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石川優実さんに対するお詫びと、わたしが攻撃的になった人に対するお詫び、そして改めて、敵対ではなく共存を強く意識したことなど。 

先日、よもぎ団子さんと対話して印象が変わったというわたしに対して「よもぎ団子を擁護するのか!(してないけど)」と怒る人達についてブログに書きました
この後しばらくして、ふと気づいたのです。

昨年10月、青識亜論さんと石川優実さんの「これからのフェミニズムについて考える白熱討論会」という対談がありました。会場では石川さんが表現の自由を守りたいオタクの思いを多少理解してくれたはずで、本人も「有意義なイベントだった」と〆るほどだったのに、その後意見を翻し、青織さんへの人格攻撃的なブログを書かれ、青識さんをブロックし、結局オタクとフェミの溝がさらに深まってしまう出来事でした。
当時、参加者のリアルなツイートを追っていたわたしは、石川さんの華麗な手のひら返しに驚き、思わず石川さんにお伝えしたい事をブログにしました

この時わたしは、単純に「裏切り行為」としか思っていませんでしたが、おそらく、石川さんはフェミサイドから拒絶や激しいバッシングを受けたのでしょう。
実際、「あんなセクシスト(青織さんのことらしい)と対談なんかしなくていいんだ!」というツイートもよく見かけました。石川さん本人ではない人から見たら、「ひどいクソリプ」で済む話でも、本来なら味方のはずの人達からの激しいバッシングは心が折れたと思います。(時々「死にたい」と漏らされる繊細な石川さんなら尚更です)
「自分は敵側に転向したのではない」と味方にアピールする為にも、青識さんを罵るしかなかったのではないか
だからと言って、青織さんだけでなく、イベント参加者や、イベントに対して真摯に向き合い協力して来た人達の思いを裏切ることは決して許されませんが、わたしは石川さんに同情の気持ちが芽生えました。わたしに対する、よもぎ団子憎しの人達のバッシング以上に猛攻撃されただろうことは想像に難くないからです。

そしてわたし自身も、よもぎ団子さん憎しの人達から攻撃的で無理解なリプライをされ続けた為、自分を守る為に攻撃的になりすぎているとご指摘がありましたので、そこは素直に認めようと思います。
わたしが言ってもいない事を触れ回った事に対する訂正やお詫びをいただけないのは納得できませんが、わたしが感情的に荒れてしまった事に対しては、この場でお詫びしたいと思います。申し訳ありませんでした。

感情的になっていたといえば、石川優実さんに対して、わたしはかつてこの様なツイートもしました。

この時わたしは、石川さんの都合の良すぎる行動に文字通り怒りを感じてツイートしましたが、後になって読み返しても、ただ言葉が汚いだけで、我ながら説得力を感じません。
言った事を無かった事にするのは卑怯だと思うので、今まで削除はしないで来ましたが、お詫びした上で、この機に削除したいと思います。感情のあまり罵ってしまって申し訳ありませんでした。(石川さんには、このツイートをする以前から、理由はわかりませんがブロックされております。こちらのブログでお詫びの気持ちが届く事を願います)

さて、石川さんに感情的に罵った事を訂正したからといって、石川さんの日頃の主張に賛同した訳ではありません。これはよもぎ団子さんの印象は変わったが、彼の全意見に賛同した訳ではないのと同じですし、いまだにわたしへ批判し続ける人達のご意見に対しても、そうです。
これからも異論者同士ですから、相変わらず批判する事もあるでしょう。
ただ、異論者を対等な人間として尊重し、同じテーブルに着く。たったそれだけの事が、SNSではとても難しいです。

わたしは最近、何かを批判し続けたり、誰かと敵対する事に疲れています。

毎度、フェミニストを名乗りながら、気に入らない萌え絵を燃やし続け、先日はついに保育士兼グラドルの方という実在の女性の生き方を否定された太田啓子弁護士は、多分そういう才能があるのだと思います。(それこそこの件について批判ブログを書こうと思いましたが、本当に疲れてしまい、筆がのりません)

それでもわたしは、同じ意見の人とも、違う人とも、楽しい景色を見て行きたいです。

先日も、政治批評家のナザレンコ・アンドリーさんのyoutubeチャンネルに呼んでいただき対話させていただきましたが、ナザレンコさんと完全に主張は一致しなくても(特に慰安婦問題や伊藤詩織さんの件について)、お互いを尊重して意見を交換し合う事ができ、知らなかった事を教えていただいたり気づいたり、とても素晴らしい時間となりました。

人間は、敵や味方の2種類で分けられるものではなく、いろんなグラデーションを持った生き物です。重なり合う部分で共存し、対話したい。
今年に入ってから、少しづつですが、異論者の方ともお陰様で相互フォローになり、わたしはとても嬉しいです。
まだ極々小さな輪ですが、わたしは地道に広げていきたいです。

ナザレンコ・アンドリーさんとのyoutube対談

twitterによくいる、一度こうだと思ったら頑なに相手をそうみなし、本人が「違う」と言っても絶対に認めない人達の妄想力の怖さなど

先日、青識亜論さんのツイキャスよもぎ団子さんと対話し、その後相互フォローになったことなどをブログに書きましたが、いまだにわたしの真意を理解せず、「よもぎ団子を擁護するのか!」と言う短絡的な人達がいます。
放っておこうかと迷いましたが、言ってもいない事を触れ回られるのは流石に迷惑なので、改めてわたしの考えを主張しておこうと思います。

わたしは、よもぎ団子さんの、誰も聞いてないのに自分の非を認められる素直さを、率直に良い事だと思いますが、その件と、「よもぎ団子さんが献血ボイコットを呼びかけた事」とは全く別問題です。
そもそも、よもぎ団子さんはわたしに対して謝罪した訳ではありませんし、わたし自身、ここ数年献血もしていない為、輸血が必要な方々や日赤に成り代わって誰かを罰する権利はないと思うので、わたしに謝罪されても困ります。
彼の行為は悪い事であっても、わたしはいち個人として、反省の意を述べている人に対して、「謝罪の仕方がなってない」「謝罪する相手が違う」「どうせまた繰り返す」などといつまでも責めたくありません。
それでも、彼への怒りが収まらないという人は、わたしは一切止めませんので、お好きにどうぞ。
それと、よもぎ団子さんがまた変な主張をすれば普通に批判するであろうわたしの姿勢は特に変わりませんのであしからず。以上です。

