹底的に追い詰める容赦の無さにも怖い物を感じ、距離を置くようになりました。距離を置くといっても、元々、Twitterでしかお見かけしなかったのと、その後、わたしも結婚・妊娠・出産・子育てと忙しく、その件すらもすっかり忘れておりました。

ですから、Twitterで「なぜT先生を救わないのか!」と言うリプライが来て、初めて、T弁護士が裁判所からの保釈金300万円を横領して業務停止処分にされた件を知り、驚きました。
先生が生活に困窮していたのならお気の毒ですが、どんな理由があるにせよ、横領は犯罪です。

ニーチェもこう言っています。

《怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 「善悪の彼岸」—146節》

T弁護士は、深淵を覗きすぎて、結局しばき隊以上の怪物になってしまったのかもしれないと思うと残念でなりません。

以前にも似たような事があったのを思い出します。法律漫画家を称するSさん。
ある日、わたしはTwitterで見知らぬSさんから親しみを込めたリプライやRTをされるようになりました。当初はこちらも親しみを込めてやりとりをしておりました(この時も、ちょうどしばき隊による嫌がらせが続いており、Sさんはわたしに絡むうちにいつの間にかアンチしばき隊の頼もしいサポーターとなり、しばき隊リンチ事件の裁判傍聴ルポでは大活躍されました)。
しかし、わたしはSさんとは実際には会った事もなければ電話ですら話した事もありません。なのに、Sさんは過去にわたしと同じ漫画雑誌に同時に載っていたというだけで「ろくでなし子さんとコンビを組んでいた」と、まるで親しい間柄のように触れ回っていました。友人知人から「すごい仲良しなんだね」と言われ、だんだん気味悪く感じてきました。
それからしばらくして、Sさんはアシスタントとして仕事をする事になった某漫画家(仮にA先生とします)の事務所で、ツイキャスでA先生の私物を勝手に披露したり悪口を公開している姿を見て唖然とし、完全に距離を置くようになりました。
その後、Sさんは何と、A先生を介護セクハラで週刊誌に告発するのですが、実はSさんが 脳の病気を患った障害で独りでは動けないA先生のTwitterを乗っ取っていたり、A先生の股間を隠し撮りしてその写真を誰かに送るなどしていたことが関係者を通じて明らかとなりました
わたし自身も迷惑し、また、ツイキャスと言う公開の場でA先生の私物をひけらかしてA先生を「ポンコツ」と呼びバカにするようなSさんの道徳心の低さを知っていたので、Sさんの告発には信憑性が低い事をTwitter上で指摘しました。
その結果、A先生介護セクハラ疑惑は、大手週刊誌がスクープしたにも関わらず、MeTooムーブメントの時代にも関わらず、誰も話題にする事なく、どこかに消えてしまったようです。

今思えば、Sさんも、しばき隊と闘って持ち上げられる事で、社会悪と言う怪物に魅入られて自分を見失ってしまったのか・・・な・・・?まぁ、Sさんの場合は元々話を大きく膨らましたり虚言癖がある事が大きいと思いますが。(何しろ、子供時代は貧乏で劣悪な環境で過ごしていたと語りながら、ロシアやアメリカの大統領に会うような生活をしていたと、平気で最初の設定忘れて文法が間違ったおかしな英語をツイートするような人だったので)

ただ、Sさんには最初から迷惑していたので何の思い入れもありませんが、かつては尊敬していたT弁護士が横領事件で業務停止処分された事については、残念な思いと深い悲しみを感じております。
(はからずも、T先生をベイダー卿に描いた似顔絵が、今となっては皮肉な話です)

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あいちトリエンナーレ絡みのエライ人達ってどうしてこんなに…

“愛知・大村知事の「明確にヘイト」発言に竹田恒泰氏「お前がいうな!」”
29日、大村秀章愛知県知事(59)は27日に同県の施設「ウィルあいち」(名古屋市東区)で開催された「芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』」について「内容からして明確にヘイトにあたると言わざるを得ない」と発言、法的措置を考えていることを明らかにした。 https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1603155/ 東スポWebより

