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東京経済大学准教授の澁谷知美氏及び日本のフェミニスト学者達は「フェミニズム」や「教育」とは何か、その本質を今一度考え直していただきたい

コロナ禍で、相変わらず困難な状況が世界中で続いています。
辛く苦しい日々ですが、コロナによって、従来の考え方や価値観が良くも悪くも激変し、物事の「裏面」も明らかになって来ました
例えば、このウィルスが流行りだした頃、日本から見て「人権意識が高いはずの欧米諸国」では、あからさまな中国人(アジア人)差別が見られました。拙宅があるアイルランドでは、中国人というよりイタリアからの渡航者がよりウィルスを拡げたのですが、不思議な事に、アジア人に罵声を浴びせる酔っ払いはいても、イタリア人差別は全く見受けられませんでした。
きちんとした機関だとなぜか信じていたWHOのテドロス事務局長も、中国に買収されているのではないかと思える発言を繰り返しています。
また、ウィルス感染者や死者数も、日本は海外と比べ、厳しいロックダウンでもなく罰則もないゆるい自粛要請だけなのに、圧倒的に少ない事が、海外でも奇妙に受け止められました。
これは、日本が国民皆保険で、病院に予約なしでアクセスできる事、海外と違って医療関係者の方々もブラックな働き方に日頃から慣れていた事(これは手放しで喜ぶべき事ではありませんが、医療関係者の方にはとにかく感謝しかありません)、室内土足は禁止の文化で、手を洗ったり毎日風呂に入る事が当たり前である日本人の公衆衛生観念の賜物ではないかと思います。
なんでも「日本はダメだ、欧米は進んでる!」と自国を卑下する人はよくいますが、コロナを機に、「日本って欧米よりちゃんとしてるじゃん…。」と、意識を改めた人は少なくない事でしょう

ついでですので、是非この機にもっと明らかにして欲しい事があります。
大学教員(特に社会学者やフェミニスト学者)という「学問の権威」の裏面です。
ちょうど昨日は、京都精華大学の白井聡専門講師が以下のツイートをし、批判が集まっていました。

”「安倍政権はどんな政権だと考えられるか、自分で資料を見つけてまとめなさい」という課題を学生に出してみた。いま見てるんだが、辛辣なことといったらない! 「とてつもなく自分勝手」「自己保身以外ない」「うわべだけ」等々。”

この方は、おそらく日頃から自らの政治思想を学生の前で語っているのでしょう。
それ自体は本人の自由ですが、課題として生徒に政治信条を書かせて採点する事が異常な事だとは気づいていないのが、恐ろしいです。生徒は単位を落としたくないですから、当然、講師の喜ぶ回答をするはずです。自分の生徒に忖度をさせる講師が、安倍総理を「とてつもなく自分勝手」と生徒に言わせて喜んでいるのはどんなブラックジョークかと思いますが、本人のツイートを拝読する限り、「正しい事をしている」と確信されている様で、わたしはゾッとしました。

前置きがだいぶ長くなりましたが、この先生のツイートを見て、わたしはあるフェミニストの社会学者を思い出しました。
東京経済大学の准教授、澁谷知美氏
わたしは、澁谷准教授からtwitter でブロックされているだけでなく、大学の授業で学生達に「ろくでなし子は性暴力に加担する奴だ」と教え込まれている様なのです
理由は、会田誠氏の作品について、わたしが「表現の自由」と言った事と、わたしの弁護団にフェミニストが敵対するオタク弁護士の山口貴士先生が参加した事の様です。
わたしが山口先生に弁護団に入って頂いた件については、先生がワイセツ案件で日本で優秀な弁護士である事と、フェミニストであるわたしとオタクの先生が共闘して国家と闘うのは素晴らしい事だと思ったから、というのは以前にもブログに書きました。
しかし、それは日本のフェミニスト村ではとんでもない御法度で、以降、わたしはフェミニスト達から無視されているのです。

澁谷准教授が学生におかしな事を吹き込んでいる事は、氏の授業を受けていた学生から、忘れらないくらい失礼なメールを直接送られた事で知りました。
その学生には、彼女の制作した映画の講評をお願いされていました。
ちょうどわたしが逮捕直後で話題だったので、いい宣伝になると思ったのでしょう。
作品は、自分の父親を食べるというカニバリズム的な内容で、血まみれの演者のグロテスクな写真がカバーでした。エグいと思いましたが、表現の自由だし、もちろんOKしました。
しかし後日、その学生から「澁谷先生がろくでなし子は会田誠氏を擁護して、性暴力に加担する人だと言っている、映画の講評の話は無しにして欲しい」と一方的なメールでキャンセルされたのです。
とても失礼だし、「自分は血まみれのエグい作品で誰かを不快にさせるかもしれないのはOK」でも「会田誠氏の作品はダメ」という不公平さにも腹が立ったものです。
教授も教授なら、教え子も教え子で、清々しいほどのダブルスタンダード

自分の偏見だけで誰かを「性暴力に加担する奴だ」と学生に教える澁谷准教授に、しかし、当時のわたしは抗議する勇気がありませんでした。
当時はまだ日本にいた為、フェミニスト学者達とも繋がっているメディア(主に左派系)も敵に回すであろう事にためらいがありました。
しかし、澁谷准教授は、おそらく今も、自分の受け持つ学生に偏見を植え付けているかと思うと憤りを感じますし、なぜわたしだけが言われのない誹謗中傷や嘘を言われっぱなしなのか理不尽だし、もっと早く抗議すれば良かったと後悔しています。
ちなみに今朝、この件を連投でツイートしたところ、他の方からも、
「学生だった時、毎週誰かを講師に呼べる授業でろくでなし子さんを呼びたかったけど、ゼミの教授が教授会で提案したら「ろくでなし子はダメだ」と、ある女性教授が言った事で流れた、なぜダメなのかも全く教えてもらえなかった」
というDMが送られて来ました。
この件からも、わたしはフェミニスト学者村で、はっきりと村八分にされている
事がわかります。