ところで、わたしのように炎上する事が多いと、「あれ?これと同じような体験、前もあったなぁ」と思う事がよくあります。

わたしが逮捕された直後、北原みのりさんがわたしの事件についての記事を書かれましたが、その中で、「(わたしの作品が逮捕されるのに)萌え絵が野放しなのはおかしい、そっちを規制しろ」と言う趣旨の事が書かれていた為、釈放後、なぜか、わたしが過激な表現の自由主義者たちに攻撃されたのです。
わたしは何かの表現を規制しろなどとは言ってないし、それどころか後にお分かりのように表現の自由を主張している為、非常に驚き、当然否定したのですが、「わたしは違う」と何度言っても彼らの攻撃は緩むどころかますます激しくなり、中にはほぼ毎日わたしのツイートに張り付いて粘着する人もいました。

彼ら曰く、「北原みのりの店でバイトしてるんだから、表現規制派に間違いない」との事で、驚き呆れました。
そう言うあなたは、あなたが働いている会社やバイト先の社長や、学校の先生と、全く同じ主義主張なのですか?
大学で単位取得のために受けただけの講義の教授が極端な主張をする学者だった場合、それだけで「あいつも同じ」と決め付けるのでしょうか?

友達同士や会社の同期がみんな全く同じ考えである訳がないし、そうだったら気持ち悪いのに、なぜか「同じ所属先」だけで簡単に○○派だと思いこむ人が世の中には多いです。
こういう人達には、敵を知るために反対勢力の講演会に行って情報集めする行為も許されない事になるのでしょうか。なんと効率の悪い考え方だと思います。
しかし、それ以上に怖いなと思うのは、一度こうだと思ったら頑なに相手をそうみなし、本人が「違う」と言っても認めず、ますます言いがかりをつける人達の妄想力です。考えてみれば、twitterには主義主張を問わず、そういう人がたくさんいますね。

さて、今でこそ、わたしは「表現の自由暴れん坊将軍」と呼ばれ、すっかり表現の自由の人というイメージですが、7年前のあの頃にわたしを規制派だと決めつけた人達は、ほんの数名の方をのぞいては、特に謝罪はありません。きっとお忘れになったのかもしれません。
わたしももう、彼らのアカウント名すら覚えていませし、今更謝罪も求めていませんが、非常に不愉快な思いをした気持ちは忘れる事ができません。
本人が否定している事を、お前はこうだと言い張り続けるのは、明確な嫌がらせですので即刻やめていただきたい。

改めて、よもぎ団子さんの「献血ボイコット」自体は決して許されない行為だったと思いますが、
かつてわたしを表現規制派と決めつけたものの、その後無かった事にして今は仲間かのように振る舞っている人達に比べたら、誰も聞いてないのに自分の非を認められるよもぎ団子さんは、その点においてはやはり立派だと思います。

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男とか女とか右とか左とかオタクとかフェミとかいう属性には関係なく、「そういう人はそうなんだ」と改めて思った事など

前回のブログで、アメリカで活躍されるプラスサイズモデルの藤井美穂さんの、ラブライブ!キャラクターのスカート丈を修正した動画ツイートへの批判を書きました。
正直、藤井さんにはブロックされると思っていたら、予想に反して丁寧で真摯なお返事をいただき、twitter上で数回やり取りする事ができ、とても嬉しかったです。
藤井美穂さん、ありがとうございました

やり取りしても、やはりお互いの意見が変わる事はありませんでしたが、わたしにとっては意見の違いは特に重要ではない事を改めて実感しました。
藤井さんがご自身の身体を高らかに謳歌し表現する事で、他の女性に勇気や励みを与えるでしょうし、わたしも大いに励みを得ました。そんな素晴らしいご活動をいちフェミニストとして尊敬し応援したい気持ちは全く変わらないからです。
意見は違えど、ブロックや拒絶せず、お互いを尊重し意見交換すると言う、よく考えたら当たり前の話でも難しい現代SNSで、それができた事を嬉しく思い、殺伐としがちなtwitter上で心温まる出来事でした。

さて、今日はツイッター論客の青識亜論さんのツイキャスに呼んでいただき、久しぶりに生配信に参加させていただきましたが、まるで藤井さんとのやり取りのような嬉しい気持ちになれました。

テーマは、やはり最近のツイフェミ(わたしはふしだら憲兵と呼んでいます)についての雑感で、それについての意見や思いはフェミニストではない青識さんとなぜか意見がほぼ一致するわたしなので、特に荒れることのないトークだろうとは思っていましたが、予想以上に楽しい展開となりました。
配信中に、最近の過激なツイフェミ代表人物であるよもぎ団子さんも突然参加される事になったのです。

よもぎ氏は宇崎ちゃんの献血ポスター騒動時に「献血ボイコット」呼びかけなど軽率な発言の多い人でしたし、わたしにも批判的で、気付いたらブロックされていたので良い印象は全くありませんでした。
が、実際のよもぎ氏は、失礼ながらツイッターでのおかしな発言と違い口調も物静か。またツイキャスに参加する際の自己紹介時、その献血ボイコット発言に件について、誰も聞いてないのに謝罪されました。
自分が悪いと思った事を、自ら素直に謝れる人は立派だし誠実です。
一気によもぎ氏の好感度が上がりました。

なぜこんな誠実そうな人が他人をブロックするのか?

疑問に感じて思わず質問したところ、よもぎ氏曰く、わたしとのやり取りが嫌なのではなく、わたしがよもぎ氏への批判をツイートすると、わたしの意見の支持者の中でも過激な人達がよもぎ氏を攻撃してくるのが怖いからだそうです。非常に残念です。

「言いたい事を言えば、誰かに何か言われるのは当たり前」、わたしはそれにすっかり慣れてますが、そこまで耐性のない人が大量に批判を受けたら、確かに怖く感じるでしょう。
また、わたしの意見の支持者の中でも過激な人達がいるのは事実で、誰かをクズ、クソ、と罵倒するような人達には、わたしも以前から気になっていました。気づくものに対しては「いくら正論でも、相手を罵っては説得力がなくなって損ですよ。」と呼びかけてはいますが、もっと強く主張した方が良いかもしれないと意識を改めました。(わたし自身も、過去に菅野完氏に対して「クズ」「クソ」など言っていたことを反省しております)

とはいえ、この機会がなければ話す事すらなかったであろうよもぎ氏の真意を聞けて、わたしは非常に良かったです。
相手への印象が変わると、異論であっても聞く耳を持とうと思えるのも不思議な物です。
よもぎ団子さんも、わたしと同じ思いを感じられたのか、ツイキャス後にブロックを解除され、フォローしていただきました。よもぎ団子さん、ありがとうございます。
またこの場を設けてくださった青識亜論さん、ありがとうございます。

