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Russian Artist Yulia Tsvetkova is facing about 6 years for her public Vagina Monologue in prison

Russian feminism artist Yulia Tsvetkova  is a political prisoner of Kremlin. Since the 5th of February 2019, she has been persecuted by the state. She is facing about 6 years for her public Vagina Monologue in prison. I was in a similar situation to her though I was in prison for only 1 month.  Please support her.

ロシア人アーティストYulia Tsvetkovaさん、こんなほのぼのかわいいまんこの絵を描いただけで、現在禁固6年の刑に処される裁判中です。 是非サポートお願いいたします。画像はサポートサイトより:

https://feminisms.co/tsvetkova/en

ドイツの Museum for Communication Berlin(ベルリン情報通信博物館)の COMIC SALON 展に新作の3D toyシリーズ等出展しています。

6月24日より、ドイツの Museum for Communication Berlin(ベルリン情報通信博物館)にて、COMIC SALON 展がはじまりました。まんこちゃんや新作の3D toyシリーズ等出展しています。こちらの展示会は7月から9月まで、その後はシュヴァルツェンバッハ・アン・デア・ザーレの美術館にて、2021年7月~2022年春まで開催予定です。

The date and place

  1. At the Museum für Kommunikation Berlin from July until September 2021 (the exact dates still need to be confirmed) https://www.mfk-berlin.de/
  2. At the Erika Fuchs Haus Schwarzenbach from October until spring 2022 (the exact dates still need to be confirmed)

Comic-Salon:インスタグラム https://instagram.com/comicsalon_er/

Museum for Communication Berlin(ベルリン情報通信博物館)https://mfk-berlin.de/en/museum/

#COMICSALON #vorbilderinnen

Museum for Communication Berlin(ベルリン情報通信博物館)とまんこちゃん
team Manko-chan の皆様

SNSへのわたしらしい向き合い方、今後の方針など

まんにちは。久しぶりに自分の心情を整理がてらブログを更新します。

最近、わたしはTwitterやFacebookで、政治的な発言はしなくなりました。

まんこのアートを本格的に始めてから、権力、集団、個人を問わず、わたしのやりたい事を阻むものや、時代の流れには、常に逆らい生きてきました。
SNSを始めた当初も、わたしは、皆が内心では思っていても言いづらいことをこそ、どんどん発信しようと思っていました。
何があっても、たとえ逮捕されても、クソ真面目に自分の思いを貫くことこそわたしの存在意義だと思うし、今でもその気持ちは変わりません。

ですが、この10年でSNSが急速に発展し、人々の価値観やスタイルも大きく変わり、
どんな人でも、有名無名を問わず、SNSで社会に対する自分の意見を発信することが簡単にできるようになりました。
別にわたしが矢面に立たずとも、わたしが思いつく程度の意見なら、他の方がもっと良い言葉で発信されています。
また、SNSでは特に、何か発言をすれば、意図せず誰かを不快にさせてしまいます。
そして攻撃的な人がやって来るので、こちらも不必要に心が疲れてしまいます。

SNSを通して気づいたのですが、わたしは、ある話題が炎上した際、例えば対立するAとBの意見があったとしたら、A、Bどちらの立場でも我が事の様に考えてしまい、はっきりと、「敵or味方」、「正義or悪」の対立項目として分けて捉えることができません。
仮に極右の人と極左の人が目の前にいたら、わたしはどちらの意見もつい面白いと思ってしまうし、思想信条を超えて仲良くできたらいいなと思ってしまいます。

しかし、昨今のSNSでは、特にアメリカのキャンセルカルチャーを見ていても、
何かについて意見を述べた時、少しでも不適切な事を言う人や、概ね賛同していても一部批判している人までも敵認定する極端な向きを強く感じます。
多様性を謳う現代において、「どちらにも偏らずに公平である」「自分とは違う考えの人の存在を受け流す」事は、リベラルやフェミニストを称する者として大事にすべき態度だとわたしは思うのですが、今、リベラルやフェミニストを称している文化人やその支持者達には、なぜかちょっと通じない様です。