フェミニスト学者達は、女性の自由や権利を主張しながら、まんこをワイセツだとする警察と闘っているわたしを、「あいつは大学の授業や講師に呼ぶな」と、まるで警察の様にわたしを迫害します
彼らは反安倍政権派なので、「誰もが総理に忖度する日本の政治は異常だ!」とよく叫びますが、彼らこそ、時々おかしな事を言う上野千鶴子先生や、まんこをワイセツだと認めてしまった北原みのり氏に、誰よりも忖度し、内部批判を許さない、全体主義にこり固まった集団です。
しかし、教育とは、教育者の偏見や思想を学生に植え付けて洗脳する事ではなく、学生がそれぞれの意見や考えを自分の頭で考える能力を養う事ではないでしょうか?
曲がりなりにも大学教員であるならば、指導学生にまで自分と同じ思想や政治信条を押し付けてはならないし、女性の性の自由や開放を主張して国家権力と争っているわたしを「性暴力に加担する人」などと呼んでウソや偏見を学生に植え付けず、本来のフェミニズムに立ち返っていただきたい

澁谷准教授はわたしをブロックしている為、わたしの批判など無かった事にするはずですから、すぐ流れてしまうtwitterではなく、ブログに書き留めておく事にしました。
何か反論でもあれば、わたしは正々堂々と応対したいと思います。
あらゆる裏面を暴いていくコロナ禍の今、フェミニスト学者達の異常さがもっと明らかになる事で、彼らが、フェミニズムとは、教育とは何か、その本質について、今一度真面目に考え直される事を願うばかりです

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フェミニズムを、間違った人やダメな人を徹底的にうちのめす棍棒にしてしまった人達に思うこと

コロナ禍で世界的に大変な毎日が続いております。
生きる事への漠然とした不安を身近に感じる日々の中、フェミニズムを問題にし、議論バトルをしていたほんの2ヵ月前の頃を思うと、政治や社会システムが不完全ではあっても、人々が安全に暮らせていただけでも贅沢だったのだなぁとしみじみします。
最近は、もはやフェミニズムの話をする気もすっかり失せ、3d CGの勉強に加え、パンを焼いたり手作りマスク制作など、ステイホーム生活を地味に勤しんでいたわたしでしたが、岡村隆史さんの深夜ラジオでの発言に対するその後の騒動に対して、久しぶりに「黙っていられるか」という気分になったので、息子が寝ている隙に、ブログに思いをぶつけてみる事にします。

岡村さんの発言について、すでにご存知の方も多いので、詳細は省きます。
わたしの感想は、「これからお金に困って職探しするであろう人を自分の欲望を満たす道具としてしか考えていない、品性下劣な発言だなぁ。」でした。
そこに怒りを感じて批判する人の気持ちもよくわかります。
ただ、それは岡村さんのコアなファンや仲間が聴く深夜ラジオでの発言であり、一般的に不快に思うような人達には向けられていなかったにも関わらず、芸能人の不謹慎な発言を探して回って配信し視聴率を稼ぐ配信者によって拡散された様でした。
それなのに、怒りのあまりに、岡村さんのレギュラー番組であるNHKの「チコちゃんに叱られる」を降板しろ!と言う人も出てきて、ついにmetooを彷彿とさせる署名運動まで立ち上がり、今や、岡村さんは非道な罪悪人かの様にバッシングされています

岡村さんは、たしかにこれからお金に困るであろう人を喜ぶ不謹慎な発言をしたけれど、特定の女性に対して自分の役職を盾に「やらせなければこの世界で仕事をできなくさせてやる」と言い性加害を強要していませんし、スタッフとして雇った複数の女性に無理やり性的奉仕させ続けてもいませんし、酔って前後不覚な女性を持ち帰ってもいませんし、電話の受話器で殴ったり、家に押しかけ「抱っこして」と迫って訴えられた訳でもありません。
むしろ、コロナ禍が終息したら風俗に行きまくってお金を落とすと言っているので、セックスワーカーにはありがたいお客さんです。
彼のメインの仕事まで奪って社会的に懲らしめるほどの事でしょうか。
わたしには、ただ、ムカついた人を徹底的にいじめて楽しむ嗜虐行為にしか見えません。
そして、それをしたところで「お金に困って風俗の仕事を選択するであろう人」の現状は、何も変わりません。

岡村さんの失言に対しては、すでに相方の矢部さんがラジオに登場して岡村さんを公開説教しています。
おそらく、それまでの自身の女性差別的な発言に物申す人もいないまま50歳間際になってしまった男性にとって、本質を変えることは物凄く難しい事ではないかと思います。
また、この説教中に矢部さんは岡村さんに「結婚しろ」と言い、結婚ができない人、向いてない人への無意識の差別やハラスメントをしています。
この説教で、実は、岡村さん自身も社会から「いい年をして女性とまともに付き合えない、結婚もできないダメな奴」と虐げられる側の人だったのだと、わたしはようやく気づきました。
だからこそ、岡村さんはますます女性を敵視したり嫌悪しながら性欲だけ求めてしまっていたのではないでしょうか

この様な人を、有無を言わさず見せしめに懲罰したところで、女性への怒りや恨みや恐怖心をますます募らせるだけで、彼の本質は全く変わらないでしょうし、「結婚などの一般的には健全とされる生き方に正そうとする」事も、とてつもない暴力に感じます。
岡村さんは以前、鬱になって休業していたそうですが、また発症されるかもしれません。

ただ、長年の相方である矢部さんのによる公開説教は、多くの人を納得させ、本人もひたすら謝罪を述べていて、「もうこの件はこれで終わりにしよう」という流れに変えました
それについては、岡村さんのNHKの番組を降板させる署名運動よりはるかに建設的だと思いました。

それでもまだ、振り上げた拳をおろす事ができず、岡村さんにフェミニズムを学ばせようという署名まで立ち上げるフェミニストの石川優実さんに、わたしは強く反対します。
石川さんが牽引するKutoo運動は、パンプスなどの履き続けると痛い靴強要からの解放運動だったはずですが、なぜその中心人物が、フェミニズムを、誰かを懲らしめるために「無理矢理」学ばせようとしたり、レギュラー番組を降板させろなど、他者をクーツー(苦痛)にしようとするのでしょうか。