ところで、そんな感想をツイートしたところ、青識亜論さんとトークイベントをした石川さんが皆さんに好印象だったにもかかわらず、その後掌を返すように青識さんを罵ってブロックした事例を持ち出し、「(どうせ裏切られるのに)正直、ここまで学習能力がないとは思わなかった」「騙されやす過ぎ、ちょろい」などと言う人達がいました。
それだけでなく、「(何度も失言を繰り返すよもぎ氏を)擁護した事を軽蔑する、許せない」とまで言う人がいたのは流石に驚き、ある出来事を思い出しました。

わたしの逮捕騒動時、わたしの弁護団に「山口貴士というオタク弁護士は絶対入れるな」と某フェミニスト達に言われたものの、表現の自由やワイセツ案件で実績のある山口先生を外すことは考えられず、弁護団の一員になっていただいたのですが、それを機に、わたしは「裏切り者」としてフェミニスト界隈から実質追放されました。

よもぎ氏を「誠実な人だ」と評価して相互フォローになったわたしを「軽蔑する、許せない」と言う人の不寛容さは、気に入らない表現をつぶそうとし、対立者とは対話せず拒絶し、わたしを裏切り者と呼んだ某フェミニスト達の態度にそのまま当てはまるのではないでしょうか。
実は以前から思っていた事ですが、結局、男とか女とか右とか左とかオタクとかフェミとかいう属性には関係なく、「そういう人はそうなんだ」と言う事でしょう。これは大変興味深い事です。

冒頭でも言いましたが、意見が違うだけの人と普通に会話することが、今のSNSでは特に困難です。
しかし、多様性を謳うなら、そんなの当たり前の話にしていかなくてはなりません。
よもぎ団子さんとわたしが相互フォローになったからと言って、特に世界がが変わるわけではありませんし、相変わらず規制派は気に入らない表現を批判してなくそうとしてくるでしょうし、今後もますますよもぎ氏とは意見が食い違うと思います。
でも、それこそが「多様性」ではないでしょうか

氏は同じ失言を繰り返しているそうなので、「絶対に許すな」と、まるで犯罪者のように言う人もいますけど、それでも、わたしは自分の意志は変えませんし、「反対論者同士が拒絶ではなく共存することが大事」だと思います。そこから、お互いが不満に感じる事をどうすり合わせていくのか、冷静に話し合う壇上に登れるからです。
それに正直、敵対はもう疲れました。
どうしてもよもぎ氏を許せない人達には同調できませんから、「ろくでなし子は騙されやすくてちょろい」と思ってくださって結構です。

余談ですが、よもぎ氏が、「下ネタは大好き」だけど「まのつく3文字は恥ずかしくて言えない」と仰っていた事にも、なぜそう思うのか、いつか理由も伺ってみたいです。
なぜなら、まさにわたしがその疑問を持ってアートを作っているからです。
そして、よもぎ氏のようなツイフェミの皆さんが、「なぜまんこと言ったら恥ずかしいのか」、その根源的な理由を考える事から『「性的」とは何か』についての議論が始まるのでは、と思うのです。

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ラブライブキャラクターポスターのスカート丈を加工した動画をUPした藤井美穂さんを見て、「そんな着方は恥ずかしいわよ」と着物の着付けを勝手に直してくる着物憲兵おばさんを思い出した事など。

今度は、ラブライブというアニメのキャラクターを採用した沼津のJAなんすんのポスターが、またもやフェミニストakaふしだら憲兵さんから「性的だ」として批判され、炎上しています。

わたしは最近、自分がフェミニストである事を疑う事ばかりです。フェミニストを名乗る人達がやっている事に全く賛同できないからです。そして、いちいち反論する事にも段々と疲れや虚しさを感じています。実はこのブログを書く気力も萎え、ずっとパソコンの前でぼんやりしてました。
わたしが何かを言っても言わなくても世界は何も変わりませんし、フェミニスト達は、この件に飽きたらまた新たなターゲットを探して攻撃するでしょう。

とは言え、このラブライブのキャラクターのスカートの陰影描写に物申す人が、スカート丈やシワが不自然すぎるとし、「この方が健康的だ」と言って、丈を伸ばす加工動画をUPした事に、なんともいやぁな気分になったので、気分を消化する為、「自分の為に」書く事にします。

さて、件の動画をUPしたのは藤井美穂さんという方で、ご自身のふくよかな体型を生かし、アメリカでプラスサイズモデルとしてご活躍との事。Twitterのアカウント写真も堂々と胸の開いた赤いドレス姿で素敵です。

わたしは「なんとフェミニストらしい人だなぁ」と思いました。
日本ではコンプレックスと受け取られがちなふくよかな体型を、チャーミングな長所に変え、お仕事としてご活動されて、とても幸せな人生だと思います。
かく言うわたしも、自分のまんこに対して「汚い、臭い、気持ち悪い」と言う嫌なイメージを世間から植え付けられている事に反発し、まんこを「面白くて楽しくて笑える物」に変える作品を作って来ました。
だから、自分が「他者から欲望される物を男性に捧げる」のではなく、「自分の意志で」自分の体を高らかに表現し謳歌することの楽しさや素晴らしさについては、藤井さんと共感する事ができると思っています
ですが、わたしは藤井さんのあのラブライブのキャラクターのスカート丈の加工動画には、全く共感できませんでした。そして、ある事を思い出しました。

わたしは30代の頃、着物にハマってました。訪問着の様な高級着物ではなく、古着や木綿の安い着物を洋服と合わせたりカジュアルに着るのが好きでした。
でも、自分なりに「これがかわいくてオシャレ」と思って着ているのに、街を歩いていると、突然わたしの着ている着物の襟を正し出したり、帯やおはしょりを勝手に直してくる憲兵の様なおばさんが必ず現れるのです。
こちらは訪問着みたいな着方や合わせ方が嫌で好きにしているのに、「そんな着方じゃ恥ずかしいわよ!」と、「おばさんが思う正しい着方」に直され、ひどい時は聞いてもいないのに着物の格についての説教を聞かされる。そういうことが続いて、だんだんと着物を着るのが嫌になってしまい、そのうち着物を着なくなりました。
それから10数年後、日本を出てアイルランドに住む様になってから、わたしはまた着物を着るようになりました。
ここでは「その着方はおかしい」と他人の着物の襟や帯やおはしょりを直そうとしてくる着物憲兵はいませんし、どんな着方をしていても「ジャパニーズキモノ、ソービューティホー!」とみんな適当に褒めくれて、とても居心地いいのです。
他人が干渉してこない方が「着物をもっと着たい」と思え、着物の購買意欲も高まりますから、着物文化を広めたいなら、着物を知らない人や若い人の好きにさせる事が一番ではと思います。