最近の例では、ある電動車椅子活動家のJR乗車拒否騒動の際、わたしはやはり「どちら側の意見もわかる」ていで意見を述べましたが、「支持or反対」の、0か100でしか考えられない人はわたしが思っていたよりも多く、件の活動家の支持者、またその反支持者からも、攻撃的なリプライが来たり距離を置かれてしまいました。

わたしは自分にウソはつけない不器用な人間です。
この先も、SNSで何かの議論が湧き上がった際、やっぱり「どっちの立場や気持ちもなんかわかるなぁ」と思ってしまうでしょう。
そしてそんな思いをぼんやり投稿すれば、意図せず誰かを傷つけたり不快な思いにさせそうですし、その反感を攻撃的にわたしにぶつけてくる人達がいるのは目に浮かびます。

繰り返しますが、わたしは、権力、集団、個人を問わず、わたしのやりたい事を阻むものや、時代の流れには、常に逆らい生きてきました。
今はみんながSNSで言いたいことを言える時代ならばこそ、わたしはその時代の流れに逆らい、自分の意見は(仕事としてコメント依頼されたりイベント出演する時以外は)むしろ簡単に表明しない事に決めました。
そして、本来わたしがやるべき事である、まんこアートや人生勉強に励みたいと改めて思いました。

実はそう決めてから半月以上経ちましたが、SNSに前ほど時間を割かなくなった代わりに3Dモデリング作業や読書や英語の勉強時間が増え、攻撃的な言葉を浴びることもなくなり、毎日が快適になったので、わたしの判断は間違ってないと感じます。

そうは言っても、どうしても言いたくなることもたまにはあるでしょう。その時は、このブログに書くかもしれません。でもできるだけ、まんこの作品作りで気持ちを昇華していきたいと思います。

宜しくお願いいたします。

追伸:
まるで引退宣言みたいに湿っぽくなってしまいましたが、SNSは辞めませんし、くだらない事をぼやくツールという基本に立ち返って、今後もマイペースにまんこ言い張り続けます。
よろしくお願い申し上げます。

イベント情報: バースト・ジェネレーション BURST 公開会議 #05に出演します。

バースト・ジェネレーション BURST 公開会議 #05
無観客配信(視聴無料)@TABASA_asagaya
2021.5/26(水)  17:00 – 19:00
出演
ピスケン 
元BURST編集長
釣崎清隆 死体写真家
ケロッピー前田 @keroppymaeda 身体改造ジャーナリスト
ゲスト
ろくでなし子 @6d745 美術家

無観客配信となるそうですが、ご視聴は無料だそうです❣️

ライブ配信URL
https://youtu.be/cjVqmuljB7k

アーカイブ
https://www.youtube.com/channel/UCW3AzE0jXZh4fSEUTfhgQKA

※配信時間にライブで観る人はライブ配信URLで、配信後はアーカイブでも観れるようになります。

m(_ _)m

主に先日まで作品を展示して頂いた、京都の現代美術家・岡本光博さんのギャラリーKUNST ARTでの「美術ヴァギナ展」の話などをさせて頂く予定です。

気に入らない人を排除して心地良い意見の人だけの小さな箱に篭ろうとするリベラルを称する人達に思うこと。

まんにちは。ろくでなし子です。

7月の最高裁ハンケツで、晴れて自分のまんこで前科一犯者となるなど諸々ひと区切り出来てからは、コロナ禍の下で暇つぶしに買ったミシンで洋裁に明け暮れる、穏やかな毎日を過ごしております。

Twitterでも特につぶやきたい事もなく、3日に1着ペースで作るワンピースや子供服の画像を上げる以外は過去記事のbot化しておりましたが、最近、とあるツイートを目にして、久しぶりに首を突っ込んでしまいました。

タレントのつるの剛士さんが、ご自身のパクチー畑で泥棒被害に遭われた件をツイートしたところ、それが「外国人差別」だとされ、特に、元新潟県知事の米山隆一さんや、映画批評家の町山智浩さんが、つるのさんを激しく糾弾し、周りも巻き込み大きな騒動となっていました。

