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それでもわたしがフェミニストを名乗り続ける理由 (「#私たちのフェミニズム」を何がなんでもみんなで語らせようとしない閉塞したフェミニスト達に思う事オマケ)

昨日のブログでは、ハフポストでの髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの炎上について、思うところを書きました。
わたしは、多くのフェミニスト達が怒る理由について、ひろゆきさんが「女は男より生きやすい」と受け止めているところにのみ焦点を当て過ぎましたが、彼らの怒りはそこだけではない事と、またそれについては、わたしが以前からフェミニストを名乗る事にこだわり続ける理由にも関わってくる為、丁度いい機会なのでオマケとして追記したいと思います。

さて、ひろゆきさんはコラムの中で、要約すると以下の様に語っておられました。

“問題なのは、フェミニストには、「男女平等がいいよね、同じようにしたいよね」という平等主義者と、「女性の権利を増やしたい、そのために男性の権利を制限したとしてもいい」という差別主義者が両方いて、なのに同じ「フェミニスト」を名乗る為、二つがごちゃ混ぜになる、だから切り分けるか、どちら側も「フェミニズム」「フェミニスト」という言葉を使わずに「違うものだ」と言った方が、世の中に理解されやすいのでは?”

この考えにも猛反発する人達がいて、昨日からひろゆきさんの事を「sexist」だと決め付ける意味不明な人までいます。
わたしは、ひろゆきさんの、『フェミニズムやフェミニストという言葉を使わない方が良い』という結論には反対ですが、それ以外の事はほぼ事実なので同意します。
これにお怒りの人達は、自分達が差別主義者だという自覚があったのでしょう、実に素直な人達だと思いました。(彼らは、胸の大きな女性漫画キャラクター「宇崎ちゃん」を起用した献血ポスターが炎上した件について、ひろゆきさんの『「私が気持ち悪くない程度」という主観になってしまっている人が多い』という意見にも強い抵抗を感じている様です。)

実際フェミニストの中には、大雑把に分けると「男女平等を唱えるなら、女性と同じく男性の権利も対等に尊重しようとする人」と、「女性の権利を最優先し、男性や性的なものを嫌悪する人」がいて、主に後者は萌え絵や性的な表現物の規制を主張しています。
Twitterでは、数年前から後者の声の方が大きく、男女平等派のフェミニストで表現の自由を唱える人(わたし)の声はかき消されがちです。彼らの中には、男性の権利に言及しただけで「名誉男性」「ちんぽよしよし」などと罵る者もいます。
そして「フェミニスト」と言えば、残念ながら、共感や賛同以外は求めない男性嫌悪者達の拒絶と攻撃スタイルによって、かなり悪いイメージになってしまっています。

そんな中でフェミニストを名乗るメリットは、正直、全くありません。事実、わたしは長らく表現規制派と勘違いされ、表現の自由を主張する人達から「クソフェミ」と罵られて来ましたし、そうではない人達からも、「フェミ怖い」と言われ続けています。

フェミニストを名乗っていても良い事が無いから辞めよう。
そう何度も思いかけました。だけどこれ、わたしのアートのテーマである「まんこ」と同じなんですよね。
「まんこ」には、嫌らしい、汚らわしい、卑猥なイメージが染み付いてしまっていますが、わたしはそのイメージを覆す為、まんこを楽しくて、面白くて、笑える作品に変えて来ました。
過去には、まんこという名前そのものが悪いイメージだから新しい名前に変えようとする動きもあり、埼玉県の教育委員会は「おぱんぽん」、フェミニストの北沢杏子さんが「われめちゃん」と名付けたりしましたが、いずれも定着しませんでした。
名前を変えても定着しないなら、わたし一人でも言い続ける事で「こんな面白いまんこも有るんだ」と分かってもらえる様、地道にやるしか無いと思ったから、ここまで「まんこ」にこだわって来たのです。

「フェミニスト」も、その名前を捨てようと思えば簡単ですが、まんこ(女性の身体)の自由を語る時、わたしにはフェミニズムと分けて考える事はどうしてもできない。結局フェミニズムが関わって来るのです。
だったら、わたしの様なフェミニストもいたって良いし、その為にも地道に自称し続けるしかありません。
「お前なんかフェミじゃない」と男性嫌悪者のフェミニストからも言われる事もありますが、自分で名乗る以上、誰にとやかく言われる筋合いがあるのでしょう(だからわたしは、彼らも自分達をフェミニストと自称している以上、否定したくないのです)。

これがわたしがフェミニストを名乗り続ける理由です。

*髙崎さんとひろゆきさんの対談コラム後編がアップされました。そちらについても感想ブログを書きましたので、よろしければご覧ください。

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「#私たちのフェミニズム」を何がなんでもみんなで語らせようとしない閉塞したフェミニスト達に思う事

フェミニズムを扱う新しい企画の記事が、掲載初日から燃え上がっています。

#私たちのフェミニズム 」をみんなで語ろう。と言うタイトルの、その対談コラムは、ライターの髙崎順子さんが、『もっとフラットに「フェミニズム」を語る機会はないだろうか。専門家でなくても、より身近な「私ごと」として、この言葉に触れられないだろうか』と考え、そこで、『性別、年齢、立場を超えて、フェミニズムに対するそれぞれの語り手の思いをなるべくそのまま連ね』ようとする趣旨でスタートし、記念すべき第一回の対談者は、2ちゃんねるやニコニコ動画を立ち上げた西村博之(ひろゆき)さんでした。