話が長くなりましたが、わたしは藤井さんの動画を観て、あの時のいやぁな気分を思い出したのです。

藤井さんは、問題の絵のキャラクター:高海千歌ちゃんが、「男性の都合に併せた姿態を演じさせられている意志のない人の様に感じられる」のではないでしょうか?
実はわたしも、少し前までは、萌え絵を見ると勝手にそう感じてイラついてました。
萌え絵の女の子は、なぜか内股でおしっこ漏れそうなのを我慢しているみたいだし、常に困った様な笑顔だし、男に「やらせて」と言われたら簡単にやらせそうで、「しっかりしろよ!」と言いたくなった物です。
萌え絵のキャラクターに自分の考える物差しや価値観を当て嵌めて見ると、服のシワやら胸のふくらみやらスカート丈まで、実在の人間にはありえない矛盾ばかり見えてきます。
そうです、これって、わたしの着物の着方に文句を言って来た着物憲兵おばさんと一緒なんですよね。
つまり、かつてのわたしや今の藤井さんは、女性(単なる創作物に過ぎない物でも)に対して、勝手に「自立した女性とはこうあるべきだ」とする、実にフェミニストらしいステレオタイプな価値観を押し付けているのです。相手がリアルな人間ではないぶん滑稽ですが。

多様性の時代と言われる様に、今は人々がそれぞれの考えを持つ事が当たり前となっています。その流れが急速すぎるのか、「自分が良いと思う物」が、他人には全くそうではない事がわからなかったり、アップデートできない人がいます。
そもそも、萌え絵は創作物であって、実在の人間ではありません。
男性オタクでも、二次元にしか興味がない人も沢山います。実在の女性が何をしようが、どんな服を着てようが、知ったこっちゃないのです。
オタク達は創作の世界で楽しんでいるだけなのに、勝手に自己投影して文句を言うフェミニストという女達が意味不明でしょう。
それに、高海千歌ちゃんの様な絵が好きな人は、何も男性ばかりではありません。
萌え絵には女性ファンが大勢いますし、萌え絵師が女性である事もごく普通の事で、
ファンの女性がキャラクターに自己投影してコスプレするのも普通の事です。
その人にはそれが「カワイイ」し、自分にとっての理想だと思うから共感できるのでしょう。
どんな女性でありたいかは、人それぞれのはず。
フェミニズムとは、選択の自由を増やそうと言う思想です。
これが「カワイイ」と思ってそのスタイルをしたり、絵に描いたり、表現したりする事も、当然、その人の立派な強い意志によるものだという事を、なぜかフェミニストは無視しがちです。
藤井さんや、オールドタイプのフェミニストが考える理想の女性象の方が、もしかしたら、今の日本では少ないかもしれません。

「フェミニストから見て、好ましい女性であるかどうか」

そんな価値観で同じ女性(しかも創作物であるキャラクター)の見た目や服装を「あんた、それじゃダメでしょう」「恥ずかしいわよ」と正そうとする事に、わたしはフェミニストの傲慢さを感じます。
そんなことではますます「やかましいおばさん」としてフェミニストは嫌われて理解されず、せっかくフェミニズムに興味を感じた若い人も、ウンザリして離れて行くだけでしょう。

茜さやさんと言う、胸の大きな女性モデルさんを起用した広告が最近炎上しましたが、
フェミニストが、茜さんの様な女性は許せず批判し、藤井さんのモデル活動は批判せず、むしろ称賛している様なのも、なんとなくですが、そこに通じる話ではないかと思います。
(茜さやさんのTwitterの自撮り写真投稿などを改めて見ると、萌え絵のキャラクターの様な独特の雰囲気である「カワイイ」を感じます)

最後に、藤井さんに質問させて下さい。
ご自身のモデルとしてのご活動を見た人が、藤井さんに「性的な事をするな」と言って来たり、直接グイグイと藤井さんの襟元や胸元を正そうとして来たら、どう思われますか?
「わたしが好きでやっているんだ!邪魔するな!」とフェミニストらしく怒る事でしょう。
もしも、創作物である高海千歌ちゃんがリアルな人間だったら、
「わたしだって好きでやっているんです。スカートの丈を勝手に直さないで。」と、藤井さんに言い返すのでは
ないかとわたしは思うのです。

中部大学の玉田敦子教授には、教育者として「ヘイト」の大安売りをしないでいただきたい

数日前に、この様なブログを書きました。「髙崎順子さんとひろゆきさんのハフポスト対談コラムを「有毒」だと言う中部大学の玉田敦子教授にお伝えしたいこと」

まず玉田教授からのコメントはないであろうと期待していませんでしたが、予想に反してご返信をtwitter経由で頂きました。玉田教授、ご丁寧にありがとうございます

教授曰く、

との事。
そこでわたしはこの様にお返ししたところ、

との事でした。

わたしは思わず「ヘイトスピーチ」について、辞書で調べ直してしまいました。しかし、何度読み返しても、ひろゆきさんの発言に、ヘイトの定義の「(英: hate speech)人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する言説」を見出す事はできませんでした

繰り返しますが、ひろゆきさんはご自身の母親から感じた女性の印象を語っただけなのにデマと呼ぶのも意味不明ですし、(フェミニストやフェミニズムと言う言葉は使わない方が良いとは仰っていても)フェミニズムの根底にある「男女平等」思想そのものは否定されていない様に見えます。
特に後編では、実際に日本の男性が家事分担の偏りがある事も認め、女性の政治家を増やしたいなら男女の議員数を同数にすべきだ等(それが独時の見解ではあっても)、むしろ建設的な会話がなされており、女性嫌悪や女性蔑視を感じる言説は見当たりません。
そしておそらく、ひろゆきさんと同じ様な意識の男性は、日本ではそう珍しくないでしょう。その程度の事でも許せない話となると、議論の壇上に上がる事もできません。
また、これが「ヘイト」なら、女性がよく言う「男ってバカよね」や、鼻垂れ坊主の「お前のかーちゃんデベソ!」も、「ヘイトスピーチ」になってしまいます
そこでわたしは、