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今日は表現の自由問題について呆れる事ばかりで、ついついブログを2回も更新してしまいます。
繰り返し言っていますが、「あらゆる表現は意図せず誰かを傷つける」ものです。たとえ、作者や主宰には誰かを傷つける意図はなくても。

問題となった、昭和天皇の肖像を焼く動画作品は、作者の大浦信行さんが、過去に天皇をモチーフにしたコラージュ作品を富山県美術館で展示したところ、不敬だと抗議が殺到して展示中止になり、美術館側に図録を焼却された経緯があり、それを再現している様なので、焼いた(規制した)のは国や保守的な人達だと言う皮肉を込めた作品と思われます。決して単純な反日作品ではないとわたしは思います。

しかし、背景を知らない人や、あるいは知ったとしても、ある種の人達を大いに傷つけ、憎悪や怒りを煽りました。彼らには十分、ヘイトと思わせた。ヘイトかどうかで言えば、表現の不自由展の件の作品も当てはまると思います。
ヘイト規制を設けたら、ヘイトかどうかを決めるのは国や大きな組織や集団に委ねられ、気に入らない表現は簡単に規制できてしまい、みんなが自由に表現できない世界となります。

だからこそ、わたしは ”表現の不自由展” の表現の自由を支持して来たのに、
「我々の展示は表現の自由だが、あいつらのはヘイトだから法的措置を」と、
ダブルスタンダードをかます大村秀章知事に腰が砕けそうです

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会には、萌え絵や巨乳の人を奇形差別とし、秋葉原をR16特区にしろと言う岩渕潤子さんが委員として就任する始末です。
あいちトリエンナーレ絡みのエライ人達って、どうしてこんなに・・・・なの?

「萌え絵を奇形差別として規制できないか」と言っている岩渕潤子さんに思う事

昨日に引き続き、萌え絵を規制したがる人がテーマです。
今度は、『萌え絵を女性差別で規制はできないが「奇形差別」でなら条件付きで認められる可能性はある』と言っている識者が現れ、まんこアーティストのわたしですらドン引きしております。
作家の岩渕潤子さん。
氏は、驚く事に、巨乳の萌え絵の問題に絡めて、女性の中には巨乳である事を恥じて整形手術をしている人もいる事をTwitterで何度も強調していました。まるで、巨乳の女性が悪いどころか奇形だとし、整形手術を煽っているかのようです。
(追記:今朝見たところ、「秋葉原に高い外塀を作りR16指定の特区にする案」なる話をツイートされており、ナチスのゲットーと同じ発想でゾッとしました。なぜ自ら炎上中に更にガソリンを被りたがるのか、不思議で仕方ありません)
氏は、フェミニストではないそうですが、あいちトリエンナーレのあり方検証委員会の委員だそうです。ある種の表現を「奇形差別で規制できる」と平気で言う人が、日本の表現問題に関わる重要な立場にある事を、わたしは非常に危惧します

股マタ、わたしの話をさせて下さい。
漫画家のわたしは、10年近く前に女性器の陰唇を切除して綺麗に整えるという名目の”小陰唇縮小手術”という整形手術を受け、その体験を漫画にしました。
当時はうすらぼんやり自分のまんこはビラビラし過ぎだし色も黒ずんでいて醜い、というコンプレックスを抱えていました。
日本では、性器にモザイクがかかって隠されている上、大人は誰も真剣に性の話を教えてくれなかったので、女性器がどんな色形が正常なのかもよくわからずに大人になりました(実は、クリトリスがどこにあるかも知らなくて、20歳を過ぎるまで自分はクリトリスが無い人だと思い込んでいました)。
そこまで悩んでいませんでしたが、今まで自分のまんこを漫画のテーマにした人は居なさそうだし、この機に「まんこと言えばこの人」と言われるポジションも得られると思い、割とカジュアルにその手術を受けました。
その後、漫画のネタの流れで整形後のまんこをモチーフに、笑えるまんこアートを始めたところ、2ちゃんねるで「キモい、臭そう、グロ、etc…」と激しく罵倒されたのでした。