フェミニズムとは、女性のみならず、あらゆる人の選択の自由や権利を尊重し広げようという思想のはずです。あらゆる選択の自由があるなら、岡村さんの様な社会的に生きづらい人の自由も尊重すべきです。
世界には、宗教的に男尊女卑的慣習を続ける国もあります。自国の価値観や、どれか一つの思想や考えだけが正しいとし、その価値観を押し付ければ、戦争に発展するでしょう。全く異なる相容れない考えの人と、それでも共存していかなければならない、多様な社会とはそういう事だと思います。
たとえ不謹慎で不愉快な発言をした人であっても、性犯罪を犯した訳ではない人を、社会的に困らせるまで追い詰めるのは本末転倒です。フェミニズムを、気に入らない誰かを滅ぼすまで殴り続ける棍棒にしないでほしいです。

追記:
岡村さんを降板させろ署名に賛同し、強く抗議している藤田孝典氏が、ホームレスを安い家賃の家に数人で住まわせ生活保護費を巻き上げる貧困ビジネス疑惑で、さいたま市議会で追及されていたそうで、驚きました。
「懺悔として貧困者の正義の味方になった」のであれば、それは責めるべき事では全くありませんが、藤田氏によるこの件の説明はまだありません。
事実でなければ堂々と説明できるはずだし、事実なら不正横領の償いをすべきです。
岡村さんは謝罪しているのにも関わらず(しかも犯罪でもない事で)、降板を要求。この不均衡は一体なんでしょう。
岡村さんを降板させても貧困者の現状は何も変わらない、とわたしは言いましたが、むしろ、藤田さんの様な人は、貧困者がいないとビジネスにならなくて困るのではないかと思えて来ました。

わたしは、フェミニズムを、この様な人達にもてあそばれるのが、本当に残念だし、強い憤りを感じます。

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中部大学の玉田敦子教授には、教育者として「ヘイト」の大安売りをしないでいただきたい

数日前に、この様なブログを書きました。「髙崎順子さんとひろゆきさんのハフポスト対談コラムを「有毒」だと言う中部大学の玉田敦子教授にお伝えしたいこと」

まず玉田教授からのコメントはないであろうと期待していませんでしたが、予想に反してご返信をtwitter経由で頂きました。玉田教授、ご丁寧にありがとうございます

教授曰く、

との事。
そこでわたしはこの様にお返ししたところ、

との事でした。

わたしは思わず「ヘイトスピーチ」について、辞書で調べ直してしまいました。しかし、何度読み返しても、ひろゆきさんの発言に、ヘイトの定義の「(英: hate speech)人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する言説」を見出す事はできませんでした

繰り返しますが、ひろゆきさんはご自身の母親から感じた女性の印象を語っただけなのにデマと呼ぶのも意味不明ですし、(フェミニストやフェミニズムと言う言葉は使わない方が良いとは仰っていても)フェミニズムの根底にある「男女平等」思想そのものは否定されていない様に見えます。
特に後編では、実際に日本の男性が家事分担の偏りがある事も認め、女性の政治家を増やしたいなら男女の議員数を同数にすべきだ等(それが独時の見解ではあっても)、むしろ建設的な会話がなされており、女性嫌悪や女性蔑視を感じる言説は見当たりません。
そしておそらく、ひろゆきさんと同じ様な意識の男性は、日本ではそう珍しくないでしょう。その程度の事でも許せない話となると、議論の壇上に上がる事もできません。
また、これが「ヘイト」なら、女性がよく言う「男ってバカよね」や、鼻垂れ坊主の「お前のかーちゃんデベソ!」も、「ヘイトスピーチ」になってしまいます
そこでわたしは、

とご返信しましたが、玉田教授からのお返事は今のところ無い様です。

ここ数年は、かつては蔑ろにされて来た、マイノリティと呼ばれる人達〜性差別や性犯罪被害や民族差別を受けて来た人達〜の発言力がSNSを通して活発になっています。彼らが声をあげられるようになった今はとても良い時代です。
ですが同時に、「傷ついた!」と思えばすぐに「ヘイトだ!」と言う人達も増え、実際には「ヘイト」の意にそぐわないことであっても誰かを「ヘイトスピーカー」と断定し、「ヘイト」と言う言葉を大安売りする人達をtwitterでも頻繁に見かけるようになりました。
自分にとって都合が悪い事を言う人を「ヘイトスピーカー」と言う加害者に仕立てれば、相手を黙らせる事ができるからです。
わたしはそこに、相手を悪者に貶める卑怯さや、言論の自由を損ねる危険を日々感じています。
それと同じ事を、いち大学教授が率先してやっている事、まるで「ヘイト」と言う言葉を、鼻をかんだティッシュの様に使用される事に、驚きと、強い危惧をますます強めております。

もう一度、懲りずに玉田教授にお伝えします。

ひろゆきさんのような女性観は、フェミニスト学者様におかれては都合が悪いのは分かりますが、まずは世の男性のリアルな意見を耳を塞がずに聞き入れ、現実を受け入れる事が大事です。
そして、我々フェミニストの意見も理解される様すり合わせ、異論者同士でも共存する方法を探っていくのが教育者のすべき事ではないでしょうか?
このままでは、フェミニストとは、何か言えば「ヘイト」と言い、人の話を全く聞かない極端でヤバイ人達の集まりだとして、ますます世の中からドン引きされるだけです。

ハフポストの当該対談コラム相手候補者も、何か言えばフェミニストの社会学者に「ヘイト」と罵られるようなら、誰も喜んで受けてくれなくなるでしょう。
言論の自由の為に、この様な事があってはならないと強く思います。

*ちなみにその後、髙崎順子さんからもご丁寧なご返信があり、対談コラムの連載は引き続き行われる様で少し安心しましたが、今後もこの様な異常な批判がフェミニスト学者から起きた場合、わたしは同じフェミニストの一人として批判し続けます。
(同じ批判は、フェミニスト学者内部から声は上がっているのでしょうか?わたしは聞いた事がなく、その事実が信じられません)

ひろゆきさんに言われても、やっぱりわたしはフェミニストをやめないし、フェミ嫌いな人との対話を心がけていきたいです。

筆不精なのに、今日で連続4日もブログを更新しております。

数日前から炎上しているハフポストの髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの件。
単に個人の意見を述べただけなのに、フェミニスト達から異常に批判されたひろゆきさんご本人も思うところあったのか、ガジェット通信でご意見の記事他者に敬意を払わない集団とフェミニストの先鋭化。をアップされていました。
「レディースデー」「女性専用車両」などの事例を挙げ、日本と海外での比較論や、ひろゆきさんが「フェミニストではなく差別主義者」と認定した数名の方への批判や反論の後の〆として、わたしへの呼びかけと、拙ブログのリンクも貼って頂いていたのには驚きました。