とご返信しましたが、玉田教授からのお返事は今のところ無い様です。

ここ数年は、かつては蔑ろにされて来た、マイノリティと呼ばれる人達〜性差別や性犯罪被害や民族差別を受けて来た人達〜の発言力がSNSを通して活発になっています。彼らが声をあげられるようになった今はとても良い時代です。
ですが同時に、「傷ついた!」と思えばすぐに「ヘイトだ!」と言う人達も増え、実際には「ヘイト」の意にそぐわないことであっても誰かを「ヘイトスピーカー」と断定し、「ヘイト」と言う言葉を大安売りする人達をtwitterでも頻繁に見かけるようになりました。
自分にとって都合が悪い事を言う人を「ヘイトスピーカー」と言う加害者に仕立てれば、相手を黙らせる事ができるからです。
わたしはそこに、相手を悪者に貶める卑怯さや、言論の自由を損ねる危険を日々感じています。
それと同じ事を、いち大学教授が率先してやっている事、まるで「ヘイト」と言う言葉を、鼻をかんだティッシュの様に使用される事に、驚きと、強い危惧をますます強めております。

もう一度、懲りずに玉田教授にお伝えします。

ひろゆきさんのような女性観は、フェミニスト学者様におかれては都合が悪いのは分かりますが、まずは世の男性のリアルな意見を耳を塞がずに聞き入れ、現実を受け入れる事が大事です。
そして、我々フェミニストの意見も理解される様すり合わせ、異論者同士でも共存する方法を探っていくのが教育者のすべき事ではないでしょうか?
このままでは、フェミニストとは、何か言えば「ヘイト」と言い、人の話を全く聞かない極端でヤバイ人達の集まりだとして、ますます世の中からドン引きされるだけです。

ハフポストの当該対談コラム相手候補者も、何か言えばフェミニストの社会学者に「ヘイト」と罵られるようなら、誰も喜んで受けてくれなくなるでしょう。
言論の自由の為に、この様な事があってはならないと強く思います。

*ちなみにその後、髙崎順子さんからもご丁寧なご返信があり、対談コラムの連載は引き続き行われる様で少し安心しましたが、今後もこの様な異常な批判がフェミニスト学者から起きた場合、わたしは同じフェミニストの一人として批判し続けます。
(同じ批判は、フェミニスト学者内部から声は上がっているのでしょうか?わたしは聞いた事がなく、その事実が信じられません)

ひろゆきさんに言われても、やっぱりわたしはフェミニストをやめないし、フェミ嫌いな人との対話を心がけていきたいです。

筆不精なのに、今日で連続4日もブログを更新しております。

数日前から炎上しているハフポストの髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの件。
単に個人の意見を述べただけなのに、フェミニスト達から異常に批判されたひろゆきさんご本人も思うところあったのか、ガジェット通信でご意見の記事他者に敬意を払わない集団とフェミニストの先鋭化。をアップされていました。
「レディースデー」「女性専用車両」などの事例を挙げ、日本と海外での比較論や、ひろゆきさんが「フェミニストではなく差別主義者」と認定した数名の方への批判や反論の後の〆として、わたしへの呼びかけと、拙ブログのリンクも貼って頂いていたのには驚きました。

”というわけで、フェミニストの人はフェミニストじゃない人の状況も見えてないし、海外のこともあんまり見えてないし、行動パターンがネトウヨに似てきてるので、やっぱりまともな人は「フェミニスト」を名乗らないって選択をしちゃうんじゃないですかね? ろくでなし子さん。”

やはりわたしはまともではないのでしょう。
ネット界では影響力の大きいひろゆきさんにこう言われても、相変わらずフェミニストを名乗る事にわたしの意志は揺るぎません(^.^)
それより、不肖わたしに呼びかけて頂いたのが嬉しく光栄でした。記事全体についても楽しく読ませていただきました。

この記事をまた批判している方々もいますが、そういうのはそちらにお任せするとして、わたしは共感した点を挙げてみます。
これはわたしも実際に欧州に住み、欧州文化に触れて実感した事ですが、

「日本は専業主婦・主夫をかなり優遇する仕組みを持っている」
「フェミニストは働く女性が云々の話はするが、世の中には働きたくないけどお金は欲しいという人が大勢いるってのが見えてない気がする」

欧米といってもわたしが住むアイルランドはまだ保守的で日本に近いので、専業主婦であるわたしがさほど生きづらさを感じることはありませんが、特に男女平等が進んでいると言われるスェーデン人のママ友がこんな事を言っていました。

「スェーデンではあらゆる福祉が整っていて、女性が出産するとベビーシッター補助も付くので働きたい人はいつでも働ける(1年間の産休を取るのが普通だと言う人もいます)から、女性でも働かないで家にいると「なんで働かないの?」と言われる事もある。自分は今、子供達と家で過ごすのが楽しいし、ここ(アイルランド)にいると、そういう空気がないから、すごくラク」

念の為、これは、いちスェーデンママ友さんが言っていただけで、スェーデン人の総意ではありません。
でも、男女平等を徹底すると、外で働くより家事や育児が好きな人が窮屈に感じる世界にもなり得るのが興味深いです。
わたし自身、今は必死で働く必要がなく、家事や子供のお世話をしながら自分の時間を持ってのんびりできる専業主婦と言う生き方に、とても満足していますが、ここで「男女平等なんだから、女も働け」という空気を感じたら、わたしは生きづらいと思うでしょう。

わたしは、フェミニズムとは、男女平等はもちろんですが、女性の権利や選択の自由を増やすことだと捉えているので、当然「専業主婦でいたい人の自由」も尊重されるべきだと思います。
ですが、現在のフェミニストには「専業主婦」を否定したり見下し、働いている女性をよしとする暗黙の空気の様な何かを感じてしまいます。それって、結局女性差別や選択の不自由さでは、と思います。
「専業主婦は旦那に何かあったり死んだら終わり、何も考えてないバカ」とあからさまに言う人もいますが、「働いている人も何かあったり死んだら終わり」でしょう。
どの様な生き方であっても、その人が選んだ生き方を、他人が勝手に気の毒がったり蔑むのはおかしな事です。
せっかく日本には、働きたいくない女性が優遇される面もあるので、そこについてまで否定しなくてもいいじゃないかと思います。
ですから、ひろゆきさんの、「なんでもかんでも欧米の真似をすればいいってものではなく、日本は日本の文化と生活習慣に会わせて取り入れていけばいいと思うんですよね。」と言う意見に同意します。

