カテゴリー別アーカイブ: 表現の自由

多様性や反差別を呪文のように唱えながら、単一で全体主義的な社会を望み、違う考えの人を排斥する人達に思うこと。

史上稀に見る、アメリカの大統領選挙の激戦が終わり、バイデンさんが当確しました。わたしもこの数日、テレビやtwitterの情報に釘付けで、結果には疑問が残るものの、ひとまず区切りが着いたのは良かったと思います。

疑問が残ると言うのは、トランプさんがリードしていた激戦区の投票所で、夜中になるとなぜか一気にバイデンさんの票が上がる不自然さについて、CNN系のニュースではデマだとして検証もされず、その様な事を告発する動画やトランプさんのツイートにも検閲がかけられた事です。

これがもし、トランプ側がリードしていたら、メディアは執拗に追求した事でしょう。

「トランプは悪人だから不正をしているはずだ」と言うバイアスがかかり過ぎているにしても、不正疑惑が出た時点で公正な選挙であるかどうかを問うのは民主主義に置いて大前提のはずだとわたしは思うのですが、その疑問をTwitterで言うだけでも、「お前はトランプ支持者か!」と決めつける人や、やけに攻撃的なリプライが飛んで来るのも不思議でした。彼らは一様に「差別は良くない、多様性が大事」と呪文のように唱えながら、違う意見であるトランプさんやトランプ支持者や、少しでもそう見える人を馬鹿にし、攻撃し、排斥しようとしているのです。

前置きが長くなりましたが、このわたしの疑問を不信に変える決定的な出来事がありました。

先月、ドイツの某フェミニスト系ポッドキャストから、慰安婦像の問題について、日本のフェミニストとして意見を聞かせて欲しいと言う取材を受けました。インタビュアーは日本とドイツのミクスドレイスの方で、日本語はペラペラで問題はなかったのですが、取材時の音声を取り損ねたとの事で、後日、再度取り直しさせてくれと言われ、時間も取られました。また、何かあった時の為にわたしの声をスマホで録音し、その音声データも送ってくれと、手間のかかる事まで要求されましたが、大事なテーマの取材ですし、謝礼もありませんでしたが、わたしは最後まで好意的に受けました。

しかしその数日後、突然、取材の話は無かった事にして欲しいと言うメールが届いたのです。

驚いて理由を尋ねたところ、その人が、わたしのtwitterを見たところ、「アンチトランプではなく、BLMを支持していないから」との事でした。

わたしは、トランプ支持だと主張したことは一切ありません。確かに、番長としてはなんか面白い存在ですが、問題は沢山あると思っています。しかし、メディアはトランプを異常に嫌悪するばかりで、トランプが中東和平を仲介し、この数年戦争をしなかったことや、コロナ前には黒人ヒスパニックの失業率を下げたこと等、良い政策もあったのをあまり取り上げないので、疑問を呈していただけです。つまり、わたしはトランプ支持だろうがアンチだろうが、「公平である事」をずっと主張しているのです。ただそれだけでも「トランプ支持者」とされる事に、大変驚きました。

BLM運動については、リーダー達の急進的なマルクス主義と略奪や破壊行動の肯定に疑問があり、支持しませんが、人種差別には当然断固反対の立場です。

ですが、当該インタビュアーによれば、「私どもが大切にしているポッドキャストリスナーの方達は皆似たような思想なので(BLM支持者、アンチトランプ等)」、わたしではダメなのだそうです。

女性の自由や多様性を謳うフェミニスト団体が、「我々と考えが違う人はお呼びでない」とは、一体どう言う事でしょう?これはむしろ、彼らフェミニストは単一で全体主義を目指している、と言っているも同然ではないでしょうか。

フェミニズムって、女性の選択の自由を尊重する事、ではないのでしょうか?

世の中には、白黒まっ二つに考えを分けられる人は、そういないと思います。例えば、支持政党は共和党だけど、トランプの女性差別には反対の女性もいるはずです。また、BLMの暴力的な側面が嫌で積極的に応援しないが、当然女性差別や人種差別に反対の人もたくさんいるでしょう。極端な事を言えば、極右の愛国者で反BLMで共産主義が嫌いな専業主婦だけど女性差別には反対だからフェミニストを名乗る人がいたとしても、その人の自由だし、何も不思議はないはずです。

もしも、フェミニストがその様な人達を、「アンチトランプでBLM支持ではないから」と否定するなら、とてもおかしい事だとわたしは思いますが、どうも、不寛容なのは、日頃萌え絵を攻撃する日本のフェミニストだけでなく、海外のフェミニスト界隈の方が一層頑なかもしれないと感じて、わたしはとても暗い気持ちになりました。

正直、もう、フェミニストを名乗るのは辞めた方がいいかもと、挫けそうです。フェミニストを名乗っても、同じフェミからは排斥され、アンチフェミからも「クソフェミ」と攻撃され、何も良い事がありません。ですが、女性の体をワイセツとされてムカついて国とケンカしたわたしが、フェミニストではないなら、一体何なのか。わたしのような異端のフェミニストがいたっていいじゃないか。むしろ、不寛容で全体主義なフェミニストばかりではない、わたしの様なフェミニストだっているんですよ、と示す為にも、フェミニストである事を言い続けるしかないのです。

そして、支持政党や思想信条が違う人でも排斥しないでお互いを尊重しあえる社会こそ、本来の意味での多様な社会だと思うのですが、みなさん、いかがでしょう?