”というわけで、フェミニストの人はフェミニストじゃない人の状況も見えてないし、海外のこともあんまり見えてないし、行動パターンがネトウヨに似てきてるので、やっぱりまともな人は「フェミニスト」を名乗らないって選択をしちゃうんじゃないですかね? ろくでなし子さん。”

やはりわたしはまともではないのでしょう。
ネット界では影響力の大きいひろゆきさんにこう言われても、相変わらずフェミニストを名乗る事にわたしの意志は揺るぎません(^.^)
それより、不肖わたしに呼びかけて頂いたのが嬉しく光栄でした。記事全体についても楽しく読ませていただきました。

この記事をまた批判している方々もいますが、そういうのはそちらにお任せするとして、わたしは共感した点を挙げてみます。
これはわたしも実際に欧州に住み、欧州文化に触れて実感した事ですが、

「日本は専業主婦・主夫をかなり優遇する仕組みを持っている」
「フェミニストは働く女性が云々の話はするが、世の中には働きたくないけどお金は欲しいという人が大勢いるってのが見えてない気がする」

欧米といってもわたしが住むアイルランドはまだ保守的で日本に近いので、専業主婦であるわたしがさほど生きづらさを感じることはありませんが、特に男女平等が進んでいると言われるスェーデン人のママ友がこんな事を言っていました。

「スェーデンではあらゆる福祉が整っていて、女性が出産するとベビーシッター補助も付くので働きたい人はいつでも働ける(1年間の産休を取るのが普通だと言う人もいます)から、女性でも働かないで家にいると「なんで働かないの?」と言われる事もある。自分は今、子供達と家で過ごすのが楽しいし、ここ(アイルランド)にいると、そういう空気がないから、すごくラク」

念の為、これは、いちスェーデンママ友さんが言っていただけで、スェーデン人の総意ではありません。
でも、男女平等を徹底すると、外で働くより家事や育児が好きな人が窮屈に感じる世界にもなり得るのが興味深いです。
わたし自身、今は必死で働く必要がなく、家事や子供のお世話をしながら自分の時間を持ってのんびりできる専業主婦と言う生き方に、とても満足していますが、ここで「男女平等なんだから、女も働け」という空気を感じたら、わたしは生きづらいと思うでしょう。

わたしは、フェミニズムとは、男女平等はもちろんですが、女性の権利や選択の自由を増やすことだと捉えているので、当然「専業主婦でいたい人の自由」も尊重されるべきだと思います。
ですが、現在のフェミニストには「専業主婦」を否定したり見下し、働いている女性をよしとする暗黙の空気の様な何かを感じてしまいます。それって、結局女性差別や選択の不自由さでは、と思います。
「専業主婦は旦那に何かあったり死んだら終わり、何も考えてないバカ」とあからさまに言う人もいますが、「働いている人も何かあったり死んだら終わり」でしょう。
どの様な生き方であっても、その人が選んだ生き方を、他人が勝手に気の毒がったり蔑むのはおかしな事です。
せっかく日本には、働きたいくない女性が優遇される面もあるので、そこについてまで否定しなくてもいいじゃないかと思います。
ですから、ひろゆきさんの、「なんでもかんでも欧米の真似をすればいいってものではなく、日本は日本の文化と生活習慣に会わせて取り入れていけばいいと思うんですよね。」と言う意見に同意します。

さて、ひろゆきさんの言っている事に怒るどころか共感部分が多いわたしが、ひろゆきさんがウンザリされている「フェミニスト」であり、それを名乗る事を止めようとは一切思っていないのが、我ながら不思議です。
今や悪いイメージしかないフェミニストを名乗る事になんのメリットもありませんが、わたしがもし、メリットの可否で何かを選択できる常識人だったら、そもそもまんこのアートをしていません。他人から見てデメリットでしかなくても、わたしがわたしである為にやっているのです。

ただ、ひろゆきさんが仰る通り、差別主義者の様なフェミニスト達の横行や先鋭化が非常に気がかりです。
特に、いち男性の単なる個人的な意見についても「有毒だ」と言い、人間を敵か味方でしか見れないフェミニスト(大学教授や学者に多い)が、これからの若者に「有毒」で心配です。
教育者なら、違う意見の人も尊重し共存していくにはどうしたら良いかを、若い学生達と一緒に考えてほしい
ものです。

この様なフェミニスト学者達の結束は強いので、どの様に対処していけば良いのか?
わたし一人では、正直どうしたらいいか分かりません。
ならばこそ、フェミニズムとは無関係な人や、フェミが嫌いな人達の意見をもっと聞き、時にはフェミニストが見えていない事を教えていただける様、わたし一人でも、対話を心がけていこうと改めて思いました。
閉塞したフェミ学者様達には何も届いていなくとも、ブログで思いを伝えたこの数日で、「ろくでなし子さんの考えるフェミニズムなら応援したい!」と言う声を沢山かけていただきましたから、何もしないよりは、ずっと効果を感じます。

遠いアイルランドにおりますが、スカイプやライン通話もできる時代です。フェミニズムに関わる問題での話し合いの場がありましたら、気軽にお声がけください。
よろしくお願いいたします。

グレタさんに関する日本と海外のメディアでの取り上げ方の違いについて思うこと

先日、夫(スコットランド人)と食事の際、環境問題活動家のグレタ・トゥンベリー(Greta Ernman Thunberg)さんについて話したところ、興味深い考察が出来たので記しておきます。

夫は親グレタ派。そんな夫に、わたしが「グレタさんの無駄に喧嘩腰な態度や、地球環境改善を主張しているのに中国の環境破壊については問題にしないところがおかしい」と延べると、夫はその様な事実は全く知らなくて驚きました。
疑問に感じて英文記事を検索したところ、否定的な記事はだいたいアジア諸国。
欧米の記事の大半はグレタさんに好意的で、中国の件などマイナスな話はあまり書かれていません
(もちろん否定的な記事はあっても、非常に少ない)。