さて、ひろゆきさんの言っている事に怒るどころか共感部分が多いわたしが、ひろゆきさんがウンザリされている「フェミニスト」であり、それを名乗る事を止めようとは一切思っていないのが、我ながら不思議です。
今や悪いイメージしかないフェミニストを名乗る事になんのメリットもありませんが、わたしがもし、メリットの可否で何かを選択できる常識人だったら、そもそもまんこのアートをしていません。他人から見てデメリットでしかなくても、わたしがわたしである為にやっているのです。

ただ、ひろゆきさんが仰る通り、差別主義者の様なフェミニスト達の横行や先鋭化が非常に気がかりです。
特に、いち男性の単なる個人的な意見についても「有毒だ」と言い、人間を敵か味方でしか見れないフェミニスト(大学教授や学者に多い)が、これからの若者に「有毒」で心配です。
教育者なら、違う意見の人も尊重し共存していくにはどうしたら良いかを、若い学生達と一緒に考えてほしい
ものです。

この様なフェミニスト学者達の結束は強いので、どの様に対処していけば良いのか?
わたし一人では、正直どうしたらいいか分かりません。
ならばこそ、フェミニズムとは無関係な人や、フェミが嫌いな人達の意見をもっと聞き、時にはフェミニストが見えていない事を教えていただける様、わたし一人でも、対話を心がけていこうと改めて思いました。
閉塞したフェミ学者様達には何も届いていなくとも、ブログで思いを伝えたこの数日で、「ろくでなし子さんの考えるフェミニズムなら応援したい!」と言う声を沢山かけていただきましたから、何もしないよりは、ずっと効果を感じます。

遠いアイルランドにおりますが、スカイプやライン通話もできる時代です。フェミニズムに関わる問題での話し合いの場がありましたら、気軽にお声がけください。
よろしくお願いいたします。

グレタさんに関する日本と海外のメディアでの取り上げ方の違いについて思うこと

先日、夫(スコットランド人)と食事の際、環境問題活動家のグレタ・トゥンベリー(Greta Ernman Thunberg)さんについて話したところ、興味深い考察が出来たので記しておきます。

夫は親グレタ派。そんな夫に、わたしが「グレタさんの無駄に喧嘩腰な態度や、地球環境改善を主張しているのに中国の環境破壊については問題にしないところがおかしい」と延べると、夫はその様な事実は全く知らなくて驚きました。
疑問に感じて英文記事を検索したところ、否定的な記事はだいたいアジア諸国。
欧米の記事の大半はグレタさんに好意的で、中国の件などマイナスな話はあまり書かれていません
(もちろん否定的な記事はあっても、非常に少ない)。

これは一体どう言う事か?何を信じたら良いのか?
そこで、わたしの弁護団の先生でもあり、バイリンガルで社会情勢にも詳しい、無駄に感じが悪い弁護士にご意見を伺ったところ、

「欧米ではグレタさんに批判的な記事を書くとポリコレ棒で叩かれるから、未開のアジア諸国の方が表現の自由があるのでは(個人の感想です)。」

との事。
日本のネットニュースでは、グレタさんが怒っている表情の写真をよく使うのが意地悪に感じていましたが、欧米の持ち上げぶりも気味が悪いです。
メディアが故意に隠したり、あるいは誇張していると分かると、何を信じれば良いかわからなくなりますが、結局のところ、「どちらも真実」なのでしょう
お陰で、グレタさんに対するわたしの気持ちも一旦フラットになり、今は否定も肯定もしていません。

また、グレタさんが中国批判をしないのは、「アジア差別だ!」とポリコレ棒で叩かれない為なの?と思いきや、無駄に感じが悪い弁護士曰く、

「いや、お金の為だと思う。グレタさん本人ではなく周りの大人が中国資本に関係があるのかも。中国とビジネスしたい企業は多いし、特に欧州は伝統的に中国と組んでロシアを牽制する発想が強い。何かあっても中国は遠いから彼らには怖くない(個人の感想です)。」

なるほど、世界の企業は中国資本と関係したい、中国とビジネスしたいのだ、と考えると、なぜアメリカのTIME誌が、投票では圧倒的に香港のデモが多かったのに、グレタさんを2019年の今年の人に選んだのかも合点がいきます。「あくまでも個人の感想を基にした憶測」ではありますが、中国は確かに経済力がありますからね。
わたしは、アメリカや欧州のリベラルを称するメディアは常に公平、という信仰がなぜか強かったのですが、TIME誌の件でも、あまり過信してはいけないと思いました。
夫も「BBCも間違う」と言っている。そういえば、NHKの報道も何かおかしいのはしょっちゅうでした。リベラルって、何でしょうね。。。

ちなみに、我が家は、喩えて言うなら、夫の思想には日本のいわゆるリベラル左派や表現規制派に近いものを感じますが、わたしは表現の自由主義。
ある事例について意見の違いはしょっちゅうでも、そんな事では喧嘩しませんし、お互い言いたい事を言い合って家庭内多様性を実現しています
この件を twitterで呟いたところ、「わたしの気持ちは一旦フラットになれたし、今はグレタさんを否定も肯定もしていない」のに、「100%グレタさんを応援しないと許すまじ!」な人達(あるいはその逆も)が湧いて来るのですが、そう言う態度こそ、最も多様性からかけ離れていますよ(^-^)

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華のJK・Pさんと男性配信者達がフェミニズムを考える討論会の中止騒動について思う事

数日前、某男性生配信者達がフェミニズムについて考える討論生配信のゲストに15歳のフェミニストを呼ぼうとした事がTwitterで騒動となりました。

「ミソジニストが JKを引っ張りだして、許せない」「身元を晒そうとする人がいて危険だ」「音声が残って怖いからやめろ」と危惧する意見(特にフェミニスト達)が多数で、結局、「15歳以下の未成年は法律上21時以降の仕事はできない」「親の承諾が無い」などが理由で、その”華のJK(ご本人が称されているので敢えて使います)”Pさんの出演は無くなった様です。

わたしはその頃、Vagina Museumや、映画「Female Pleasure」の試写会でロンドンにいてTwittrerを追っておらず、どなたが配信されるのかも知らず、TLに流れて来た情報だけ見て何となく大多数の人と同じ気持ちになっていました。