おそらくお二人ともフランス在住の為会いやすかったのもあるかと思いますが、コラム趣旨通り、敢えてフェミニストの専門家ではない人であり、かつ、インターネットと言う情報社会で新しいコンテンツを生み出して来た第一人者であるひろゆき氏にフェミニズムについて意見を聞くのは、わたしは画期的だと思いました。なぜなら、SNSの発展で急速にフェミニストを名乗る人たちが増えた事からも、もはや個人の発言がネットとは切り離せなくなっていると思うからです。

ひろゆきさんは、ニュース記事の煽り文句にもある通り、『男女平等を実現したいのであれば、今の日本では「フェミニズム」って言葉を使わないほうがいい』と言う、フェミニストのわたしにとっては挑発的な意見で、そこについては個人的な思いがあるので賛同はしませんが、そう言う意見もあるのだと知れた事は良かったです。その他の内容についても、情報社会を見渡しているひろゆきさんの一意見として、フェミニストであるわたしは興味深く楽しく拝見しました。

しかし、このコラムが多くのフェミニストの逆鱗に触れたらしく、批判のツイートが沢山流れていました。「フェミニズムは男性に理解してもらわないと広まらないとか(中略)うんざりなんだよ。(中略)そんな交渉のテーブルにはつかないよ」と激しく拒絶するフェミニストのツイートに、何千件もイイネがつく程で、わたしは呆気に取られてしまいました。

怒っている人達は、ひろゆきさんの『僕は専業主婦の家庭で育っていて、「女の人が働かない」ことがいかにラクか見えていました』
『女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない。けど男性はイケメンでも二十歳過ぎたら仕事ができないと行き詰まる 』
と言う発言に主にお怒りの様です。

これらは単にひろゆきさんの私見であり、ひろゆきさん個人の目に写った世界です。が、中にはたったこれだけのことで「ミソジニー(女性嫌悪)だ!」と怒り狂う人もいて、毎度のことですが、なぜそうあなた達は湯沸かし器より沸騰しやすいのか、とため息をついてしまいます。一部のフェミニスト(今やネットではかなり多数派かも知れません)が、「女は男より生きづらい」とし、少しでもそうでない事を言う人を攻撃する姿をTwitterではよく見て来たので、同じフェミニストとしてわたしこそ「うんざり」する思いです。

わたしは、「男と女、どちらが生きやすいか?」と聞かれたら、「どちらにもそれぞれ違う種類の辛さと楽しみがある」としか言えませんし、「性別は関係なく、年齢やその時の状況によって意識も変わるもの」だと思います。
わたし自身、若い頃は若いだけでチヤホヤされ、就職しなくても誰にもとやかく言われず、当時は「女ってラクだな」と感じていましたが、年を重ねるごとに、BBAと呼ばれて急に低い扱いを受けたり、嫌がらせやセクハラも増え、特に低収入のフリーランスで独身時は新居を探すのも大変で、「女って生きづらい」と感じる様になりました。
さらにその後、結婚して専業主婦になったら、また意識が変わったのです。
今までの様に必死で働かなくても暖かい家でご飯を食べられ、家の中で創作活動や好きなことをしながら家族と過ごせるのは、わたしにとってとても幸せな事です。同じことを男性がしていたら、「男なのになんで働かないで家にいるの?」という世間様の圧力を感じたかもしれません。丁度今はひろゆきさんの思い出の中のお母さんと同じ立場かもしれません。
この先、もしかしたらまた状況が変わって「女って生きづらい」と思うかもしれません。結局、性別と言うよりも、個人の状況や価値観次第で変わるものなのです。

勿論、専業主婦と一口に言っても、夫が妻に協力的ではないとか、お金を入れないなど経済的に苦しめたり、言葉の暴力、実際の暴力をふるう場合もあるかもしれませんし、みんなが全てわたしの様に幸せを感じているなどとは思っておりません。経済的には自立していませんから、そこに強い不安を感じる人もいるでしょう。
ですが、現に、わたし自身は幸せで、「女であるラクさ」も感じるのは嘘ではなく、「ラクそう」に見られることの、何が一体ダメなのか、さっぱり分かりません。
女性の権利拡張や自由を目指すフェミニストなら、「生きやすい」と感じる女性が増える事こそ望むべきなのに、意味不明
です。

改めて、この対談コラムはフェミニズムの専門家ではない人達にも広く語り合える場にする事を趣旨としているので、対談相手を全く間違えてはいませんし、1話1話で必ず良い結論を出す義務もありませんから、髙崎さんに「ああしろこうしろ」と完璧さを求めるのも筋違いでしょう。
わたしは今後も、もっともっと、なんならフェミニストから嫌われているような人との対談をやって欲しいと思い、楽しみにしております。
なぜなら、わたしは、女性の権利や自由について改善したいなら、人口の半分が男性である以上、男性にも話を聞いてフェミニズムへの理解を深めるべきだと思うからです。

しかし、ほとんどのフェミニストの人達は、あいも変わらず共感や賛同しか求めず、異論や反論は拒絶していくスタイルです。わたし自身、同じフェミニストを名乗る人達から文字通り「ブロックで拒絶」されている有様です。フェミニストが頑固で偏屈で怖い人達のイメージに根付いてしまったら、結局「あの人達には触れないでおこう」と誰も相手にしないタブーな存在となり、ますます先鋭化してヤバイ人達になっていくでしょう(もう十分そうなっているみたいですが)
わたしは、フェミニストの一人として、今のフェミニストが自分達を客観視できなくなっている状況を強く危惧します。
そして、この対談コラムについても、媒体であるハフポストさんが、多くのお怒りのフェミニスト達に忖度して今後の対談相手をフェミニストが気に入りそうな相手に偏らせたり、あるいは連載自体を早々に終了する事がない様、強く望みます

(こちらで書き足りなかった話を更新しました→ それでもわたしがフェミニストを名乗り続ける理由 (「#私たちのフェミニズム」を何がなんでもみんなで語らせようとしない閉塞したフェミニスト達に思う事オマケ