これは一体どう言う事か?何を信じたら良いのか?
そこで、わたしの弁護団の先生でもあり、バイリンガルで社会情勢にも詳しい、無駄に感じが悪い弁護士にご意見を伺ったところ、

「欧米ではグレタさんに批判的な記事を書くとポリコレ棒で叩かれるから、未開のアジア諸国の方が表現の自由があるのでは(個人の感想です)。」

との事。
日本のネットニュースでは、グレタさんが怒っている表情の写真をよく使うのが意地悪に感じていましたが、欧米の持ち上げぶりも気味が悪いです。
メディアが故意に隠したり、あるいは誇張していると分かると、何を信じれば良いかわからなくなりますが、結局のところ、「どちらも真実」なのでしょう
お陰で、グレタさんに対するわたしの気持ちも一旦フラットになり、今は否定も肯定もしていません。

また、グレタさんが中国批判をしないのは、「アジア差別だ!」とポリコレ棒で叩かれない為なの?と思いきや、無駄に感じが悪い弁護士曰く、

「いや、お金の為だと思う。グレタさん本人ではなく周りの大人が中国資本に関係があるのかも。中国とビジネスしたい企業は多いし、特に欧州は伝統的に中国と組んでロシアを牽制する発想が強い。何かあっても中国は遠いから彼らには怖くない(個人の感想です)。」

なるほど、世界の企業は中国資本と関係したい、中国とビジネスしたいのだ、と考えると、なぜアメリカのTIME誌が、投票では圧倒的に香港のデモが多かったのに、グレタさんを2019年の今年の人に選んだのかも合点がいきます。「あくまでも個人の感想を基にした憶測」ではありますが、中国は確かに経済力がありますからね。
わたしは、アメリカや欧州のリベラルを称するメディアは常に公平、という信仰がなぜか強かったのですが、TIME誌の件でも、あまり過信してはいけないと思いました。
夫も「BBCも間違う」と言っている。そういえば、NHKの報道も何かおかしいのはしょっちゅうでした。リベラルって、何でしょうね。。。

ちなみに、我が家は、喩えて言うなら、夫の思想には日本のいわゆるリベラル左派や表現規制派に近いものを感じますが、わたしは表現の自由主義。
ある事例について意見の違いはしょっちゅうでも、そんな事では喧嘩しませんし、お互い言いたい事を言い合って家庭内多様性を実現しています
この件を twitterで呟いたところ、「わたしの気持ちは一旦フラットになれたし、今はグレタさんを否定も肯定もしていない」のに、「100%グレタさんを応援しないと許すまじ!」な人達(あるいはその逆も)が湧いて来るのですが、そう言う態度こそ、最も多様性からかけ離れていますよ(^-^)

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華のJK・Pさんと男性配信者達がフェミニズムを考える討論会の中止騒動について思う事

数日前、某男性生配信者達がフェミニズムについて考える討論生配信のゲストに15歳のフェミニストを呼ぼうとした事がTwitterで騒動となりました。

「ミソジニストが JKを引っ張りだして、許せない」「身元を晒そうとする人がいて危険だ」「音声が残って怖いからやめろ」と危惧する意見(特にフェミニスト達)が多数で、結局、「15歳以下の未成年は法律上21時以降の仕事はできない」「親の承諾が無い」などが理由で、その”華のJK(ご本人が称されているので敢えて使います)”Pさんの出演は無くなった様です。

わたしはその頃、Vagina Museumや、映画「Female Pleasure」の試写会でロンドンにいてTwittrerを追っておらず、どなたが配信されるのかも知らず、TLに流れて来た情報だけ見て何となく大多数の人と同じ気持ちになっていました。

ところが、Pさんのツイートを見たところ、これは「本人自らの応募」で、無理やり引っ張り出された訳ではない事や、配信者側も彼女を尊重して出演の際の条件などきちんと話し合いがなされていた事が分かりました。
まるで「10代の女の子は弱くて意志がない」かの様に無意識に思っていた自分の偏見に、わたしは気づきました
配信者のツイートも確認しましたが、その内のお一人は多少軽率な発言をしている様にも見えましたが、そこまであからさまなミソジニストの様にも思えませんでした。
むしろ、フェミニズムに無縁そうな男性がそれについて考えてくれるのなら良い機会ではないかと思います(フェミニズムを知らない、興味がない人にこそ、届かないと意味がないと思うからです)。

Pさんの書く文章からも真摯な考えが伝わりました。
これだけ聡明でしっかりと意見を持つ華のJKなら、何の問題もなく大人と対等に討論できるはず(もちろん21時以降の出演は法律で禁止されているのでNGですが)。
なのに、必ず加害されるかの様に過剰に心配し、危険だ危険だと騒いで辞めさせた人達は、Pさんの主体性を本当に尊重しているのか疑問です。特にフェミストを自称している人達は、Pさんが華のJKだからと一段低く見ていないでしょうか。更にその上、Pさんが自らの意志で男性との討論に応募した事が気に入らないのか、「名誉男性」と決めつけて罵るフェミニストまでいたと知り、驚き呆れ果てています。
むしろTwitterではその様にすぐ罵詈雑言を投げる大人が多い中、冷静に意見を述べることができるPさんを大人が対等に扱わないのは失礼だし、Pさんのやりたい事を奪っては、本末転倒です。

わたしは子供の頃から、何か新しい事をしようとすると、大人から「まだ早い」「何かあったら怖いからやめておけ」と言ってやらせなくさせられる事にウンザリしてきました。
そういう人は「良い事をした」と思っているけれど、わたしからしたら貴重な経験を奪い取る余計なお世話な人達です。
Pさんの出演の件で大人がすべき事は、「身元探す人がいて怖いよ」と脅すのではなく、おもしろ半分に身元を探る輩を徹底的に糾弾し、Pさんのやりたい事ができる様にその道を整えてあげる事ではないでしょうか。

Pさんは本当に良くできたお嬢さんの様で、わたしなら余計なお世話だと思うそれら大人の説教にも、「普段心配されることがなかったから嬉しいです」とツイートされていました。
ご本人が嬉しいなら、わたしがこれ以上言うことはありません。
ただ、何だか最近のフェミニスト達は、女性(特に若い女性)といえば即、「被害者・弱い存在」という思い込みが過ぎる様に思います。(わたしですらPさんに対してそう思い込んでいました)
性虐待やセクハラはもちろん撲滅すべきだし、MeTooもムーブメントになりましたが、世界の全ての女性が弱い存在とは限りません。