型を取った石膏の上にジオラマを載せたり、キラキラパーツで飾ったわたしのまんこ作品を「ただ、まんこというだけで」激しく嫌悪する人達がいる事に、世間知らずのわたしは驚きました。
そこから、わたしは女性の性について真剣に考えるようになり、その流れでフェミニズムに辿り着きました。
そして、アート活動の一環としてデコまんワークショップを開くようになり、他人様のまんこを見るようになってから、まんこの形とは実にユニークで、人の数だけ多種多様、正解なんてなく、みんな違って素晴らしい物だと気付きました。
かつてのわたしは、ピンク色で小陰唇も小ぶりな方が良いまんこだだと何故か思い、そうなるように整形手術を受けたのですが、それはわたしが、AVやポルノの影響で自分の本当の体(まんこ)を醜いと思わせて来た世間の風潮にすっかり流されていただけなのでした。
もちろん、整形手術をしたい人にはそうする自由があります。
長年のコンプレックスを、手術で気軽に解消できます。やりたい人を止めません。
しかし、自分の体を悪いものや恥ずかしい物だと思っていなければ、そもそもしなくて済む手術です。まして、巨乳は奇形であるかのように思わせ、整形手術を煽るかの様な話を、日本の表現問題に関わる重要な立場にある人が言ってしまって良いのでしょうか

昨日の繰り返しになりますが、

胸のでかい女性をいじったり、セクハラをする人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物を潰しても世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしていきましょうよ。

ところで、岩渕さんのお望みの「奇形差別とみなされた物は規制できる世界」になったとしたら、規制対象になる芸術作品を以下に挙げてみる事にします。
キュビズム、シュールレアリスムの名画は大体アウトになるかと思います。
こうして眺めると、現代は権威ある芸術作品も、当時は嫌悪感で猛烈に反発する人達がいただろう事は容易に想像がつきますし、三回言いますが、萌え絵を奇形差別でなら規制できると言う岩渕さんに、なぜあいちトリエンナーレのあり方検証委員会と言う表現問題に関わる重要なポストを任せてしまったのか、大いに疑問です。

萌え絵は環境型セクハラだと言うフェミニストの皆さんへ

あいちトリエンナーレの表現の不自由展の騒動が冷めやらぬ中、今度は献血ポスターに採用された萌え絵表現への抗議でTwitterは荒れています。
問題の絵である「宇崎ちゃんは遊びたい!」という漫画のキャラクターである宇崎ちゃんが、異様に胸が強調されている為、性的だとして主にフェミニスト達から猛烈な批判を浴びています。

わたしもフェミニストであり、かつてはこの種の萌え絵に得も言われぬ違和感を覚え、どちらかと言えば嫌悪する側でした。が、わたしは表現の自由主義者。己の嫌悪感は差し挟まず、あいちトリエンナーレで問題となった天皇の肖像を焼く動画などと同様、公平に表現の自由を主張しています。
なお、献血はコミケ会場に併設される事が多い為、オタク層をターゲットにする事は特に問題ないかと思います。実際に都内の献血ビルをルポした方によれば、問題のポスターも献血ビルの中に入らなければ見ることもなく、よく探さなければ見つからず、秋葉原の献血ビルに数枚あった程度、との事でした。

それでもこの絵に対する嫌悪感の強い人達の怒りは収まらないようで、「巨乳の人が見たら可哀想!」「環境型セクハラだ!」「私は巨乳ですが、この胸のせいでからかわれたりセクハラされて嫌な思いをして来たんです!」と、実在の巨乳の方々もわたしに怒りをぶつけて来られます。
「あらゆる表現は意図せず誰かを不快にさせるもの」なので、それは当然。不快に思う人の気持ち自体は否定しません。現に、かつてのわたしも萌え絵が嫌いでした。
しかし、この意見をフェミニストを名乗る人達も一緒になって叫んでいるのは不思議です。
フェミニズムとは、女性を長らく押さえ付けて来た社会の役割や性的な偏見や古い価値観から解放し、女性はもっと自由になろうと謳って来た思想のはずだからです。

フェミニストこそ、「女の胸がでかくて何が悪い!」と言うべきではないでしょうか。

Twitterでは「アメコミの女性キャラは胸の露出が多いのに不快じゃ無いのは胸が大きくても強調されてないから」と絵付きで説明する人もいましたが、まるで、スカートの丈や前髪の長さをチェックする風紀委員のようです。
昔、娘や生徒がミニスカートを履いたり体のラインを強調する服装をしたら怒るお父さんや教師みたいな事を、女性の自由を主張するはずのフェミニスト達が率先しているのが怖いです。
しかも、萌え絵はフィクションの世界の絵です
よ。(こう言うと、現実の女性とフィクションを一緒にするな!と言う方がいますが、あなた方がフィクションである萌え絵を現実と混同して騒いでいるから批判されるのです)