ところが、Pさんのツイートを見たところ、これは「本人自らの応募」で、無理やり引っ張り出された訳ではない事や、配信者側も彼女を尊重して出演の際の条件などきちんと話し合いがなされていた事が分かりました。
まるで「10代の女の子は弱くて意志がない」かの様に無意識に思っていた自分の偏見に、わたしは気づきました
配信者のツイートも確認しましたが、その内のお一人は多少軽率な発言をしている様にも見えましたが、そこまであからさまなミソジニストの様にも思えませんでした。
むしろ、フェミニズムに無縁そうな男性がそれについて考えてくれるのなら良い機会ではないかと思います(フェミニズムを知らない、興味がない人にこそ、届かないと意味がないと思うからです)。

Pさんの書く文章からも真摯な考えが伝わりました。
これだけ聡明でしっかりと意見を持つ華のJKなら、何の問題もなく大人と対等に討論できるはず(もちろん21時以降の出演は法律で禁止されているのでNGですが)。
なのに、必ず加害されるかの様に過剰に心配し、危険だ危険だと騒いで辞めさせた人達は、Pさんの主体性を本当に尊重しているのか疑問です。特にフェミストを自称している人達は、Pさんが華のJKだからと一段低く見ていないでしょうか。更にその上、Pさんが自らの意志で男性との討論に応募した事が気に入らないのか、「名誉男性」と決めつけて罵るフェミニストまでいたと知り、驚き呆れ果てています。
むしろTwitterではその様にすぐ罵詈雑言を投げる大人が多い中、冷静に意見を述べることができるPさんを大人が対等に扱わないのは失礼だし、Pさんのやりたい事を奪っては、本末転倒です。

わたしは子供の頃から、何か新しい事をしようとすると、大人から「まだ早い」「何かあったら怖いからやめておけ」と言ってやらせなくさせられる事にウンザリしてきました。
そういう人は「良い事をした」と思っているけれど、わたしからしたら貴重な経験を奪い取る余計なお世話な人達です。
Pさんの出演の件で大人がすべき事は、「身元探す人がいて怖いよ」と脅すのではなく、おもしろ半分に身元を探る輩を徹底的に糾弾し、Pさんのやりたい事ができる様にその道を整えてあげる事ではないでしょうか。

Pさんは本当に良くできたお嬢さんの様で、わたしなら余計なお世話だと思うそれら大人の説教にも、「普段心配されることがなかったから嬉しいです」とツイートされていました。
ご本人が嬉しいなら、わたしがこれ以上言うことはありません。
ただ、何だか最近のフェミニスト達は、女性(特に若い女性)といえば即、「被害者・弱い存在」という思い込みが過ぎる様に思います。(わたしですらPさんに対してそう思い込んでいました)
性虐待やセクハラはもちろん撲滅すべきだし、MeTooもムーブメントになりましたが、世界の全ての女性が弱い存在とは限りません。

冷たい様ですが、フェミニストはかわいそうな人を慰めてあげる「被害者の会」の人ではないと思います。誰も守ってくれない時にこそ、その人が自力で立てる様にしなければ意味がありません。喩えるなら、お腹が空いている人にその時だけ美味しいご飯を作ってあげるのでなく、ご飯の作り方や材料を買うお金を得る知識を得る、そのツールがフェミニズムです。

このブログを書きながら、かつて藝大で上野千鶴子先生と討論会をさせていただいた事を思い出しました。
上野先生は、わたしのアートについて「性的な表現をして後で後悔しても取り返しがつかない」などと仰いました。先生のお弟子さん達には、自分の過去を後悔する人が多いのでしょうか。わたしという女性を低く見てかわいそうがりたかったのかもしれませんが、わたしは覚悟を持って制作し、だからこそ、今も国と裁判でワイセツについて争っている。
そういうわたしに対して「後で後悔するかも」と言うのは失礼だなと思いました。

わたしは「男女平等」をモットーにするフェミニストとして、性別や年齢や活動内容に関係なく、あらゆる人間と対等でありたいですし、15歳のPさんの語るフェミニズムと、それについて考える一般の男性との討論を視聴したかったので、とても残念です。

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ドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のロンドンプレミア試写会に行って来ました

昨夜は、わたしが出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のプレミア試写がロンドンの小さな映画館で催されました。

Female Pleasure」は、監督のBarbara Millerさんが世界の女性差別と闘う5人の女性を撮影し、その実話を描いたドキュメンタリーです。
FGM(アフリカに今も残る女性器の陰核を切除する風習)を実際に受け、その非道な風習の根絶運動をしているドクターLeyla Husseinさん、
子供の頃からカトリックの聖職者に長らく性虐待された事実を勇気を出して告発した作家のDoris Wagnerさん、
(カーマスートラが生まれた国なのに)性教育はタブーとされ、親が決めた相手としか結婚してはならない古い慣習が今でも残るインドで、性教育や自由恋愛、自由意志での結婚運動を推し進める活動家のVithika Yadavさん、
ユダヤ教徒の厳しいコミュニティから脱会し、女性差別的な慣習を告発した作家のDeborah Feldmanさん、
そんな錚々たる女性達と共に、うっかりわたしも紹介されております。

Female Pleasureは、直訳すると「女性の喜び」です。わたし達5人は、本来は自分の喜びであるはずの体や性の自由を、男性や他者から奪われた事に対して闘っています
まんこアートを本格的に始めた当初はもちろん理解者はほとんどおらず、逮捕までされ、わたしはずっと孤独だと思っていましたが、この映画のおかげで「わたしは独りじゃなかった。」と勇気を得る事が出来ました。
また、撮影が終わって間もなくして、MeTooムーブメントが世界に湧き上がったのも功を奏し、ロカルノ映画祭では数々の作品賞を受賞しました。
まさか、まんこで捕まった数年後に、ロカルノ映画祭のレッドカーペットを歩く事になるとは夢にも思わず、無駄に感じ悪い弁護士には「焼け太り」と言われております。

この映画はスイスやドイツでは大ヒットしており、この度、イギリスにも上陸しました。
日本でもいつか上映される事を期待したいです。

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歴史修正したい人達に思う事

萌え絵ポスターへの抗議が冷めやらぬ中、今度は、中年男性と女子高生の関係について描かれた「娘の友達」という青年誌漫画が不道徳だとしてTwitterで批判されている様です。
その件をつぶやいていたら、あらぬ方角から人間の面白い心理について考えさせられる出来事が起きたので、今回は、主に表現の自由よりもその件について書こうと思います。