つるのさんは、野菜泥棒した人を義理の弟が捕まえたら「日本語わからない」の一点張りだった、と言っていて、主に被害を受けた怒りをツイートしたかったのだとわたしは思いますが、

怒っている人達は、外国人は泥棒だと決めつける差別だ!という主張のようです。

この件に対して、人の数だけ賛否両論意見があるのは当然のことで、わたしはつるのさん擁護をしたくてブログを書いている訳でもありません。そこは論点ではない事を先に言っておきます。

わたしが違和感を感じたのは、つるのさんが、町山さんの引用RTに対して「辛すぎて涙が出ます。あまりにも酷いです」と返したところ、町山さんが「これが被害者しぐさ」と返した時でした。

そこで、素直なわたしは思った事をそのままツイートしました。

”町山さんの「被害者しぐさ」発言。普段は「被害者に寄り添って」などと言っていた、あるフェミニストが、気に入らない人を「被害者ぶってる」と言っていたのを目の当たりにしたのを思い出します。結局、そういう人は被害者の事を真に考えていなくて、自分に都合がいいコマになるかどうかなんでしょう。”

これはわたしが昨今のフェミニストや反差別リベラルを称する人達にずっと感じていたモヤモヤでしたので、町山さんには失礼かもしれませんが、撤回するつもりはありません。

そしてその夜、わたしのこのツイートを、町山さん本人が引用RTされました。

同じ内容なのに、削除→引用RTを繰り返され、その都度こちらに通知が届く為、なんだか動揺されている様で、反論するのも気の毒になりました。

きっとtwitter依存症なのでしょう。お疲れの様なので、スマホを置いて落ち着かれてはどうかと、ご本人には@も飛ばさず、反論もせずにおりましたが、翌日、町山さんにはブロックされていました。

余程、目にしたくないツイートだったのかもしれません。

町山さんは文字通りお疲れの様ですし、ブロックをする自由は誰にでもあるので、仕方ないことです。

とはいえ、キレ芸が面白かった町山さんには、そっとブロックするのでなく、クソ味噌に罵倒してもらった方が、まだ面白かったな・・・そう思っていた矢先、なぜか、何も言及していないこの人にまでブロックされていた事にも気づき、流石に笑ってしまいました。

わたしは恨み節を言いたいのではありません。「プロのブロックされる人」と自称しているくらいなので慣れてますし、お好きになされば良いと思います。

そして、わたしは10年前から町山さんのTBSラジオでの映画批評を楽しく聴いていた者として、今後も、町山さんの映画批評は楽しみ続けたいと思います。

津田さんにも、今後津田さんのイベントを右翼系の人達が阻止しようとするなら、表現の自由を主張して支持する気持ちは一切変わりません。

それとこれとは別だからです。

わたしにも、「お前の事、応援してやってたのに!(or釈放署名してやったのに!etc)」と言う人がよくいますが、自分が勝手に他人に何かを期待して、なんか違うと裏切られたとキレる事こそ、おこがましいなぁとつくづく思います。

ただ、町山さんや津田さんを「リベラル」と呼ぶ事には、疑問の声を上げ続けようと、改めて思いました

リベラルとは、思想の右左関係なく、批判も受け流しあい、様々な主張の人達との共存を目指すものだと思うので、気にいらない人や異論者を排除して、賛同者だけの小さな箱に閉じこもる人達が自称するのはおかしな話です。

彼らや彼らの支持者達は「多様性」も主張しがちですが、彼らが真に目指しているのは、「自分と同じ事を考える人だけで統一した単一性の社会」では、としか思えません。

また、気に入らない人をどんどんブロックして「目の前から消す」ことが当たり前だと思う人達が勢力を持った時、わたしの様な人間は真っ先に粛清され、発言させなくされそうで、とても怖いです。