最後に、わたしの好きな写真をお借りして貼っておきます。

2分でわかる!ろくでなし子って、フェミニストとして何やって来たの?

最近、Twitterで「ろくでなし子さんてフェミニストとして何やってたの」と言われる様になって来ました。二度の逮捕も、もう6年前の事なので、仕方ありません。以下、2分でわかる様に解説します。

わたしは、まんこを卑猥な物とする、世のまんこイメージを覆す為、自分のまんこの型をとり、キラキラにデコったり、ジオラマを載せたり、まんこの照明器具、まんこのiPhoneカバーなど、面白くて楽しくて笑えるまんこの作品作りをしてきました

その一環で、まんこを3dスキャンし、まんこのボートを作って、たまん川(多摩川)で漕ぎましたが、

まんこのボートを作る際に利用したクラウドファンド(CAMPFIRE)の出資者に、リターン(お礼)として、3dまんこデータをダウンロードできるURLを送信したのが、ワイセツ電磁的記録媒体頒布として、逮捕。二度目の逮捕では、それにデコまん作品展示の罪もくっつけられた上に、起訴されました

後に、控訴審の高等裁判所でデコまん展示は無罪確定となりましたが、3dまんこデータのダウンロードできるURLの送信については高裁でも有罪だった為、最高裁に上告して数年が経ちました…

逮捕の件を漫画にしたところ、英語訳、フランス語訳、スペイン語訳と、世界に作品が広がりました!

またその間、なぜか海外のロックミュージシャン Mike Scott と出会って結婚、44歳で元気な男の子を出産しました(笑)

何だかほのぼの幸せなまま、刑事被告人状態が続いておりましたが…

今月16日の15時、やっと、ハンケツがおりるのです!と言うことで、性器の(世紀の)まんこアート裁判のハンケツ結果をお楽しみに。お暇な方は、最高裁判所に、遊びに来てねー♪

最高裁判所住所はコチラ

「バースト・ジェネレーション:死とSEX」展 “BURST Generation : Death and SEX” exhibition 7月10日〜22日迄開催

本日より開催、
「バースト・ジェネレーション:死とSEX」展
“BURST Generation : Death and SEX” exhibition
に参加しております。
作家先生方と、ハイまんこ☺️

以下、ギャラリーサイトの展示会概要を転載します↓↓↓

「バースト・ジェネレーション:死とSEX」展
“BURST Generation : Death and SEX” exhibition
ろくでなし子、根本敬、釣崎清隆 、ピスケン 、ブライアン佐藤、
西牧徹、PONO♡FEKO 、ケロッピー前田
スペースM、S、E※関連イベント→https://www.loft-prj.co.jp/schedule/rockcafe/148571

〔概要〕
コロナ禍にある2020年、伝説の雑誌『BURST』の血統を継ぐ『バースト・ジェネレーション』(東京キララ社)が、時代を疾走してきた表現者たちに“新たな戦場”を提供する!
今回はゲストアーティストに「まんこアート」の巨匠・ろくでなし子を迎え、鬼畜悪趣味カルチャーの先駆者・根本敬、グロテスク表現を極める死体写真家・釣崎清隆、BURST創刊編集長&作家・ピスケン、褐色のエロス画家・ブライアン佐藤、淫魔の鉛筆画家・西牧徹、陰部神社を祀るPONO♡FEKO、究極のカウンターカルチャー・身体改造を追うケロッピー前田が集う。
タイトルとした「死とSEX」は、オーストラリア・タスマニアにある「死とSEXのミュージアム」の異名をとる美術館MONAにあやかった。MONAは、古代美術と現代アートに特化したコレクションを通じ、人間の最も原初的なアートの衝動は「死とSEX」の表現にあると教えてくれる。また、「死とSEX」展は「死と未来」展(ヴァニラ画廊、2013年)の続編にあたり、「Nach Fukushima(アフターフクシマ)」展(HfG Offenbach, Frankfurt Germany 2018)に次ぐ、ケロッピー前田キュレーションによる展示となる。ご期待ください!