胸の大きな女性を起用した広告を「性的だ」と批判するフェミニストを称する人達は、「ふしだら憲兵」に名前を変えていただきたい

それは、昨年の日本帰省事、大好きな岩井志麻子先生や、人気ライターの中川淳一郎さんなど、仲良くして下さるいつものお友達でお食事していた時の事。
その後もご予定があって途中退座しなければならない中川さんが、お金を多めに置いて行かれようとされました。その金額は、皆で割り勘にしても中川さんが払いすぎな額の為、当然他の皆はお返ししようとしましたが、気前の良い中川さんも絶対に譲らない。
そんな時、とっさにクリ出たしまんこ先生の行動が、実に艶やかでした。
「見てください!」と、いきなり上着をめくり、右側の胸を中川さんに見せるしまんこ先生。
更に、左側の胸も出し、「これ、一つ5000円ってことで、両方合わせて1万円ってことで!」

中川さんに対し、せめて何かでお礼をしたい気持ちが「おっぱい」と言う、しまんこ先生ならではのユニークさで、気まずかったその場は大笑いの渦と化し、中川さんも気持ちよく(?)お帰りになる事ができました。
なんならわたしも、「追加オプションです!」と言って、まんこをお見せしようかと思いかけましたが、流石に冗談の度が過ぎますしお店にも大迷惑になります。やはり「おっぱい」のほどほどさが丁度良く、しまんこ先生は流石だなぁと感動した出来事でした。
(このエピソードは中川さんも記事にされています。岩井志麻子氏『5時に夢中!』発言の裏側 当事者の思いは?|NEWSポストセブン)

なぜその話を思い出したかと言いますと、最近、茜さやさんという胸の大きなモデルさんのフリー素材を起用した転職広告サイトが「転職とは関係なくて不適切だ!」と、なぜかまたしてもフェミニストを称する人達がtwitterで大騒ぎしているからです。
女の「おっぱい」は、差し出す人によっては上記の様な面白エピソードにもなれば、「性的だ!」と怒られる恐ろしいモノになるのです。しかも、問題の広告画像の茜さんは着衣で、裸にもなっていません。ただ「胸がデカい」という、女性によってはごく自然な事で騒がれているのです。

批判者達の怒りは、「転職と関係ない女性の胸を強調して客を釣ろうとしている」にとどまらず、「売れてるタレントならこんな仕事はしない、このモデルは大きな仕事はもらえないはず」「やらかした」などと、茜さん本人に対して直接向けられました。
これでは、企業側も騒ぎを恐れ、今後広告で胸の大きな女性モデルの起用を避ける様になる。つまり、胸が大きな女性が職業差別にあったり、自身の体を恥じたり悪いものだと思わされる事になります。
フェミニストなら、そこは「女の胸がデカくて何が悪い!」と怒るべきところ
わたしは強い憤りと共に、非常に申し訳ない気持ちになりました。

茜さやさんご本人は、実に立派な方で、おかしな批判にも怯まず毅然と対応されている為、返ってこの機に好感度や人気が高まった様で、そこだけは幸いな事でした。
ただ、茜さんを擁護する人の中には、「彼女は単に胸が大きいとかではなくて、他の努力で頑張って来たのだ」と言う方もいましたけれど、わたしはこれにも少々疑問です。
顔が良い人やスタイルが良い人がそれらを誇示する様に、胸が大きい事をチャームポイントとしてアピールしたとして、一体何が悪いのでしょうか。
とにかく、多くの人は「性欲は悪い事」が前提で、「肉体は精神に劣る」と言う思い込みが強過ぎる様に感じます。人の見た目は努力だけでは絶対に得られないものなのに(もちろん、茜さんご自身が、「胸だけじゃない、努力でここまでやって来たのだ!」と仰るのなら別の話です)。

周知の通り、わたしはまんこのアートを作って日本の警察に「ワイセツだ」として逮捕されました。しかし、「わたしのまんこはわたしのもの」ですし、「わたしにとってはいやらしいものではありません」。
もちろん、多くの異性愛者の男性にとって、まんこは欲望の対象でしょう。しかし、それの何が悪いのでしょうか。性欲は人間に備わった自然な欲望です。本人の許可なく勝手に触ったり乱暴したなら犯罪ですが、内心でなら、誰でも何かを欲望する自由はあります。
ですから、「わたしのまんこはワイセツではないし、ワイセツで何が悪いのか!?」と警察と闘って来ました。

話を戻します。
茜さやさんの様な、胸の大きなモデルさんやその広告を非難するフェミニストを称する人達に、わたしは言いたい。
なぜあなた達は、警察がわたしにしたのと同じ事を女性にしようとするのか。
女性の体はその人のもの。他人が管理するものではありません。
人が誰かの体を見て興奮したり、それらを誘発する事がどうしても許せないなら、平等に男性アイドル、マッチョな韓流アイドル、男性タレントや俳優にも、仕事を降りていただきましょう。誰が幸せかわかりませんが。
それでも自説を曲げない方は「ふしだら憲兵」に名前を改めるべきで、フェミニストを名乗らないでいただきたい。

わたしは、フェミニストとして、おっぱいを持つ女性の一人として、しまんこ先生ほど突き抜けた笑い話に変える事はできなくても、それを皆が必要以上に怒ったり不安になったり怖がったりしない世界を強く望みます。

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今、フェミニズムに興味がある人全てに伝えたい。あなたの本音を自由に語ると「名誉男性」と攻撃されるなら、それはフェミニズムを盾にしたカルトです