冷たい様ですが、フェミニストはかわいそうな人を慰めてあげる「被害者の会」の人ではないと思います。誰も守ってくれない時にこそ、その人が自力で立てる様にしなければ意味がありません。喩えるなら、お腹が空いている人にその時だけ美味しいご飯を作ってあげるのでなく、ご飯の作り方や材料を買うお金を得る知識を得る、そのツールがフェミニズムです。

このブログを書きながら、かつて藝大で上野千鶴子先生と討論会をさせていただいた事を思い出しました。
上野先生は、わたしのアートについて「性的な表現をして後で後悔しても取り返しがつかない」などと仰いました。先生のお弟子さん達には、自分の過去を後悔する人が多いのでしょうか。わたしという女性を低く見てかわいそうがりたかったのかもしれませんが、わたしは覚悟を持って制作し、だからこそ、今も国と裁判でワイセツについて争っている。
そういうわたしに対して「後で後悔するかも」と言うのは失礼だなと思いました。

わたしは「男女平等」をモットーにするフェミニストとして、性別や年齢や活動内容に関係なく、あらゆる人間と対等でありたいですし、15歳のPさんの語るフェミニズムと、それについて考える一般の男性との討論を視聴したかったので、とても残念です。

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ドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のロンドンプレミア試写会に行って来ました

昨夜は、わたしが出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のプレミア試写がロンドンの小さな映画館で催されました。

Female Pleasure」は、監督のBarbara Millerさんが世界の女性差別と闘う5人の女性を撮影し、その実話を描いたドキュメンタリーです。
FGM(アフリカに今も残る女性器の陰核を切除する風習)を実際に受け、その非道な風習の根絶運動をしているドクターLeyla Husseinさん、
子供の頃からカトリックの聖職者に長らく性虐待された事実を勇気を出して告発した作家のDoris Wagnerさん、
(カーマスートラが生まれた国なのに)性教育はタブーとされ、親が決めた相手としか結婚してはならない古い慣習が今でも残るインドで、性教育や自由恋愛、自由意志での結婚運動を推し進める活動家のVithika Yadavさん、
ユダヤ教徒の厳しいコミュニティから脱会し、女性差別的な慣習を告発した作家のDeborah Feldmanさん、
そんな錚々たる女性達と共に、うっかりわたしも紹介されております。

Female Pleasureは、直訳すると「女性の喜び」です。わたし達5人は、本来は自分の喜びであるはずの体や性の自由を、男性や他者から奪われた事に対して闘っています
まんこアートを本格的に始めた当初はもちろん理解者はほとんどおらず、逮捕までされ、わたしはずっと孤独だと思っていましたが、この映画のおかげで「わたしは独りじゃなかった。」と勇気を得る事が出来ました。
また、撮影が終わって間もなくして、MeTooムーブメントが世界に湧き上がったのも功を奏し、ロカルノ映画祭では数々の作品賞を受賞しました。
まさか、まんこで捕まった数年後に、ロカルノ映画祭のレッドカーペットを歩く事になるとは夢にも思わず、無駄に感じ悪い弁護士には「焼け太り」と言われております。

この映画はスイスやドイツでは大ヒットしており、この度、イギリスにも上陸しました。
日本でもいつか上映される事を期待したいです。

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保釈金300マン円を横領して業務停止処分になったT弁護士に思う事。

わたしは2015年秋頃、しばき隊から不当な攻撃を受けていた時(いわゆるぱよちん騒動 (詳しくは 漫画 もしくは ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相ーオピニオンサイトiRONNA を参照ください)、T弁護士を初めて知りました。
当時は、新潟水俣病原告弁護団団長であり、しばき隊の卑怯なやり方を批判するT弁護士が頼もしく、また、名刺の肩書きにハゲと書くなどユニークなところにも好感を持ち、わたしも勝手に似顔絵を描くなどし、先生を尊敬しておりました。T弁護士も、わたしの事を「ろくでなし子師匠」と呼び面白がっていらしたので、わざわざ否定するのも無粋だと、放っておりました。ちなみに、多くの人が勘違いしている様ですが、T弁護士はろくでなし子弁護団のメンバーだった事は一度もありません

ただ、しばらくして、T弁護士が、精神を病んだ人を自殺に追い込むような、報復が極端にやり過ぎだという話をとある筋から聞き、疑問を感じるようになりました。T弁護士はキリスト教徒のはずなのに、敵と認定した人を徹底的に追い詰める容赦の無さにも怖い物を感じ、距離を置くようになりました。距離を置くといっても、元々、Twitterでしかお見かけしなかったのと、その後、わたしも結婚・妊娠・出産・子育てと忙しく、その件すらもすっかり忘れておりました。

ですから、Twitterで「なぜT先生を救わないのか!」と言うリプライが来て、初めて、T弁護士が裁判所からの保釈金300万円を横領して業務停止処分にされた件を知り、驚きました。
先生が生活に困窮していたのならお気の毒ですが、どんな理由があるにせよ、横領は犯罪です。