新宿眼科画廊でのオンライン展示会始まりました。(7月7日まで)

6月26日から7月7日まで、新宿眼科画廊のオンラインweb展覧会に参加しております。

【作品説明】やぁみんな!まんこのようせい・まんこちゃんだよ!ぶったいを3Dスキャンして、じゆうにプリントできるかっきてきなぎじゅつをつかって、まんこアーティストのろくでなし子さんが、2014年のタイホをきっかけに、3dモデリングをべんきょうして、まんこをたのしいおもちゃにしたよ。だいいちだんは、3dLEGOまんこドール。おてもちのLEGOにくみあわせてあそんでね!(撮影:Michel Paschalis)

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今から6年前の2014年は、わたしにとって忘れられない年です。

5月に新宿眼科画廊にて、「まんこで遊ぼう!よいこのまん個展」を開催しました。自らのまんこを3Dスキャンして作ったまんこのボートや、3dプリントした模型、まんこのアプリゲームなど、わたしの中では最新テクノロジーを駆使しながら子供でも楽しく遊べるまんこアートを展示したつもりでしたが、後にそれらがワイセツとされ、7月と12月に二度も逮捕されました。

それ以前から、わたしはまんこをデコってジオラマを載せるなどしてましたが、手作業で石膏を使い1個1個かたどる作業は時間がかかるし、その単純なアナログ手法にも飽きていました。3dプリントの技術でそれが可能だと思いついた時は、興奮と喜びで満ちました。

当時も今も、新しいテクノロジーがあれば、まんことかけ合わせてみたい!そしてプロダクトアーツとして量産したい!と思う気持ちは変わりません。ただ、当時は3dの技術は自分には高度すぎた為、専門の業者にお願いしておりました。専門業者に頼めば当然お金もかかりますから、アイデアを気軽に形にできないのが、一番の悩みでした。

二度の逮捕を機に、「これで逮捕されたからには極めたい」と思い勉強し、50歳を前に、3d技術のスキルを身に付ける事ができました。これからは、誰に頼る事なく好きな作品を量産できると思うと、感無量です。警察には感謝しかありません。

あれから6年、新宿眼科画廊のオンライン展示会で再び展示させて頂く事になりましたが、ちょうど同じ年の7月16日に、わたしの裁判の最高裁ハンケツが下りる事になったのも、何かのご縁を感じます。

新宿眼科画廊オンライン展示会は、勿論、まんこに限らず、他の作家さん達の、若々しいアイデアに満ちた、楽しくて可愛くてユニークな作品が展示されています。ぜひ、遊びにいらして下さい。

http://shinjyuku-online.com

黒人殺人事件への抗議デモに対する日本的な考え方と海外の人の考え方の違いについて。そして改めて言いたいこと。

世界的にもコロナウィルス新規感染者が減少傾向の中、アメリカでは、警官の黒人差別により命を落とされた男性に対する抗議のデモ”Black Lives Matter”が盛んとなって、その火種が世界中に波及しています。黒人差別に人々が立ち上がるのは当然の事ですが、暴動が過激になり、ナイキやアップルストア等のお店を襲撃したり、建物や車に放火する人達まで出ています。トランプ大統領は、その様な行為はANTIFAを名乗る反体制運動家達が主導しているとして、彼らをテロリスト認定しました。

しかし、それら犯罪行為はトランプ支持の白人至上主義者がなりすましているor扇動している、という説もあり、一体何が真実なのか、アメリカから遠く離れた場所に住むわたしには、よく分かりません。

ANTIFAを名乗るtwitterアカウントが白人至上主義者のなりすましだった事がtwitter社の調査で明らかにはなったものの、フォロワーがわずか数百人のアカウントの為、そんなアカウントがそこまで影響力があったのか、少々疑問です。また、実際にお店を襲撃している人達の映像を見ていても、白人も有色人種の人も、人種を問わず物を破壊し商品を盗んでいる様子です。また数年前より、日本でANTIFAを名乗る人達から、単なる意見の違いなだけで、わたしはレイシスト呼ばわりされたり嫌がらせを散々受けたので、ANTIFAに良いイメージが正直ありません。

それと、わたしは人種差別には当然反対ではありますが、ダブリンの自宅がアメリカ大使館の近くですし、もしもマンがいち、黒人差別の名の元に、自宅近くに火を放たれたり襲撃されたらとても恐ろしいです。

デモには賛成ですが、略奪や暴力行為などの犯罪には反対です

しかし、それを言うと、「黒人差別はそんな小さな犯罪などより重要だ!」「正義の為なら小さな犠牲は仕方ないんだ!」と怒る人や、わたしを「差別主義者!」と決めつける人達(特に英語圏の人や、海外在住の日本人)までいて、twitter で攻撃してくるのです。繰り返しますが、

①人種差別で黒人が公権力に殺されたことは重大な問題だから、デモに賛成。

②わたし含め、第三者の財産や生命が不当に危険に曝される状況には反対。

わたしには①と②の2つの考えが共存できるのですが、なぜかこれが理解できない人達が多く、①を言っているにも関わらず、②を言うと攻撃されるのが凄く理不尽でした。

なぜ彼らはそう極端なのか?