町山さんや津田さんのことを「リベラル」としてありがたがって取り上げるメディアも、良い加減にして欲しいものです。

twitterで起きた出来事や思いは記録にとどめていない限りはどんどん流れて行って消えてしまうので、なかった事にされない様に、拙ブログに書いておきます。

:追記 このブログに賛同して下さる方が多くて、それはありがたいのですが、そのついでに町山さんの出自をあげつらう人もいます。それは差別なので、わたしは一切同調いたしませんし、迷惑です。批判すべきは、生まれや性別属性など変えられないものではなく、その人の行動です。

31日発売、実話BUNKA超タブー 9月号 吉田豪さんの、人間国宝にてインタビュー受けました。

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「マンコで逮捕された以外は、ごく平凡な人間なんですよ。その辺にいるマンコで逮捕された人間です。」

男性週刊誌で、まんこが伏字になってないの、初めてかもしれません( ´ ▽ ` )

About the Supreme Court’s ruling:

To my supporters and related parties

Today, the Supreme Court ruled on my vagina art case.  The result was disappointing: my appeal was rejected.  I was found innocent in 2017 regarding the exhibition of my work, but I was convinced that the rest of the charges, for distribution of data, would also be transformed to “Innocent”.  So, I do not agree with the result.

This all began because I wondered “Why are female genitalia considered obscene and taboo?”, and in order to overturn its image, have been making cute, funny works.  During my trial I argued: “The female genitals that are part of my body should not be judged obscene.”  I have challenged the police and the judiciary who tried to deprive me of the freedom to express things with my body as a motif.

However the Supreme Court seems unable to escape from the old-fashioned value standard of “obscenity because it is a female genitalia”.

It is a strange thing that 3D data of my body is considered obscene while the deco-man, an art made from my body is not.  Although in advanced Western countries, regardless of gender, there is almost no arrest or detention for artistic expressions that use his/her genital as a motif, I think it is a very anachronistic judgment in 2020. I am sorry that the cooperation and efforts of the lawyers and supporters who have helped me so far have not been fully realized.

However, I still dare to call this judgment a “historical judgment.”

It is extremely rare for the Supreme Court to rule on Article 175 of the Penal Code.  In such a situation, although all my charges have not been acquitted, the appeals court confirmed that the deco-man’s work exhibition was acquitted.  Therefore my case should remain in the history of obscene trials in Japan.

Often the person who has been subject to arrest and trial may be defeated afterwards.  However I am full of freshness and motivation to create.  Before I was arrested twice in 2014, I was leading kind of a halfway life, but due to severe police interrogation in prison, my spirit and patience were greatly and paradoxically improved, and I realized the importance of freedom of expression. I was blessed with a good husband and child as a result of the coverage of my arrest spreading overseas.

When I made this experience into a cartoon “What is Obscenity? The Story of a Good for Nothing Artist and Her Pussy?”, English, French, and Spanish translations were published.  So I was able to show my works to the world. In addition, the Swiss director’s documentary film “#Female Pleasure”, which selected me as one of the “Five Women in the World” and documented my activities, won the Premio Zonta Club Locarno at the Locarno Film Festival 2018 and has been shown in many countries.

When I made a 3D printed vagina kayak, I myself didn’t have that skill and needed help.  I wanted to master it, so I started studying and as a result, I was able to acquire the skills of 3D technology before the age of 50. My new works will be on display until July 22 at “BURST Generation: Death and SEX” exhibition, which is being held at Shinjuku Ophthalmologist(Ganka) Gallery, so please come visit.

Although it was a misdemeanor only punishable by a fine, I was unreasonably detained in jail for a long time, so at first I had a grudge against the police.  But I am thankfult o them now for giving me an experience that I would not have had if I were living a normal life.  The reason I started to create my vagina art seriously was that I received a large amount of slanders and bashings on a certain internet bulletin board.   I have found that I really like to resist the unreasonable pressure of powers, organizations and groups that try to hold people down.  Doing this has become my life work.

So I will continue to work creatively and announce new works. Furthermore, in the process leading up to the Supreme Court’s decision, a lot of happiness came in. In that sense as well, I feel proud that this judgment is a “historical judgment.”