ニーチェもこう言っています。

《怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 「善悪の彼岸」—146節》

T弁護士は、深淵を覗きすぎて、結局しばき隊以上の怪物になってしまったのかもしれないと思うと残念でなりません。

以前にも似たような事があったのを思い出します。法律漫画家を称するSさん。
ある日、わたしはTwitterで見知らぬSさんから親しみを込めたリプライやRTをされるようになりました。当初はこちらも親しみを込めてやりとりをしておりました(この時も、ちょうどしばき隊による嫌がらせが続いており、Sさんはわたしに絡むうちにいつの間にかアンチしばき隊の頼もしいサポーターとなり、しばき隊リンチ事件の裁判傍聴ルポでは大活躍されました)。
しかし、わたしはSさんとは実際には会った事もなければ電話ですら話した事もありません。なのに、Sさんは過去にわたしと同じ漫画雑誌に同時に載っていたというだけで「ろくでなし子さんとコンビを組んでいた」と、まるで親しい間柄のように触れ回っていました。友人知人から「すごい仲良しなんだね」と言われ、だんだん気味悪く感じてきました。
それからしばらくして、Sさんはアシスタントとして仕事をする事になった某漫画家(仮にA先生とします)の事務所で、ツイキャスでA先生の私物を勝手に披露したり悪口を公開している姿を見て唖然とし、完全に距離を置くようになりました。
その後、Sさんは何と、A先生を介護セクハラで週刊誌に告発するのですが、実はSさんが 脳の病気を患った障害で独りでは動けないA先生のTwitterを乗っ取っていたり、A先生の股間を隠し撮りしてその写真を誰かに送るなどしていたことが関係者を通じて明らかとなりました
わたし自身も迷惑し、また、ツイキャスと言う公開の場でA先生の私物をひけらかしてA先生を「ポンコツ」と呼びバカにするようなSさんの道徳心の低さを知っていたので、Sさんの告発には信憑性が低い事をTwitter上で指摘しました。
その結果、A先生介護セクハラ疑惑は、大手週刊誌がスクープしたにも関わらず、MeTooムーブメントの時代にも関わらず、誰も話題にする事なく、どこかに消えてしまったようです。

今思えば、Sさんも、しばき隊と闘って持ち上げられる事で、社会悪と言う怪物に魅入られて自分を見失ってしまったのか・・・な・・・?まぁ、Sさんの場合は元々話を大きく膨らましたり虚言癖がある事が大きいと思いますが。(何しろ、子供時代は貧乏で劣悪な環境で過ごしていたと語りながら、ロシアやアメリカの大統領に会うような生活をしていたと、平気で最初の設定忘れて文法が間違ったおかしな英語をツイートするような人だったので)

ただ、Sさんには最初から迷惑していたので何の思い入れもありませんが、かつては尊敬していたT弁護士が横領事件で業務停止処分された事については、残念な思いと深い悲しみを感じております。
(はからずも、T先生をベイダー卿に描いた似顔絵が、今となっては皮肉な話です)

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「萌え絵を奇形差別として規制できないか」と言っている岩渕潤子さんに思う事

昨日に引き続き、萌え絵を規制したがる人がテーマです。
今度は、『萌え絵を女性差別で規制はできないが「奇形差別」でなら条件付きで認められる可能性はある』と言っている識者が現れ、まんこアーティストのわたしですらドン引きしております。
作家の岩渕潤子さん。
氏は、驚く事に、巨乳の萌え絵の問題に絡めて、女性の中には巨乳である事を恥じて整形手術をしている人もいる事をTwitterで何度も強調していました。まるで、巨乳の女性が悪いどころか奇形だとし、整形手術を煽っているかのようです。
(追記:今朝見たところ、「秋葉原に高い外塀を作りR16指定の特区にする案」なる話をツイートされており、ナチスのゲットーと同じ発想でゾッとしました。なぜ自ら炎上中に更にガソリンを被りたがるのか、不思議で仕方ありません)
氏は、フェミニストではないそうですが、あいちトリエンナーレのあり方検証委員会の委員だそうです。ある種の表現を「奇形差別で規制できる」と平気で言う人が、日本の表現問題に関わる重要な立場にある事を、わたしは非常に危惧します

股マタ、わたしの話をさせて下さい。
漫画家のわたしは、10年近く前に女性器の陰唇を切除して綺麗に整えるという名目の”小陰唇縮小手術”という整形手術を受け、その体験を漫画にしました。
当時はうすらぼんやり自分のまんこはビラビラし過ぎだし色も黒ずんでいて醜い、というコンプレックスを抱えていました。
日本では、性器にモザイクがかかって隠されている上、大人は誰も真剣に性の話を教えてくれなかったので、女性器がどんな色形が正常なのかもよくわからずに大人になりました(実は、クリトリスがどこにあるかも知らなくて、20歳を過ぎるまで自分はクリトリスが無い人だと思い込んでいました)。
そこまで悩んでいませんでしたが、今まで自分のまんこを漫画のテーマにした人は居なさそうだし、この機に「まんこと言えばこの人」と言われるポジションも得られると思い、割とカジュアルにその手術を受けました。
その後、漫画のネタの流れで整形後のまんこをモチーフに、笑えるまんこアートを始めたところ、2ちゃんねるで「キモい、臭そう、グロ、etc…」と激しく罵倒されたのでした。

型を取った石膏の上にジオラマを載せたり、キラキラパーツで飾ったわたしのまんこ作品を「ただ、まんこというだけで」激しく嫌悪する人達がいる事に、世間知らずのわたしは驚きました。
そこから、わたしは女性の性について真剣に考えるようになり、その流れでフェミニズムに辿り着きました。
そして、アート活動の一環としてデコまんワークショップを開くようになり、他人様のまんこを見るようになってから、まんこの形とは実にユニークで、人の数だけ多種多様、正解なんてなく、みんな違って素晴らしい物だと気付きました。
かつてのわたしは、ピンク色で小陰唇も小ぶりな方が良いまんこだだと何故か思い、そうなるように整形手術を受けたのですが、それはわたしが、AVやポルノの影響で自分の本当の体(まんこ)を醜いと思わせて来た世間の風潮にすっかり流されていただけなのでした。
もちろん、整形手術をしたい人にはそうする自由があります。
長年のコンプレックスを、手術で気軽に解消できます。やりたい人を止めません。
しかし、自分の体を悪いものや恥ずかしい物だと思っていなければ、そもそもしなくて済む手術です。まして、巨乳は奇形であるかのように思わせ、整形手術を煽るかの様な話を、日本の表現問題に関わる重要な立場にある人が言ってしまって良いのでしょうか

昨日の繰り返しになりますが、

胸のでかい女性をいじったり、セクハラをする人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物を潰しても世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしていきましょうよ。

ところで、岩渕さんのお望みの「奇形差別とみなされた物は規制できる世界」になったとしたら、規制対象になる芸術作品を以下に挙げてみる事にします。
キュビズム、シュールレアリスムの名画は大体アウトになるかと思います。
こうして眺めると、現代は権威ある芸術作品も、当時は嫌悪感で猛烈に反発する人達がいただろう事は容易に想像がつきますし、三回言いますが、萌え絵を奇形差別でなら規制できると言う岩渕さんに、なぜあいちトリエンナーレのあり方検証委員会と言う表現問題に関わる重要なポストを任せてしまったのか、大いに疑問です。