この疑問が、友人との話をきっかけに、少し見えて来たので、わたしの考えを述べたいと思います。端的にいうと、日本と海外のデモの歴史や文化やその認識のされ方の違い、治安や警察に倒する信頼度の違いではないかと思いました。

例えば日本では、1970年代に学生運動が盛んになりましたが、過激に先鋭化した運動家達が山に篭ってリンチ殺人しあい、人質をとって山荘に立て篭り、社会的な悪の象徴になりました。1990年代はオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、「反社会的な人達は過激化すると恐ろしい」というイメージがより強くなったと思います。加えて、日本はとても治安がよくて、デモで掠奪されたり放火される事が、他国より非日常的すぎるのだと思います。

2年前にも、デモではなくて、ハロウィンで渋谷に集まった若者達が大騒ぎをしましたが、治安がよろしくない海外なら日常的すぎて逮捕もされないでしょうが、日本では実名公表で見せしめのように逮捕されました。群衆の中で軽トラックを倒したというたったそれだけの事で、まだ若い彼らは、残念ながら、まともに就職もできないでしょうから、社会的に抹殺されたも同然です。しかし日本人は何よりも治安を大事に考える為、もしもデモで略奪や放火などがあれば、それをした方が社会的に制裁を受けるのです。

また、他国では警察とマフィアがズブズブだったり、通報しても助けてくれないとか、捜査もしないとか、警察が腐敗していて信頼度に欠ける面があるのに対し、日本の警視庁は(まんこアートした女はなぜか逮捕はしても)あからさまな腐敗やギャングとの癒着もなく、捜査能力が高く、庶民からの信頼が基本的に高いのも関係してそうです。

70年代の学生運動の失敗や、オウム真理教のテロ行為という負の歴史が根深くありつつ、日頃から治安が良くて警察への信頼も厚く、子供の頃から「他人様に迷惑をかけてはならない」と教えこまれ、掠奪や放火が起きたと聞けば恐ろしい人達だと認識しやすい日本人と、治安が良いとは言えずデモが頻繁な文化の国では、やっぱりデモに対する考え方の前提が違うのではないかと思います。

追記になりますが、米国に住んでいた知人の方の話で気づいた事を書きます。彼女がトイレにお気に入りのポーチを置き忘れて1分も経たない間に盗まれて、それを教師に伝えたところ、「盗む人にも事情がある。あなたも大事な物なら自衛をしっかりしなさい」と逆に説教されたそうです。また、強盗にあって警察を呼んでも、形式で調書はとっても「多分、犯人は捕まらないし、盗品も返ってこない」と言われるそうなのです。米国では、「犯罪する側にも貧困などの様々な事情があるし、被害者にも自衛の責任がある」という考え方の様です。

日本人は「どんなに事情があっても罪は罪」だし、「他人様に迷惑をかけてはならない」し、「犯罪者は悪」という認識が強い為、この米国的な考え方を理解するのは難しいでしょう。

とはいえ、何で彼らはそう思うのかが分からなかった頃よりも、違和感や不快さはなくなりました。「犯罪に対する考え方の違い」なのだから仕方ないと思えますし、だからこそ、どちらが民度が高いとか低いと比べる話でもない事は自明です。

それら違いを踏まえた上で、わたしは改めて、人種差別で黒人が公権力に殺されたことは重大な問題なので、デモには賛成ですが、わたし含め、第三者の財産や生命が不当に危険に曝される状況には反対です。だって、自分のお店や住居が襲撃されたら嫌ですし、それを「小さな犠牲は仕方ないんだ」とか言われたら、今度はそう言った人達やデモをする人達に対してわたしは怒りが芽生えると思います。黒人差別に比べたらどんなに些細なことであっても、誰かが傷付いたり損害を被るのはおかしいし、それがまた新たな憎悪となり、争いや差別はなくなりません。不毛な怒りの連鎖は断ち切るべきです

抗議目的のデモと、略奪行為や放火など(犯罪)は、はっきり分けて考えるべきではないでしょうか。

Black Lives Matterでは、アメリカの国旗を車にひかせるようなデモ行為もありましたが、わたしは、やはり、何かを汚したり踏んづけたり破壊したり焼いたりする表現は苦手だし、好きではありません。表現の自由だから一切止めませんが、わたしは自分の作品でも、憎い相手の警察も、可愛く楽しく表現したいです。

差別は誰の心にもある物なので、根絶は難しいと思いますが、少しでもそれらが減り、世界中の全ての人が平和に楽しく幸せに暮らせる事を願います。

7月16日15時、遂にまんこアート裁判の最高裁ハンケツが言い渡される事になりました。

先程、弁護団から聞きましたが、7月16日15時、遂に、最高裁ハンケツを言い渡される事になりました。
直前までお楽しみにと思ってましたが、すでにメディアが報道してるので、ご報告いたします。