将来は仕事でもフェミニストとして活躍したいと言っていた15歳の華のJK(本人自称)フェミニストのPさんが、嫌がらせによりTwitterから去ってしまいました。

Pさんはつい最近、フェミニストとの対談を希望する男性配信者達の企画に出演が決まり(後にその企画は無くなりました)話題となった人でした。
当初、多くの人達は「ミソジニストがJKをいじめたいだけだ」「音声が残って怖いよ」と、Pさんの出演を止めようと躍起になっていましたが、Pさん自ら出演を希望して名乗り出た事が分かると「ミソジニストに擦り寄る名誉男性」と、一部の過激なフェミニストがPさんをバッシングし始めました。(その騒動に関して思った事は過去ブログに書きましたので良かったらご覧ください

あらゆる方向から非難の声が上がる炎上は、おそらく初めての体験だったと思いますが、怯えて鍵をかけたり、あるいは逆上するわけでもなく、冷静かつ丁寧に対応していたPさんは、とても立派でした。
かく言うわたしも、何度も炎上体験しており、今では屁でもない事ですが、初めてそれを受けた時は動揺し、心の余裕もなく、自分も相手を傷つける言葉を投げ返してしまったものです。
ですから、わたしはフェミニストの一人として、立派なPさんを尊敬し、Pさんの今後の更なるご活躍を楽しみにしておりました。

ところが、そんなPさんへのトンチンカンな批判は止まず、一昨日ついに、フェミニストを名乗る匿名アカウント(ネカマと思われる)に身元を特定されそうになり、残念ながらTwitter を去りますと言い残し、Pさんのアカウントは見れなくなってしまいました。
Pさんは 「Twitterを辞めても現実世界で将来はフェミニストとして必ず活躍します」とツイートされていたのがせめてもの救いですが、たとえ直接の原因がネカマの嫌がらせであっても、仮にもフェミニストを名乗る者達がPさんを集中攻撃し、精神的に追い込み、結果的にネカマを呼び寄せ、Pさんを Twitter言論の場から追いやった事実は重く受け止めるべき事で、同じフェミニストとして、非常に情けなく、申し訳ない気持ちです。

Pさんを追い詰める様なフェミニストを称する人達には、わたしもよく「名誉男性」と言われ、揶揄されています。男性や男性の性欲を嫌悪し、萌え絵などを環境型セクハラと言い、表現の自由を認めない彼らにとって、「『男女平等』であるならば、男性の権利も当然尊重すべき」であり「表現の自由を強く主張」するわたしは許せない存在なのでしょう。Pさんもその様なターゲットの一人でした。
とにかく、彼らにとって気に入らない人は全て「名誉男性」で、彼らに従わない人間は敵であり、悪であり、仲間に分かる様に見せながら罪悪感を与えようとして来ます。それはカルトが信者の結びつきを強固にする手口とよく似ています。

とはいえ残念ながら、この手の人達はいなくならないでしょう。
わたしも多様な社会を目指す者として、自分とは相容れない意見の人達を排除すべきでないと思うし、本人がフェミニストだと言っている以上否定する訳にもいきません。
しかし、この様な人達のお揚げでフェミニズムがどんどん荒らされ、誤解され、本来の意味でのフェミニストまでが追い払われて行く事態には、わたしはもう我慢がなりません。

今、フェミニズムに興味を持った人全てに伝えたい事があります。
フェミニズムとは、男女の性差を超え、権利や選択の自由を増やそうという思想です。あなたがどんな考えを持ち、どんな発言をしても、言論の場においては自由なはずです。それなのに、「名誉男性」などと言い、あなたが本音を発信すると攻撃してくる人がいたら、それはフェミニズムを盾にしたカルトです。
一切、聞く耳を持つ必要はありません。

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日本を安易に「変態ロリコン大国」とバカにして悪い国だとサゲたがる人に思う事

新年明けましておめことうございます。
アイルランドに住むわたしも、今年はお餅も手に入れ、正月らしさをマン喫しながら過ごしています。

さて、新しい年が始まろうとする大晦日の夜でも、twitterではわたしのつぶやきに物申したい人で賑わっておりました。話題は「日本の治安の良さ」についてです。

日本では、萌え絵アニメポスターが街中至るところにあり、いかがわしい表紙の雑誌がコンビニで平気で売られ、フェミニストは「女性や子供への性的搾取だ!環境型セクハラだ!」と叫び、海外メディアからは変態ロリコン大国とバカにされがちです。最近も、2019年の世界のジェンダーギャップ指数は121位と最低ランクだったと嘆く声が上がりました。
わたしも日本に住んでいた時は、日本って民度低いな、欧米はその点進んでいて良いなと思っておりました。

ところが、欧州に住み子育てしてみて、わたしは気づいたのです。

日本って、これだけいかがわしい物が溢れているはずなのに、なんでめちゃくちゃ治安が良いのかと。

日本の子供達は、学校に行く際も保護者の同伴は義務ではなく、たった一人か子供だけの集団登校が一般的。子供だけで公園で遊ばせたり、お使いに行かせる親も普通にいます。
海外では、いかなる時でも子供には保護者が同伴するのが当たり前。たとえ世界の大使館が並ぶ治安の良いエリアであっても、何かぶつぶつ言ってる酔っ払い、薬中の様な人、変質者はフラフラしてますし、スリ、置き引き、強盗は日常的で、犯罪と隣り合わせだからです。
この感覚が当たり前になってしまうと、わたし自身が子供の時にたった一人でも外に遊びに行き、たった一人でも暗い道を歩いて帰っていたのを思い出すだけでゾッとします。
試しに、日本の犯罪発生率をググってみたところ、2016年のUNODC調べでは、世界195位中193位と、やはり統計上でも素晴らしく治安の良い国でした。
わたしが子供だった40年前に比べれば、現在の日本の親達はもう少し危機感はあると思いますが、それでも、いまだに子供の送り迎えに保護者同伴義務もなく、子供を一人でお留守番させてもネグレクトで保護者が通報されることのない日本において、この治安の良さは驚異です。
本当に変態ロリコン大国なら、大人が子供をここまで放っておけるわけがありません。むしろ、実際の児童への性犯罪率は海外の方が圧倒的に高いのに、日本をバカにする海外メディアに腹が立って来ます。