「娘の友達」の設定だけ聞けば、「中年男性が都合良くJKを搾取している!」と怒り出す人達がいるのは想像がつきます。また、この単行本カラー表紙は今までバッシングを受けてきた、いわゆる萌え絵風の、はにかんだ女の子が誘う視線で、淡いタッチの絵。
しかし読んだ方の感想によれば、自分を縛り付ける母親から逃れたく、救いを求めて主人公にすがる女子高生と、主人公が倫理観や責任感に悩み苦悩する話の様で、「エロ漫画」ではもちろんなく、むしろ現代の息苦しさを描いた作品の様です。

漫画はファンタジーです。仮にエロ漫画であったとしても、読み手はファンタジーとして楽しみたいし、漫画は道徳の教科書ではありません。それに、もしも漫画に道徳的な人間しか出せなくなったら、わたしが個人的に好きな平山夢明先生や岩井志麻子先生の小説は読めなくなってしまいます。

これについて考えていた時、わたしは過去のある出来事を思い出しました。
93年にあるドラマで既婚者を不倫略奪する女性を演じたUさんです。
当時のUさんは、童顔で、瞳が潤み、少し寂しげな表情が可愛らしい、まるで今の萌え絵を具現化した様な人でした。そのUさんが既婚者の中年男性を不倫略奪する女性を演じるストーリーの為か、単なる配役を演じただけにも関わらず、「媚びてて許せない」と、当時の女性達から嫌われました。
テレビのワイドショーでも連日の様にその話題となり、「嫌いな女ランキング」の1位にもなっていたと記憶しています。
良く言えば、多くの人をそこまで思いこませる役柄を演じたという意味でも演技の才能ある方だと思いますが、飲み会の席でも「Uってどう思う?」という下世話な話が繰り広げられ、そのくらいUさんは多くの女性に嫌われてしまう人なんだなぁとわたしは気の毒に思いました。
93年のあの当時にSNSがあったら「本人と役柄は無関係では」という当然の声が上がったかもしれませんが、残念ながら、皆がテレビからの一方的な情報を共有する時代でのバッシングは相当なもので、以降Uさんをテレビでお見かけすることはなくなりました。
その後、あさま山荘事件をテーマにした映画に出演しているUさんを観て、映画俳優として活躍されているんだな、という印象でした。最近はハリウッドに進出されたそうで、良かったなと勝手に思っておりました。

Uさんへの過去のバッシングに感じた気持ちは、「娘の友達」への批判に感じたのと同じ、
「現実とフィクションの区別をつけろ」
という事です。わたしはそれを言いたくて、以下の様にツイートしました。

“(´-`).。oO(女子高生と中年男性の恋愛漫画「娘の友達」へのバッシングも、絵柄が萌え絵ってのも大きそう。昔、〇〇というドラマでヒロイン演じたUさんが、仕事として演じただけなのに嫌われて、流石に理不尽だと思ったのを、ふと思い出した…多分繋がる、この違和感。”

“Uさんは童顔だし若かった。他人の夫を不倫に導くのが、気が強く恋愛も仕事もガツガツ行くタイプの人なら、そこまででは無かったかもしれない。女性層にとことん嫌われ、テレビから観なくなった。ありゃ本当に理不尽だった…その漫画もファンタジーなのにバッシングされるの、何か似てる…”

しかし、このわたしのツイートに、Uさんご本人が取り上げ、この様に引用RTして来たのです。

“へ???
自分の人生を表現して来たお仕事ではなく、ゴシップ誌が作ったストーリーで信じられてしまうことの不思議”

わたしはむしろ、マスコミが騒ぎ立てた事がおかしく、「現実とファンタジーの区別をつけろ」と言っている側なので、Uさんは何か勘違いされている様でした。このUさんの間違った解釈により、他の人達も勘違いしたままわたしを批判して来て、嫌な思いをしました。
わたしがそれらに対して律儀に説明しても、そういう人は後を断たず、Uさんも勘違いを訂正するどころか、わたしが「前後のツイートの流れを見てください。」とお願いしても、「元の流れがどうというのは私のサブジェクトではないのでわかりかねます」とし、「2019年の今もこうだと思われたら嫌でしょう」と、わたしが言ってもいない事を更に強調されただけでした。
自分の誤読は認めないし、相手のサブジェクトも知らない、という人と会話をする気持ちが萎えてしまったので、わたしはUさんをミュートしました。

やり取りがあまりに噛み合わず、なぜなのかを考えていて、Uさんは単純に、女性に嫌われていた過去を触れられたくなかったのかと、鈍感なわたしはやっと気づきました。
わたしは自分の恥部をアートにするぐらいなんでも明け透けにする女なので、その様な恥じらいの意識に欠けていました。すまんこです。
しかし、ならば、わたしに絡んでしまった事で、多くの人に拡散され、逆効果だったのではないでしょうか

その上、Uさんを擁護する人達の、わたしに対する批判は止まず、今度は、「93年のあのバッシングは無かった、マスコミの嘘だ、女性に嫌われていたのはフィクションだ」と歴史修正する人達まで湧いて来ました。
わたしはバカ正直なので、自分が見て来た景色や事実と違う事を受け入れる気はありません。
当時の時代の空気を知る人達なら周知の事実を否定されればされるほど、Uさんへの過去の一般女性達が下した評価について語らねばならず、一体誰が幸せなんだろう?と疑問です。

どんなに嫌な過去でも、過去は消せません。わたしも逮捕を二回され、あれこれ言う人はいます。しかし他人の口を封じる事はできないし、起きた事実も変わりません。だからわたしは全部ネタにして笑いにして来ました。
昔、Uさんの様に「ぶりっ子」として嫌われたさとう珠緒さんも、現在はその過去をネタにご活躍されていると聞き、俄然応援したくなりました。

Uさんは今はハリウッドでもご活躍されている大俳優なんですよね。
過去にこだわるより、今どうかが大事ではないのでしょうか。
むしろ吹っ切って「昔は嫌いな女ナンバーワンだったんです」と明るく言う人だったら好感度も高まると思うのですが・・・余計なお世話ですね。
女性に嫌われていた事を隠したいキャラなら、それも自由だと思います。
ただし、人間とは、歴史修正をしたがるほど、隠されれば隠されるほど、余計に見たくなる下世話な生き物です。吉本芸人の花紀京さんも、見せたくない物を引き出しに隠し「あっ、そこは絶対開けたらアカン!」と言い張り続けてかえってバレるお笑いネタを披露していました。
だからわたしも、昔、自分が浮気や不倫した話も筑摩書房の自伝本や他の漫画で正直に書きました(後でなんか言われるくらいなら自分から言った方がマシですから)。
そして、自分だけは気づかれていないと思っている事も、周りが知っているのは、見ている方もなんとなく恥ずかしいものです。

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