報道では、有罪濃厚と言われてますけど、もしそうでも、ひとつの区切りですので、わたしは法廷に出向くつもりです。

2014年の逮捕から、6年も経ちましたが、この事件のお陰で、わたしは精神的に鍛えられた上に、良き弁護団に恵まれ、支援者の方々に支えて頂き、まさかの良い出会いもあり結婚&かわいい息子まで授かり、お釣りが来ても良いぐらい幸せでした。
この場を借りて、お礼を述べます。
警察、ありがとう❣️
もう刑事被告人じゃなくなるのが、正直、寂しいです…( ;∀;)

それにしても、最高裁の待合室なんてなかなか入れないと言われたので、今から楽しみです。
折角ですので、ろくでもない記念グッズなど作って支援者の方に配ろうかなと考えてます。
遊びに来てください!(最高裁って一般の方が入れるのか知らんけど)

それでもわたしがフェミニストを名乗り続ける理由 (「#私たちのフェミニズム」を何がなんでもみんなで語らせようとしない閉塞したフェミニスト達に思う事オマケ)

昨日のブログでは、ハフポストでの髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの炎上について、思うところを書きました。
わたしは、多くのフェミニスト達が怒る理由について、ひろゆきさんが「女は男より生きやすい」と受け止めているところにのみ焦点を当て過ぎましたが、彼らの怒りはそこだけではない事と、またそれについては、わたしが以前からフェミニストを名乗る事にこだわり続ける理由にも関わってくる為、丁度いい機会なのでオマケとして追記したいと思います。

さて、ひろゆきさんはコラムの中で、要約すると以下の様に語っておられました。

“問題なのは、フェミニストには、「男女平等がいいよね、同じようにしたいよね」という平等主義者と、「女性の権利を増やしたい、そのために男性の権利を制限したとしてもいい」という差別主義者が両方いて、なのに同じ「フェミニスト」を名乗る為、二つがごちゃ混ぜになる、だから切り分けるか、どちら側も「フェミニズム」「フェミニスト」という言葉を使わずに「違うものだ」と言った方が、世の中に理解されやすいのでは?”

この考えにも猛反発する人達がいて、昨日からひろゆきさんの事を「sexist」だと決め付ける意味不明な人までいます。
わたしは、ひろゆきさんの、『フェミニズムやフェミニストという言葉を使わない方が良い』という結論には反対ですが、それ以外の事はほぼ事実なので同意します。
これにお怒りの人達は、自分達が差別主義者だという自覚があったのでしょう、実に素直な人達だと思いました。(彼らは、胸の大きな女性漫画キャラクター「宇崎ちゃん」を起用した献血ポスターが炎上した件について、ひろゆきさんの『「私が気持ち悪くない程度」という主観になってしまっている人が多い』という意見にも強い抵抗を感じている様です。)

実際フェミニストの中には、大雑把に分けると「男女平等を唱えるなら、女性と同じく男性の権利も対等に尊重しようとする人」と、「女性の権利を最優先し、男性や性的なものを嫌悪する人」がいて、主に後者は萌え絵や性的な表現物の規制を主張しています。
Twitterでは、数年前から後者の声の方が大きく、男女平等派のフェミニストで表現の自由を唱える人(わたし)の声はかき消されがちです。彼らの中には、男性の権利に言及しただけで「名誉男性」「ちんぽよしよし」などと罵る者もいます。
そして「フェミニスト」と言えば、残念ながら、共感や賛同以外は求めない男性嫌悪者達の拒絶と攻撃スタイルによって、かなり悪いイメージになってしまっています。

そんな中でフェミニストを名乗るメリットは、正直、全くありません。事実、わたしは長らく表現規制派と勘違いされ、表現の自由を主張する人達から「クソフェミ」と罵られて来ましたし、そうではない人達からも、「フェミ怖い」と言われ続けています。

フェミニストを名乗っていても良い事が無いから辞めよう。
そう何度も思いかけました。だけどこれ、わたしのアートのテーマである「まんこ」と同じなんですよね。
「まんこ」には、嫌らしい、汚らわしい、卑猥なイメージが染み付いてしまっていますが、わたしはそのイメージを覆す為、まんこを楽しくて、面白くて、笑える作品に変えて来ました。
過去には、まんこという名前そのものが悪いイメージだから新しい名前に変えようとする動きもあり、埼玉県の教育委員会は「おぱんぽん」、フェミニストの北沢杏子さんが「われめちゃん」と名付けたりしましたが、いずれも定着しませんでした。
名前を変えても定着しないなら、わたし一人でも言い続ける事で「こんな面白いまんこも有るんだ」と分かってもらえる様、地道にやるしか無いと思ったから、ここまで「まんこ」にこだわって来たのです。

「フェミニスト」も、その名前を捨てようと思えば簡単ですが、まんこ(女性の身体)の自由を語る時、わたしにはフェミニズムと分けて考える事はどうしてもできない。結局フェミニズムが関わって来るのです。
だったら、わたしの様なフェミニストもいたって良いし、その為にも地道に自称し続けるしかありません。
「お前なんかフェミじゃない」と男性嫌悪者のフェミニストからも言われる事もありますが、自分で名乗る以上、誰にとやかく言われる筋合いがあるのでしょう(だからわたしは、彼らも自分達をフェミニストと自称している以上、否定したくないのです)。