こう呟いたところ、「日本はちょっとでも目を離すと公園で子供がトイレでいたずらされる事件もあるんだ!」「うちの近所では子供を殺すぞと脅す人がいて怖くてお年寄りがボランティアでパトロールしてるんだ!」と言う方達が来ましたが、海外では「ちょっとでも目を離す」なんてとんでもない事で、「片時も目を離せません」し、その様な状況でもお年寄りのボランティアに頼るだけで済ませる方がおかしな事です。

「いや、日本では性犯罪が起きても被害者が声を上げづらいから、犯罪率にカウントされないんだ!」と言う方もいましたが、もしそうなら、欧米先進国でMeTooムーブメントが起きた事の説明がつきませんし、世界中のカトリック教会の聖職者達が長らく児童に性虐待をしていた事実がひた隠しにされ続けていた事が最近ようやく明るみになった事からも、「日本に限る」話ではないのです。ちなみにわたしが出演している女性差別問題をテーマにしたドキュメンタリー映画「Female Pleasure」では、聖職者からの性虐待を幼少時から受けていた事を告発したドイツ人作家のドリス・ワグナーさんも共演されていますが、彼女の告発は教会に揉み消され、裁判を起こしても国に棄却され、それでも今も闘い続けています。(ちなみにジェンダーギャップ指数第10位の先進国の女性です)

残念ながら、「性犯罪者や変質者はどの国にもいる」し、「性被害者が被害を告発しづらいのも人種や国は関係ない」事です。それでも、最近はSNSの発展もあり、被害者個人が声を上げやすくなりました。日本でも、広河隆一と言う鬼畜ジャーナリストが社会的に制裁され、レイプ被害を実名告発する女性も(バッシングは多いけれど)現れています。社会は少しづつですが、確実に良くなって来ています。
そのうえ更に、子供をここまで自由にさせてなお犯罪発生率が低い日本はそれだけ治安が良いと言う事を、皆んなもっと褒め称え合い誇りにすべきではないでしょうか。
もちろん、油断はなりませんから、保護者が子供に付き添える環境をどんどん整えて行けば、さらに日本は子供への性犯罪率を抑える事が可能でしょう。だけど萌え絵やいかがわしい雑誌の規制は全くトンチンカンな話です。

と言う事で、せっかく1年の始まりのおめでたい時期ですし、日本はどうしても悪い国だとサゲたがる人達や、何でも「日本の男(キモいおじさんとオタクに限る)が悪い!」と言いたがるフェミニストの皆さんも、街中にいかがわしい物が溢れてなくてもジェンダーギャップ指数が上位でも犯罪と隣合わせな欧米先進国に比べれば、治安の良い安全な国に住んでいると言う良い面にも、是非目を向けてはいかがでしょう

自分が住んでいる国を呪いながら住み続けるのは、あまり幸せじゃないと思うのです。

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華のJK・Pさんと男性配信者達がフェミニズムを考える討論会の中止騒動について思う事

数日前、某男性生配信者達がフェミニズムについて考える討論生配信のゲストに15歳のフェミニストを呼ぼうとした事がTwitterで騒動となりました。

「ミソジニストが JKを引っ張りだして、許せない」「身元を晒そうとする人がいて危険だ」「音声が残って怖いからやめろ」と危惧する意見(特にフェミニスト達)が多数で、結局、「15歳以下の未成年は法律上21時以降の仕事はできない」「親の承諾が無い」などが理由で、その”華のJK(ご本人が称されているので敢えて使います)”Pさんの出演は無くなった様です。

わたしはその頃、Vagina Museumや、映画「Female Pleasure」の試写会でロンドンにいてTwittrerを追っておらず、どなたが配信されるのかも知らず、TLに流れて来た情報だけ見て何となく大多数の人と同じ気持ちになっていました。

ところが、Pさんのツイートを見たところ、これは「本人自らの応募」で、無理やり引っ張り出された訳ではない事や、配信者側も彼女を尊重して出演の際の条件などきちんと話し合いがなされていた事が分かりました。
まるで「10代の女の子は弱くて意志がない」かの様に無意識に思っていた自分の偏見に、わたしは気づきました
配信者のツイートも確認しましたが、その内のお一人は多少軽率な発言をしている様にも見えましたが、そこまであからさまなミソジニストの様にも思えませんでした。
むしろ、フェミニズムに無縁そうな男性がそれについて考えてくれるのなら良い機会ではないかと思います(フェミニズムを知らない、興味がない人にこそ、届かないと意味がないと思うからです)。

Pさんの書く文章からも真摯な考えが伝わりました。
これだけ聡明でしっかりと意見を持つ華のJKなら、何の問題もなく大人と対等に討論できるはず(もちろん21時以降の出演は法律で禁止されているのでNGですが)。
なのに、必ず加害されるかの様に過剰に心配し、危険だ危険だと騒いで辞めさせた人達は、Pさんの主体性を本当に尊重しているのか疑問です。特にフェミストを自称している人達は、Pさんが華のJKだからと一段低く見ていないでしょうか。更にその上、Pさんが自らの意志で男性との討論に応募した事が気に入らないのか、「名誉男性」と決めつけて罵るフェミニストまでいたと知り、驚き呆れ果てています。
むしろTwitterではその様にすぐ罵詈雑言を投げる大人が多い中、冷静に意見を述べることができるPさんを大人が対等に扱わないのは失礼だし、Pさんのやりたい事を奪っては、本末転倒です。