もちろん、おっぱいのでかい女性をいじる男の子達やセクハラをする大人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物ではありません。

ここでわたしの話をさせてください。
今は出産した上、加齢でしぼんでしまいましたが、かつてEカップの胸を持っていたわたしは、20代の頃は自ら好んで胸が強調されるピタピタTシャツやセーターを着て、もっと胸が大きく見えるよう、パッドを入れて底上げまでし、自分の体を性的な視線で見られることも承知で楽しんでいました。(現在は見る影もありませんが、わたしは自分の体を普通に受け入れていますから、別段悲しくもありません。今は胸が無いぶん、洋服をすっきり着られるし、乳首隠しのついたワイヤー無し下着をつけて肩こりのない快適な毎日を過ごしてます)
わたしのような女性も少なからずいるはずです。そうでなければ、見せブラ、底上げボリュームUPブラなどの需要は市場に一切無い事になります。

さて、20代の頃は性の対象として眺められるのも悪くないと思っていたわたしは、加齢とともに胸も萎んだ代わりにフェミニズムに目覚め、40歳を前にして、まんこのアートをするようになりました。
まんこのアートと言うだけで、面と向かって「汚いから寄るな!」と嫌悪感を示す人もいましたし、簡単にセックスができる女だと思われ、仕事の話と称してわたしを呼び、ホテルに連れ込もうとする人もいました。一番多かったのは、性的な表現をしているからと、人間以下のように見下す人達でした。
そこで気の強いわたしは反発するのですが、驚く事に、その場にいた人達まで、「怒りすぎだ」「女なんだから大人になってあげないと」と、同じ女性ですら、わたしを牽制したりバカにするのです。とてもガッカリしました。
女性に嫌なことをするセクハラ加害者の方が社会的に立場が強いと、周りは無視するか、加害者側に立つのです。これではセクハラが一向に無くならないわけです
この手の話はわたしの体験に限った事ではないと思います。
つい最近も、フォトジャーナリストの広河隆一氏の複数の性接待強要事件が発覚した騒動が記憶に新しいですが、被害者達によれば、人権団体の関係者に相談しても聞いてもらえなかったが、metooムーブメントを機に勇気を出して週刊誌に告発したとの事でした。恐ろしい事に、人権団体の人達ですら、権威ある人のセクハラを、長年見て見ぬふりして来たのですよ。
カトリック教国であるアイルランドでも、神父の信徒の子供達への性虐待が長らく隠されていた事が80年代に大問題になりましたが、これも同じく、加害者の悪事を正すべきはずの信者達が隠して来たのが根深いです。

話を萌え絵を抗議するフェミニスト達に戻します。
「萌え絵が公共の場にあるとセクハラに加担する事になる」なら、萌え絵などなかった時代はセクハラは一切無かったのでしょうか?
あなた方の主張が世間に届いていたら、広河氏の十数年に及ぶ性接待強要も、あらゆるセクハラはとっくに問題視され、解決していたはずですが、なぜ見過ごされて来たのでしょうか?

繰り返しますが、本当の敵は、セクハラや性暴力をする加害者と、それを見過ごしたり無視したり、被害者をバカにする周りの空気です。物言わぬ表現を攻撃しても、世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしましょうよ。

最後に、それでも萌え絵が「環境型セクハラだ!」と言う事でしたら、日常のあらゆる事象を性的だと思った瞬間に取り締まらないといけませんので、わたしも性的に感じた物をUPしますね。ご査収ください。

“Female Pleasure” Review: Fighting the Patriarchy – The New York Times. NYタイムズにて、わたしも出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」が紹介されています

“Female Pleasure” Review: Fighting the Patriarchy – The New York Times

NYタイムズに、わたしも出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」が紹介されています↓

https://www.nytimes.com/2019/10/17/movies/female-pleasure-review.html