これがわたしがフェミニストを名乗り続ける理由です。

*髙崎さんとひろゆきさんの対談コラム後編がアップされました。そちらについても感想ブログを書きましたので、よろしければご覧ください。

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今、フェミニズムに興味がある人全てに伝えたい。あなたの本音を自由に語ると「名誉男性」と攻撃されるなら、それはフェミニズムを盾にしたカルトです

将来は仕事でもフェミニストとして活躍したいと言っていた15歳の華のJK(本人自称)フェミニストのPさんが、嫌がらせによりTwitterから去ってしまいました。

Pさんはつい最近、フェミニストとの対談を希望する男性配信者達の企画に出演が決まり(後にその企画は無くなりました)話題となった人でした。
当初、多くの人達は「ミソジニストがJKをいじめたいだけだ」「音声が残って怖いよ」と、Pさんの出演を止めようと躍起になっていましたが、Pさん自ら出演を希望して名乗り出た事が分かると「ミソジニストに擦り寄る名誉男性」と、一部の過激なフェミニストがPさんをバッシングし始めました。(その騒動に関して思った事は過去ブログに書きましたので良かったらご覧ください

あらゆる方向から非難の声が上がる炎上は、おそらく初めての体験だったと思いますが、怯えて鍵をかけたり、あるいは逆上するわけでもなく、冷静かつ丁寧に対応していたPさんは、とても立派でした。
かく言うわたしも、何度も炎上体験しており、今では屁でもない事ですが、初めてそれを受けた時は動揺し、心の余裕もなく、自分も相手を傷つける言葉を投げ返してしまったものです。
ですから、わたしはフェミニストの一人として、立派なPさんを尊敬し、Pさんの今後の更なるご活躍を楽しみにしておりました。

ところが、そんなPさんへのトンチンカンな批判は止まず、一昨日ついに、フェミニストを名乗る匿名アカウント(ネカマと思われる)に身元を特定されそうになり、残念ながらTwitter を去りますと言い残し、Pさんのアカウントは見れなくなってしまいました。
Pさんは 「Twitterを辞めても現実世界で将来はフェミニストとして必ず活躍します」とツイートされていたのがせめてもの救いですが、たとえ直接の原因がネカマの嫌がらせであっても、仮にもフェミニストを名乗る者達がPさんを集中攻撃し、精神的に追い込み、結果的にネカマを呼び寄せ、Pさんを Twitter言論の場から追いやった事実は重く受け止めるべき事で、同じフェミニストとして、非常に情けなく、申し訳ない気持ちです。

Pさんを追い詰める様なフェミニストを称する人達には、わたしもよく「名誉男性」と言われ、揶揄されています。男性や男性の性欲を嫌悪し、萌え絵などを環境型セクハラと言い、表現の自由を認めない彼らにとって、「『男女平等』であるならば、男性の権利も当然尊重すべき」であり「表現の自由を強く主張」するわたしは許せない存在なのでしょう。Pさんもその様なターゲットの一人でした。
とにかく、彼らにとって気に入らない人は全て「名誉男性」で、彼らに従わない人間は敵であり、悪であり、仲間に分かる様に見せながら罪悪感を与えようとして来ます。それはカルトが信者の結びつきを強固にする手口とよく似ています。

とはいえ残念ながら、この手の人達はいなくならないでしょう。
わたしも多様な社会を目指す者として、自分とは相容れない意見の人達を排除すべきでないと思うし、本人がフェミニストだと言っている以上否定する訳にもいきません。
しかし、この様な人達のお揚げでフェミニズムがどんどん荒らされ、誤解され、本来の意味でのフェミニストまでが追い払われて行く事態には、わたしはもう我慢がなりません。

今、フェミニズムに興味を持った人全てに伝えたい事があります。
フェミニズムとは、男女の性差を超え、権利や選択の自由を増やそうという思想です。あなたがどんな考えを持ち、どんな発言をしても、言論の場においては自由なはずです。それなのに、「名誉男性」などと言い、あなたが本音を発信すると攻撃してくる人がいたら、それはフェミニズムを盾にしたカルトです。
一切、聞く耳を持つ必要はありません。

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日本を安易に「変態ロリコン大国」とバカにして悪い国だとサゲたがる人に思う事

新年明けましておめことうございます。
アイルランドに住むわたしも、今年はお餅も手に入れ、正月らしさをマン喫しながら過ごしています。

さて、新しい年が始まろうとする大晦日の夜でも、twitterではわたしのつぶやきに物申したい人で賑わっておりました。話題は「日本の治安の良さ」についてです。

日本では、萌え絵アニメポスターが街中至るところにあり、いかがわしい表紙の雑誌がコンビニで平気で売られ、フェミニストは「女性や子供への性的搾取だ!環境型セクハラだ!」と叫び、海外メディアからは変態ロリコン大国とバカにされがちです。最近も、2019年の世界のジェンダーギャップ指数は121位と最低ランクだったと嘆く声が上がりました。
わたしも日本に住んでいた時は、日本って民度低いな、欧米はその点進んでいて良いなと思っておりました。