わたしは子供の頃から、何か新しい事をしようとすると、大人から「まだ早い」「何かあったら怖いからやめておけ」と言ってやらせなくさせられる事にウンザリしてきました。
そういう人は「良い事をした」と思っているけれど、わたしからしたら貴重な経験を奪い取る余計なお世話な人達です。
Pさんの出演の件で大人がすべき事は、「身元探す人がいて怖いよ」と脅すのではなく、おもしろ半分に身元を探る輩を徹底的に糾弾し、Pさんのやりたい事ができる様にその道を整えてあげる事ではないでしょうか。

Pさんは本当に良くできたお嬢さんの様で、わたしなら余計なお世話だと思うそれら大人の説教にも、「普段心配されることがなかったから嬉しいです」とツイートされていました。
ご本人が嬉しいなら、わたしがこれ以上言うことはありません。
ただ、何だか最近のフェミニスト達は、女性(特に若い女性)といえば即、「被害者・弱い存在」という思い込みが過ぎる様に思います。(わたしですらPさんに対してそう思い込んでいました)
性虐待やセクハラはもちろん撲滅すべきだし、MeTooもムーブメントになりましたが、世界の全ての女性が弱い存在とは限りません。

冷たい様ですが、フェミニストはかわいそうな人を慰めてあげる「被害者の会」の人ではないと思います。誰も守ってくれない時にこそ、その人が自力で立てる様にしなければ意味がありません。喩えるなら、お腹が空いている人にその時だけ美味しいご飯を作ってあげるのでなく、ご飯の作り方や材料を買うお金を得る知識を得る、そのツールがフェミニズムです。

このブログを書きながら、かつて藝大で上野千鶴子先生と討論会をさせていただいた事を思い出しました。
上野先生は、わたしのアートについて「性的な表現をして後で後悔しても取り返しがつかない」などと仰いました。先生のお弟子さん達には、自分の過去を後悔する人が多いのでしょうか。わたしという女性を低く見てかわいそうがりたかったのかもしれませんが、わたしは覚悟を持って制作し、だからこそ、今も国と裁判でワイセツについて争っている。
そういうわたしに対して「後で後悔するかも」と言うのは失礼だなと思いました。

わたしは「男女平等」をモットーにするフェミニストとして、性別や年齢や活動内容に関係なく、あらゆる人間と対等でありたいですし、15歳のPさんの語るフェミニズムと、それについて考える一般の男性との討論を視聴したかったので、とても残念です。

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Vagina Museumに遊びに行って来ました

さて、昨夜はせっかく映画「Female Pleasure」ロンドン試写会に招待されましたので、この機に、話題のカムデンタウンにあるVagina Museumにもお邪魔んこして来ました。

Vagina Museumの代表フローレンスさんには、この美術館のクラウドファンドに作品提供の依頼を受けていたわたし。その為に新しいデコまんを作り、支援者へのリターンとして提供しましたが、実際に現地に伺うのは初めてでした。

美術館と言っても、カムデンタウン内の出店舗の一角で、おしゃれな画廊と言う方がふさわしい佇まい。

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入って右側の部屋は、まんこのアクセサリーなど、おしゃれなお土産コーナーでしたが、肝心の展示はというと、簡素なパネルばかりで、一見、まんこが足りない感じがしました。
改めて観ると、今期は「世界のまんこに対する偏見を集めた展示」で、世界各地のまんこ偏見やおかしな風習が、その事例と共にパネルで説明されており、興味深い内容でした。
まんこミュージアムというと、つい日本人のわたしは秘宝館の様な物を想像しがちでしたが、ここは、まんこ持ちの女性が立ち上げた、ありのままのまんこ知識を高める場所なのです。
残念ながら、男性が期待する様なエロ要素は全くありませんので、あしからず(^^)

例えば、インドでは性教育がちょっとおかしくて、教科書なのに「真のまんこ」はビラビラや色や形はこんな風だとか、「偽のまんこ」はこんな風だ、などど偏見に満ちた事例を紹介していたりするのも、この展示で知り驚きました。
カーマスートラが生まれた国なのに、一方で性嫌悪する。
まるで、神話の世界では性がおおらかに語られて江戸時代には春画も華やいだのに、まんこをアートにすると逮捕される日本みたいですね。

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その他、「生理は汚い」「お湯の中でセックスすると妊娠しない」「オーガズムがないと妊娠しない」etc…と明らかに間違った世界のまんこ偏見や風習についての展示や、ケミカルで体に良くない女性器専用洗浄剤の説明など、まんこ持ちの女性だけでなく、男性にも一緒に見て知識を得て欲しい展示内容でした。(わたしは夫と観覧しました)

観覧後はフローレンスさんとキュレーターのセーラさんとお話しして、今後はわたしのまんこちゃんソフビ販売や本の販売もお願いする予定となりました。
ゆくゆくは、まんこのボートもこちらで展示させて頂けたらいいなと思っております。

ところで、フローレンスさんは最近日本で物議を醸していた生理バッジの件や「生理ちゃん」もご存知でした。流石、まんこに意識高い。

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ドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のロンドンプレミア試写会に行って来ました

昨夜は、わたしが出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のプレミア試写がロンドンの小さな映画館で催されました。