Therefore, as a small thank-you to all the supporters, I created 3D Manko-chan data. You can enjoy it by downloading from the following URL. Please accept my gift.  
https://bit.ly/2W9AD2K https://bit.ly/2W9AD2K (*Valid until August 15)

わたしの最高裁判決につきまして

支援者ならびに関係者の皆様

本日、わたしの女性器アート事件の最高裁の判決がおりました。結果は、わたしの上告棄却という、残念なものとなりました。控訴審の東京高等裁判所にて、作品展示に関しては無罪判決が確定していたものの、残りの罪状についても、当然、無罪であると信じておりましたので、納得がいきません。


わたしは、「女性器はなぜ、卑猥なものとされ、タブーとされるのか?」と疑問を持ち、そんな女性器のイメージを覆すべく、かわいく、面白く、笑えるような作品作りをして参りました。そして、裁判では「わたしの体の一部である女性器は、当然にわいせつであると判定されるべきではない」と主張し、わたしの体をモチーフにした物をわたし自身が表現する自由を奪う警察や司法に対し、異議を申し立てて来ました。しかし、最高裁は、結局「女性器だからわいせつ」という、従来の古臭い価値基準から全く抜け出せなかった様です。
わたしは、単に「女性器の3Dデータをやみくもに頒布したい」のではなく、プロジェクトアートの一環として頒布したのであり、全体を通してわいせつ性があるかどうかを判断して欲しいと願いましたが、それすらも叶いませんでした。
わたしの体を元にして作ったアート(デコまん)は無罪でありながら、わたしのこの体(3Dデータ)がわいせつとされるのは、なんとも奇妙な話ですし、先進欧米諸国では、男女問わず、性器をモチーフにしたアート表現で逮捕勾留されることなど殆どないのに、2020年にもなって、非常に時代錯誤な判決だと思います。ここまで支えて下さった弁護団の先生方や支援者の皆様のご協力や努力が、完全には実らなかった事に、申し訳なさで一杯です。


しかしながら、わたしは、敢えてこの判決を「歴史的判決」であると申します。
刑法175条について最高裁で判決が出る事例は非常に珍しい事で、そんな中、全てについて、無罪は勝ち取れなかったものの、控訴審では、デコまん作品展示について無罪が確定しましたので、わたしの事件は日本のわいせつ裁判の歴史に必ず残る事でしょう。
また、普通なら、逮捕された人はその後の活動も萎縮してしまうものかもしれませんが、わたしは今、初心に返った様な清々しさと創作意欲でみなぎっております。2014年の二度の逮捕以前はどこか中途半端に生きて来たわたしでしたが、塀の中での厳しい警察の尋問によって精神や忍耐力が大いに鍛えられ、表現の自由の大切さも身をもって実感することができました。逮捕の報道が海外に及んだ事で、良き伴侶や子宝にも恵まれました。
この体験を「ワイセツって何ですか?」という漫画にしたところ、英語訳、フランス語訳、スペイン語訳本が出版され、世界に作品を発表する事ができました。さらに、「世界の闘う5人の女性」の一人として、わたしの活動を取り上げた、スイス人監督によるドキュメンタリー映画「Female Pleasure」は、ロカルノ映画祭でThe Premio Zonta Club Locarno 2018 を受賞しました。
3Dデータで女性器のボートを作った際は、わたし自身にはその技術がなかったものの、せっかくだからマスターしたいと思って勉強を初め、50歳を前にして、3D技術のスキルを身につけることも出来ました。その新作は、新宿眼科画廊というギャラリーで開催中の「バーストジェネレーション:死とSEX展」にて7月22日まで展示予定ですので、よろしければ遊びにいらしてください。
警察には、本来なら罰金刑で済むはずの軽罪なのに、不当に身柄を長期勾留された為、当初は恨む気持ちもありましたが、普通に生きていたら滅多にできない経験をわたしに与えてくれたという意味で、今は感謝しております。わたしがこのアートを真剣に始めたきっかけも、誹謗中傷やバッシングを某インターネット掲示板で大量に受けたからなのですが、仮に無罪になれば、嬉しい反面、わたしが闘うものが全くなくなってしまいます。わたしは、個人を押さえつける権力や組織や集団の圧力の理不尽さに、作品を通して抗う事が、本当に好きなのだと思います。もはやライフワークなのです。