ところが、欧州に住み子育てしてみて、わたしは気づいたのです。

日本って、これだけいかがわしい物が溢れているはずなのに、なんでめちゃくちゃ治安が良いのかと。

日本の子供達は、学校に行く際も保護者の同伴は義務ではなく、たった一人か子供だけの集団登校が一般的。子供だけで公園で遊ばせたり、お使いに行かせる親も普通にいます。
海外では、いかなる時でも子供には保護者が同伴するのが当たり前。たとえ世界の大使館が並ぶ治安の良いエリアであっても、何かぶつぶつ言ってる酔っ払い、薬中の様な人、変質者はフラフラしてますし、スリ、置き引き、強盗は日常的で、犯罪と隣り合わせだからです。
この感覚が当たり前になってしまうと、わたし自身が子供の時にたった一人でも外に遊びに行き、たった一人でも暗い道を歩いて帰っていたのを思い出すだけでゾッとします。
試しに、日本の犯罪発生率をググってみたところ、2016年のUNODC調べでは、世界195位中193位と、やはり統計上でも素晴らしく治安の良い国でした。
わたしが子供だった40年前に比べれば、現在の日本の親達はもう少し危機感はあると思いますが、それでも、いまだに子供の送り迎えに保護者同伴義務もなく、子供を一人でお留守番させてもネグレクトで保護者が通報されることのない日本において、この治安の良さは驚異です。
本当に変態ロリコン大国なら、大人が子供をここまで放っておけるわけがありません。むしろ、実際の児童への性犯罪率は海外の方が圧倒的に高いのに、日本をバカにする海外メディアに腹が立って来ます。

こう呟いたところ、「日本はちょっとでも目を離すと公園で子供がトイレでいたずらされる事件もあるんだ!」「うちの近所では子供を殺すぞと脅す人がいて怖くてお年寄りがボランティアでパトロールしてるんだ!」と言う方達が来ましたが、海外では「ちょっとでも目を離す」なんてとんでもない事で、「片時も目を離せません」し、その様な状況でもお年寄りのボランティアに頼るだけで済ませる方がおかしな事です。

「いや、日本では性犯罪が起きても被害者が声を上げづらいから、犯罪率にカウントされないんだ!」と言う方もいましたが、もしそうなら、欧米先進国でMeTooムーブメントが起きた事の説明がつきませんし、世界中のカトリック教会の聖職者達が長らく児童に性虐待をしていた事実がひた隠しにされ続けていた事が最近ようやく明るみになった事からも、「日本に限る」話ではないのです。ちなみにわたしが出演している女性差別問題をテーマにしたドキュメンタリー映画「Female Pleasure」では、聖職者からの性虐待を幼少時から受けていた事を告発したドイツ人作家のドリス・ワグナーさんも共演されていますが、彼女の告発は教会に揉み消され、裁判を起こしても国に棄却され、それでも今も闘い続けています。(ちなみにジェンダーギャップ指数第10位の先進国の女性です)

残念ながら、「性犯罪者や変質者はどの国にもいる」し、「性被害者が被害を告発しづらいのも人種や国は関係ない」事です。それでも、最近はSNSの発展もあり、被害者個人が声を上げやすくなりました。日本でも、広河隆一と言う鬼畜ジャーナリストが社会的に制裁され、レイプ被害を実名告発する女性も(バッシングは多いけれど)現れています。社会は少しづつですが、確実に良くなって来ています。
そのうえ更に、子供をここまで自由にさせてなお犯罪発生率が低い日本はそれだけ治安が良いと言う事を、皆んなもっと褒め称え合い誇りにすべきではないでしょうか。
もちろん、油断はなりませんから、保護者が子供に付き添える環境をどんどん整えて行けば、さらに日本は子供への性犯罪率を抑える事が可能でしょう。だけど萌え絵やいかがわしい雑誌の規制は全くトンチンカンな話です。

と言う事で、せっかく1年の始まりのおめでたい時期ですし、日本はどうしても悪い国だとサゲたがる人達や、何でも「日本の男(キモいおじさんとオタクに限る)が悪い!」と言いたがるフェミニストの皆さんも、街中にいかがわしい物が溢れてなくてもジェンダーギャップ指数が上位でも犯罪と隣合わせな欧米先進国に比べれば、治安の良い安全な国に住んでいると言う良い面にも、是非目を向けてはいかがでしょう

自分が住んでいる国を呪いながら住み続けるのは、あまり幸せじゃないと思うのです。

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華のJK・Pさんと男性配信者達がフェミニズムを考える討論会の中止騒動について思う事