Female Pleasure」は、監督のBarbara Millerさんが世界の女性差別と闘う5人の女性を撮影し、その実話を描いたドキュメンタリーです。
FGM(アフリカに今も残る女性器の陰核を切除する風習)を実際に受け、その非道な風習の根絶運動をしているドクターLeyla Husseinさん、
子供の頃からカトリックの聖職者に長らく性虐待された事実を勇気を出して告発した作家のDoris Wagnerさん、
(カーマスートラが生まれた国なのに)性教育はタブーとされ、親が決めた相手としか結婚してはならない古い慣習が今でも残るインドで、性教育や自由恋愛、自由意志での結婚運動を推し進める活動家のVithika Yadavさん、
ユダヤ教徒の厳しいコミュニティから脱会し、女性差別的な慣習を告発した作家のDeborah Feldmanさん、
そんな錚々たる女性達と共に、うっかりわたしも紹介されております。

Female Pleasureは、直訳すると「女性の喜び」です。わたし達5人は、本来は自分の喜びであるはずの体や性の自由を、男性や他者から奪われた事に対して闘っています
まんこアートを本格的に始めた当初はもちろん理解者はほとんどおらず、逮捕までされ、わたしはずっと孤独だと思っていましたが、この映画のおかげで「わたしは独りじゃなかった。」と勇気を得る事が出来ました。
また、撮影が終わって間もなくして、MeTooムーブメントが世界に湧き上がったのも功を奏し、ロカルノ映画祭では数々の作品賞を受賞しました。
まさか、まんこで捕まった数年後に、ロカルノ映画祭のレッドカーペットを歩く事になるとは夢にも思わず、無駄に感じ悪い弁護士には「焼け太り」と言われております。

この映画はスイスやドイツでは大ヒットしており、この度、イギリスにも上陸しました。
日本でもいつか上映される事を期待したいです。

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【これからのフェミニズムを考える白熱討論会 – 石川優実×青識亜論(せいしきあろん)】に登壇した石川さんに伝えたい事

「フェミニストって、討論会に誘っても絶対来ないんだよな」

今から5年前、わたしのまんこアート逮捕時に弁護団の一員となり、その後も無罪を勝ちとる事に貢献して下さった山口貴士弁護士が、無駄に感じ悪くこう言っていました(わたしの裁判は有罪部分のみ、現在も最高裁で係争中です)。

フェミニストは男女格差をなくそうと活動する人です。当然、反対論者との討論会には積極的に参加するものと思っていたわたしは驚きました。本当に社会を変えたいなら敵対者や無理解な人達にこそ我々フェミニストの主張を理解してもらわないと進展しないでしょう。社会の半数は男性で構成されているのを考えれば分かる事です。
しかし残念ながら、確かに山口先生の言う通り、フェミニストを名乗る学者や知識人達が、特に表現規制に反対する人達との討論会には頑なに拒否して参加しないパターンを、その後もよく見かけました

ですから、青識亜論(せいしきあろん)さんという表現の自由主義の方が、「KuToo」運動を興したフェミニストの石川優実さんとの討論をTwitter上で呼びかけていた時も、あまり期待していませんでしたが、石川さんが承諾した事で、わたしは俄然、この討論会を注目し始めました。

同じフェミニストでも、わたしは表現の自由主義者。週刊誌のグラビアや萌え絵ポスターのゾーニングを主張する石川さんとは意見が真っ向対立しますが、「フェミニストを名乗る人が討論会に参加する」と言う、よく考えれば当たり前の話でもなかなか実現しなかった事が叶うのは素晴らしいことです。
残念ながら、現在は日本に住んでいない為、直接討論会を見に行くことは出来ませんが、Twitterで討論の様子がツイートされるのを楽しみに待ちました。

わたしは石川優実さんにはなぜかブロックされていて、氏のタイムラインを見れませんが、よく反対論者とのやりとりがTwiterで流れてくるのを見ていても、主張がコロコロ変わりやすくて一貫性に乏しく、場当たりで意見を述べる人の様に推測できるので、理詰めで話をするタイプの青識さんとは全く合いそうにないのは確かでした。
でも、アイドルと学者が対談してエンターテイメントとして面白くなるNHKの番組もよくありましたし、わたしはその化学反応まで含めて、本当に楽しみだったのです。

そして案の定、討論会が始まってから、石川さんの知識不足や主張の論理性のなさを指摘する参加者のツイートや、途中で石川さんが変なことを言って嘲笑されていたようなツイートまで見かけましたが、参加者の多くが議論好きの表現の自由主義者ばかりの中、たった独りでも討論会に参加した石川さんの真摯な姿勢に好感を寄せる人が多かった様で、
「石川さんの主張には反対だが、イメージが良くなった」
この様なツイートが圧倒的だったのが印象的でした。

くどい様ですが、なぜか石川さんにブロックされているわたしですら、石川さんへの好感度がUPしました。主張はさておき、反対論者にも話を聞いてもらう架け橋を作った石川さんは素直にすごいと思いました。
この討論会について、参加もせず、応援もせず、後になって「公開処刑だ」と言いだす石川さん支持の人達の声が強まれば強まるほど、返って孤軍奮闘した石川優実さんの好感度が増す形となりました。(彼らが本当に石川さんを支持しているなら、なぜ参加して質問タイムなどで意見を述べないのか不思議です)
石川さんのお陰でフェミニストの印象も少しは変わったのではないかと、わたしは喜んでおりました。

ところが、この討論会は有意義だったとその場では言っていたと言う石川さんご自身のブログを読んだわたしはひっくり返りそうになりました。

曰く、「私は青識さんの承認欲求を満たす道具にされた」「共感が欲しいのに上から目線の評価しかない」「青識さんを嫌いになったから関わらない事にします」…etc.