そんな訳で、わたしは活動を自粛することなく、今後も新作発表など創作活動にますます勤しむ所存ですし、今回の判決に至る過程において、幸せな事が沢山舞い込みました為、そういう意味でも、わたしにとって今回の判決は「歴史的判決」であると自負いたします。


つきましては、支援者の皆様へのささやかなお礼として、3Dまんこちゃんデータを制作しました。下記URLからダウンロードしてお楽しみいただく事ができます。どうぞご笑納ください。
https://bit.ly/2W9AD2Khttps://bit.ly/2W9AD2K(*8月15日まで有効)


2020年7月16日    ろくでなし子こと五十嵐恵

黒人殺人事件への抗議デモに対する日本的な考え方と海外の人の考え方の違いについて。そして改めて言いたいこと。

世界的にもコロナウィルス新規感染者が減少傾向の中、アメリカでは、警官の黒人差別により命を落とされた男性に対する抗議のデモ”Black Lives Matter”が盛んとなって、その火種が世界中に波及しています。黒人差別に人々が立ち上がるのは当然の事ですが、暴動が過激になり、ナイキやアップルストア等のお店を襲撃したり、建物や車に放火する人達まで出ています。トランプ大統領は、その様な行為はANTIFAを名乗る反体制運動家達が主導しているとして、彼らをテロリスト認定しました。

しかし、それら犯罪行為はトランプ支持の白人至上主義者がなりすましているor扇動している、という説もあり、一体何が真実なのか、アメリカから遠く離れた場所に住むわたしには、よく分かりません。

ANTIFAを名乗るtwitterアカウントが白人至上主義者のなりすましだった事がtwitter社の調査で明らかにはなったものの、フォロワーがわずか数百人のアカウントの為、そんなアカウントがそこまで影響力があったのか、少々疑問です。また、実際にお店を襲撃している人達の映像を見ていても、白人も有色人種の人も、人種を問わず物を破壊し商品を盗んでいる様子です。また数年前より、日本でANTIFAを名乗る人達から、単なる意見の違いなだけで、わたしはレイシスト呼ばわりされたり嫌がらせを散々受けたので、ANTIFAに良いイメージが正直ありません。

それと、わたしは人種差別には当然反対ではありますが、ダブリンの自宅がアメリカ大使館の近くですし、もしもマンがいち、黒人差別の名の元に、自宅近くに火を放たれたり襲撃されたらとても恐ろしいです。

デモには賛成ですが、略奪や暴力行為などの犯罪には反対です

しかし、それを言うと、「黒人差別はそんな小さな犯罪などより重要だ!」「正義の為なら小さな犠牲は仕方ないんだ!」と怒る人や、わたしを「差別主義者!」と決めつける人達(特に英語圏の人や、海外在住の日本人)までいて、twitter で攻撃してくるのです。繰り返しますが、

①人種差別で黒人が公権力に殺されたことは重大な問題だから、デモに賛成。

②わたし含め、第三者の財産や生命が不当に危険に曝される状況には反対。

わたしには①と②の2つの考えが共存できるのですが、なぜかこれが理解できない人達が多く、①を言っているにも関わらず、②を言うと攻撃されるのが凄く理不尽でした。

なぜ彼らはそう極端なのか?