萌え絵は環境型セクハラだと言うフェミニストの皆さんへ

あいちトリエンナーレの表現の不自由展の騒動が冷めやらぬ中、今度は献血ポスターに採用された萌え絵表現への抗議でTwitterは荒れています。
問題の絵である「宇崎ちゃんは遊びたい!」という漫画のキャラクターである宇崎ちゃんが、異様に胸が強調されている為、性的だとして主にフェミニスト達から猛烈な批判を浴びています。

わたしもフェミニストであり、かつてはこの種の萌え絵に得も言われぬ違和感を覚え、どちらかと言えば嫌悪する側でした。が、わたしは表現の自由主義者。己の嫌悪感は差し挟まず、あいちトリエンナーレで問題となった天皇の肖像を焼く動画などと同様、公平に表現の自由を主張しています。
なお、献血はコミケ会場に併設される事が多い為、オタク層をターゲットにする事は特に問題ないかと思います。実際に都内の献血ビルをルポした方によれば、問題のポスターも献血ビルの中に入らなければ見ることもなく、よく探さなければ見つからず、秋葉原の献血ビルに数枚あった程度、との事でした。

それでもこの絵に対する嫌悪感の強い人達の怒りは収まらないようで、「巨乳の人が見たら可哀想!」「環境型セクハラだ!」「私は巨乳ですが、この胸のせいでからかわれたりセクハラされて嫌な思いをして来たんです!」と、実在の巨乳の方々もわたしに怒りをぶつけて来られます。
「あらゆる表現は意図せず誰かを不快にさせるもの」なので、それは当然。不快に思う人の気持ち自体は否定しません。現に、かつてのわたしも萌え絵が嫌いでした。
しかし、この意見をフェミニストを名乗る人達も一緒になって叫んでいるのは不思議です。
フェミニズムとは、女性を長らく押さえ付けて来た社会の役割や性的な偏見や古い価値観から解放し、女性はもっと自由になろうと謳って来た思想のはずだからです。

フェミニストこそ、「女の胸がでかくて何が悪い!」と言うべきではないでしょうか。

Twitterでは「アメコミの女性キャラは胸の露出が多いのに不快じゃ無いのは胸が大きくても強調されてないから」と絵付きで説明する人もいましたが、まるで、スカートの丈や前髪の長さをチェックする風紀委員のようです。
昔、娘や生徒がミニスカートを履いたり体のラインを強調する服装をしたら怒るお父さんや教師みたいな事を、女性の自由を主張するはずのフェミニスト達が率先しているのが怖いです。
しかも、萌え絵はフィクションの世界の絵です
よ。(こう言うと、現実の女性とフィクションを一緒にするな!と言う方がいますが、あなた方がフィクションである萌え絵を現実と混同して騒いでいるから批判されるのです)

もちろん、おっぱいのでかい女性をいじる男の子達やセクハラをする大人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物ではありません。

ここでわたしの話をさせてください。
今は出産した上、加齢でしぼんでしまいましたが、かつてEカップの胸を持っていたわたしは、20代の頃は自ら好んで胸が強調されるピタピタTシャツやセーターを着て、もっと胸が大きく見えるよう、パッドを入れて底上げまでし、自分の体を性的な視線で見られることも承知で楽しんでいました。(現在は見る影もありませんが、わたしは自分の体を普通に受け入れていますから、別段悲しくもありません。今は胸が無いぶん、洋服をすっきり着られるし、乳首隠しのついたワイヤー無し下着をつけて肩こりのない快適な毎日を過ごしてます)
わたしのような女性も少なからずいるはずです。そうでなければ、見せブラ、底上げボリュームUPブラなどの需要は市場に一切無い事になります。

さて、20代の頃は性の対象として眺められるのも悪くないと思っていたわたしは、加齢とともに胸も萎んだ代わりにフェミニズムに目覚め、40歳を前にして、まんこのアートをするようになりました。
まんこのアートと言うだけで、面と向かって「汚いから寄るな!」と嫌悪感を示す人もいましたし、簡単にセックスができる女だと思われ、仕事の話と称してわたしを呼び、ホテルに連れ込もうとする人もいました。一番多かったのは、性的な表現をしているからと、人間以下のように見下す人達でした。
そこで気の強いわたしは反発するのですが、驚く事に、その場にいた人達まで、「怒りすぎだ」「女なんだから大人になってあげないと」と、同じ女性ですら、わたしを牽制したりバカにするのです。とてもガッカリしました。
女性に嫌なことをするセクハラ加害者の方が社会的に立場が強いと、周りは無視するか、加害者側に立つのです。これではセクハラが一向に無くならないわけです
この手の話はわたしの体験に限った事ではないと思います。
つい最近も、フォトジャーナリストの広河隆一氏の複数の性接待強要事件が発覚した騒動が記憶に新しいですが、被害者達によれば、人権団体の関係者に相談しても聞いてもらえなかったが、metooムーブメントを機に勇気を出して週刊誌に告発したとの事でした。恐ろしい事に、人権団体の人達ですら、権威ある人のセクハラを、長年見て見ぬふりして来たのですよ。
カトリック教国であるアイルランドでも、神父の信徒の子供達への性虐待が長らく隠されていた事が80年代に大問題になりましたが、これも同じく、加害者の悪事を正すべきはずの信者達が隠して来たのが根深いです。

話を萌え絵を抗議するフェミニスト達に戻します。
「萌え絵が公共の場にあるとセクハラに加担する事になる」なら、萌え絵などなかった時代はセクハラは一切無かったのでしょうか?
あなた方の主張が世間に届いていたら、広河氏の十数年に及ぶ性接待強要も、あらゆるセクハラはとっくに問題視され、解決していたはずですが、なぜ見過ごされて来たのでしょうか?

繰り返しますが、本当の敵は、セクハラや性暴力をする加害者と、それを見過ごしたり無視したり、被害者をバカにする周りの空気です。物言わぬ表現を攻撃しても、世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしましょうよ。

最後に、それでも萌え絵が「環境型セクハラだ!」と言う事でしたら、日常のあらゆる事象を性的だと思った瞬間に取り締まらないといけませんので、わたしも性的に感じた物をUPしますね。ご査収ください。