数日前、某男性生配信者達がフェミニズムについて考える討論生配信のゲストに15歳のフェミニストを呼ぼうとした事がTwitterで騒動となりました。

「ミソジニストが JKを引っ張りだして、許せない」「身元を晒そうとする人がいて危険だ」「音声が残って怖いからやめろ」と危惧する意見(特にフェミニスト達)が多数で、結局、「15歳以下の未成年は法律上21時以降の仕事はできない」「親の承諾が無い」などが理由で、その”華のJK(ご本人が称されているので敢えて使います)”Pさんの出演は無くなった様です。

わたしはその頃、Vagina Museumや、映画「Female Pleasure」の試写会でロンドンにいてTwittrerを追っておらず、どなたが配信されるのかも知らず、TLに流れて来た情報だけ見て何となく大多数の人と同じ気持ちになっていました。

ところが、Pさんのツイートを見たところ、これは「本人自らの応募」で、無理やり引っ張り出された訳ではない事や、配信者側も彼女を尊重して出演の際の条件などきちんと話し合いがなされていた事が分かりました。
まるで「10代の女の子は弱くて意志がない」かの様に無意識に思っていた自分の偏見に、わたしは気づきました
配信者のツイートも確認しましたが、その内のお一人は多少軽率な発言をしている様にも見えましたが、そこまであからさまなミソジニストの様にも思えませんでした。
むしろ、フェミニズムに無縁そうな男性がそれについて考えてくれるのなら良い機会ではないかと思います(フェミニズムを知らない、興味がない人にこそ、届かないと意味がないと思うからです)。

Pさんの書く文章からも真摯な考えが伝わりました。
これだけ聡明でしっかりと意見を持つ華のJKなら、何の問題もなく大人と対等に討論できるはず(もちろん21時以降の出演は法律で禁止されているのでNGですが)。
なのに、必ず加害されるかの様に過剰に心配し、危険だ危険だと騒いで辞めさせた人達は、Pさんの主体性を本当に尊重しているのか疑問です。特にフェミストを自称している人達は、Pさんが華のJKだからと一段低く見ていないでしょうか。更にその上、Pさんが自らの意志で男性との討論に応募した事が気に入らないのか、「名誉男性」と決めつけて罵るフェミニストまでいたと知り、驚き呆れ果てています。
むしろTwitterではその様にすぐ罵詈雑言を投げる大人が多い中、冷静に意見を述べることができるPさんを大人が対等に扱わないのは失礼だし、Pさんのやりたい事を奪っては、本末転倒です。

わたしは子供の頃から、何か新しい事をしようとすると、大人から「まだ早い」「何かあったら怖いからやめておけ」と言ってやらせなくさせられる事にウンザリしてきました。
そういう人は「良い事をした」と思っているけれど、わたしからしたら貴重な経験を奪い取る余計なお世話な人達です。
Pさんの出演の件で大人がすべき事は、「身元探す人がいて怖いよ」と脅すのではなく、おもしろ半分に身元を探る輩を徹底的に糾弾し、Pさんのやりたい事ができる様にその道を整えてあげる事ではないでしょうか。

Pさんは本当に良くできたお嬢さんの様で、わたしなら余計なお世話だと思うそれら大人の説教にも、「普段心配されることがなかったから嬉しいです」とツイートされていました。
ご本人が嬉しいなら、わたしがこれ以上言うことはありません。
ただ、何だか最近のフェミニスト達は、女性(特に若い女性)といえば即、「被害者・弱い存在」という思い込みが過ぎる様に思います。(わたしですらPさんに対してそう思い込んでいました)
性虐待やセクハラはもちろん撲滅すべきだし、MeTooもムーブメントになりましたが、世界の全ての女性が弱い存在とは限りません。

冷たい様ですが、フェミニストはかわいそうな人を慰めてあげる「被害者の会」の人ではないと思います。誰も守ってくれない時にこそ、その人が自力で立てる様にしなければ意味がありません。喩えるなら、お腹が空いている人にその時だけ美味しいご飯を作ってあげるのでなく、ご飯の作り方や材料を買うお金を得る知識を得る、そのツールがフェミニズムです。

このブログを書きながら、かつて藝大で上野千鶴子先生と討論会をさせていただいた事を思い出しました。
上野先生は、わたしのアートについて「性的な表現をして後で後悔しても取り返しがつかない」などと仰いました。先生のお弟子さん達には、自分の過去を後悔する人が多いのでしょうか。わたしという女性を低く見てかわいそうがりたかったのかもしれませんが、わたしは覚悟を持って制作し、だからこそ、今も国と裁判でワイセツについて争っている。
そういうわたしに対して「後で後悔するかも」と言うのは失礼だなと思いました。

わたしは「男女平等」をモットーにするフェミニストとして、性別や年齢や活動内容に関係なく、あらゆる人間と対等でありたいですし、15歳のPさんの語るフェミニズムと、それについて考える一般の男性との討論を視聴したかったので、とても残念です。

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