この疑問が、友人との話をきっかけに、少し見えて来たので、わたしの考えを述べたいと思います。端的にいうと、日本と海外のデモの歴史や文化やその認識のされ方の違い、治安や警察に倒する信頼度の違いではないかと思いました。

例えば日本では、1970年代に学生運動が盛んになりましたが、過激に先鋭化した運動家達が山に篭ってリンチ殺人しあい、人質をとって山荘に立て篭り、社会的な悪の象徴になりました。1990年代はオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、「反社会的な人達は過激化すると恐ろしい」というイメージがより強くなったと思います。加えて、日本はとても治安がよくて、デモで掠奪されたり放火される事が、他国より非日常的すぎるのだと思います。

2年前にも、デモではなくて、ハロウィンで渋谷に集まった若者達が大騒ぎをしましたが、治安がよろしくない海外なら日常的すぎて逮捕もされないでしょうが、日本では実名公表で見せしめのように逮捕されました。群衆の中で軽トラックを倒したというたったそれだけの事で、まだ若い彼らは、残念ながら、まともに就職もできないでしょうから、社会的に抹殺されたも同然です。しかし日本人は何よりも治安を大事に考える為、もしもデモで略奪や放火などがあれば、それをした方が社会的に制裁を受けるのです。

また、他国では警察とマフィアがズブズブだったり、通報しても助けてくれないとか、捜査もしないとか、警察が腐敗していて信頼度に欠ける面があるのに対し、日本の警視庁は(まんこアートした女はなぜか逮捕はしても)あからさまな腐敗やギャングとの癒着もなく、捜査能力が高く、庶民からの信頼が基本的に高いのも関係してそうです。

70年代の学生運動の失敗や、オウム真理教のテロ行為という負の歴史が根深くありつつ、日頃から治安が良くて警察への信頼も厚く、子供の頃から「他人様に迷惑をかけてはならない」と教えこまれ、掠奪や放火が起きたと聞けば恐ろしい人達だと認識しやすい日本人と、治安が良いとは言えずデモが頻繁な文化の国では、やっぱりデモに対する考え方の前提が違うのではないかと思います。

追記になりますが、米国に住んでいた知人の方の話で気づいた事を書きます。彼女がトイレにお気に入りのポーチを置き忘れて1分も経たない間に盗まれて、それを教師に伝えたところ、「盗む人にも事情がある。あなたも大事な物なら自衛をしっかりしなさい」と逆に説教されたそうです。また、強盗にあって警察を呼んでも、形式で調書はとっても「多分、犯人は捕まらないし、盗品も返ってこない」と言われるそうなのです。米国では、「犯罪する側にも貧困などの様々な事情があるし、被害者にも自衛の責任がある」という考え方の様です。

日本人は「どんなに事情があっても罪は罪」だし、「他人様に迷惑をかけてはならない」し、「犯罪者は悪」という認識が強い為、この米国的な考え方を理解するのは難しいでしょう。

とはいえ、何で彼らはそう思うのかが分からなかった頃よりも、違和感や不快さはなくなりました。「犯罪に対する考え方の違い」なのだから仕方ないと思えますし、だからこそ、どちらが民度が高いとか低いと比べる話でもない事は自明です。

それら違いを踏まえた上で、わたしは改めて、人種差別で黒人が公権力に殺されたことは重大な問題なので、デモには賛成ですが、わたし含め、第三者の財産や生命が不当に危険に曝される状況には反対です。だって、自分のお店や住居が襲撃されたら嫌ですし、それを「小さな犠牲は仕方ないんだ」とか言われたら、今度はそう言った人達やデモをする人達に対してわたしは怒りが芽生えると思います。黒人差別に比べたらどんなに些細なことであっても、誰かが傷付いたり損害を被るのはおかしいし、それがまた新たな憎悪となり、争いや差別はなくなりません。不毛な怒りの連鎖は断ち切るべきです

抗議目的のデモと、略奪行為や放火など(犯罪)は、はっきり分けて考えるべきではないでしょうか。

Black Lives Matterでは、アメリカの国旗を車にひかせるようなデモ行為もありましたが、わたしは、やはり、何かを汚したり踏んづけたり破壊したり焼いたりする表現は苦手だし、好きではありません。表現の自由だから一切止めませんが、わたしは自分の作品でも、憎い相手の警察も、可愛く楽しく表現したいです。

差別は誰の心にもある物なので、根絶は難しいと思いますが、少しでもそれらが減り、世界中の全ての人が平和に楽しく幸せに暮らせる事を願います。