一体、なぜこの様な解釈となってしまったのでしょう。

せっかく良いイメージとなり、今後への架け橋を作りかけたのに、自らちゃぶ台返してしまった石川さん。
フェミニストは討論会などしても無駄、敵対し続けたい人達のイメージが補強されただけで、酷すぎます。彼女やその支持者は内部の支持や共感がほしいだけ。
社会を変えようとは本気で思ってないのでしょう。

でも、わたしは違います。わたしはフェミニストが嫌いな男性にこそ、討論し、お互いがどう共存するかを話し合いたいです。
残念ながら日本にはいませんが、どんどんキリスト教的禁欲主義、保守となり、視野が狭くなっていく日本のフェミニスト達を見ていられません。

真偽はわかりませんが、石川さんは討論会後、フェミニストを名乗るK氏やその一派に連れて行かれ、会場での発言について怒られたとお聞きしました。
K氏のツイートによれば、その会場に「潜入したが、石川さんが嘲笑されていて酷かった」との事ですが、なぜ「潜入」と言う言葉を使うのか。青識さん界隈にならK氏の顔や名も知れているのですから、こそこそせず堂々と入ればいいでしょう。まして、石川さんが目の前で笑われているなら助けようと声を上げる事もしなかったのは何故でしょう。
わたしが石川さんなら、味方が困っていてもただ見てるだけの無能なK氏を逆に怒りたくなりますが。

最後に、同じフェミニストを名乗る者として、石川さんにお伝えします。

「共感が欲しいのに、上から目線の評価しかない」とか言っているのは、あなたがブロックした人達だから、ただ見えないだけです。
あなたは一人でも頑張ったと、皆さんからの人気を得ています。(これはあなたの欲しい「共感」ではないのかもしれないけど、あなたへの好意や人気に変わりなく、それはあなたの活動理解にもつながるでしょう)
むしろ、K氏の様にあなたの邪魔しかしない人達に、どうか洗脳されないで。
せっかくあなたが作った架け橋を無駄にしないでください。

(石川さんのブログ中の「誰も評価してくれない」について誤読しておりましたが、「共感が欲しい」ということの様でしたので、訂正し、お詫び申し上げます。)

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「萌え絵を奇形差別として規制できないか」と言っている岩渕潤子さんに思う事

昨日に引き続き、萌え絵を規制したがる人がテーマです。
今度は、『萌え絵を女性差別で規制はできないが「奇形差別」でなら条件付きで認められる可能性はある』と言っている識者が現れ、まんこアーティストのわたしですらドン引きしております。
作家の岩渕潤子さん。
氏は、驚く事に、巨乳の萌え絵の問題に絡めて、女性の中には巨乳である事を恥じて整形手術をしている人もいる事をTwitterで何度も強調していました。まるで、巨乳の女性が悪いどころか奇形だとし、整形手術を煽っているかのようです。
(追記:今朝見たところ、「秋葉原に高い外塀を作りR16指定の特区にする案」なる話をツイートされており、ナチスのゲットーと同じ発想でゾッとしました。なぜ自ら炎上中に更にガソリンを被りたがるのか、不思議で仕方ありません)
氏は、フェミニストではないそうですが、あいちトリエンナーレのあり方検証委員会の委員だそうです。ある種の表現を「奇形差別で規制できる」と平気で言う人が、日本の表現問題に関わる重要な立場にある事を、わたしは非常に危惧します

股マタ、わたしの話をさせて下さい。
漫画家のわたしは、10年近く前に女性器の陰唇を切除して綺麗に整えるという名目の”小陰唇縮小手術”という整形手術を受け、その体験を漫画にしました。
当時はうすらぼんやり自分のまんこはビラビラし過ぎだし色も黒ずんでいて醜い、というコンプレックスを抱えていました。
日本では、性器にモザイクがかかって隠されている上、大人は誰も真剣に性の話を教えてくれなかったので、女性器がどんな色形が正常なのかもよくわからずに大人になりました(実は、クリトリスがどこにあるかも知らなくて、20歳を過ぎるまで自分はクリトリスが無い人だと思い込んでいました)。
そこまで悩んでいませんでしたが、今まで自分のまんこを漫画のテーマにした人は居なさそうだし、この機に「まんこと言えばこの人」と言われるポジションも得られると思い、割とカジュアルにその手術を受けました。
その後、漫画のネタの流れで整形後のまんこをモチーフに、笑えるまんこアートを始めたところ、2ちゃんねるで「キモい、臭そう、グロ、etc…」と激しく罵倒されたのでした。

型を取った石膏の上にジオラマを載せたり、キラキラパーツで飾ったわたしのまんこ作品を「ただ、まんこというだけで」激しく嫌悪する人達がいる事に、世間知らずのわたしは驚きました。
そこから、わたしは女性の性について真剣に考えるようになり、その流れでフェミニズムに辿り着きました。
そして、アート活動の一環としてデコまんワークショップを開くようになり、他人様のまんこを見るようになってから、まんこの形とは実にユニークで、人の数だけ多種多様、正解なんてなく、みんな違って素晴らしい物だと気付きました。
かつてのわたしは、ピンク色で小陰唇も小ぶりな方が良いまんこだだと何故か思い、そうなるように整形手術を受けたのですが、それはわたしが、AVやポルノの影響で自分の本当の体(まんこ)を醜いと思わせて来た世間の風潮にすっかり流されていただけなのでした。
もちろん、整形手術をしたい人にはそうする自由があります。
長年のコンプレックスを、手術で気軽に解消できます。やりたい人を止めません。
しかし、自分の体を悪いものや恥ずかしい物だと思っていなければ、そもそもしなくて済む手術です。まして、巨乳は奇形であるかのように思わせ、整形手術を煽るかの様な話を、日本の表現問題に関わる重要な立場にある人が言ってしまって良いのでしょうか

昨日の繰り返しになりますが、

胸のでかい女性をいじったり、セクハラをする人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物を潰しても世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしていきましょうよ。

ところで、岩渕さんのお望みの「奇形差別とみなされた物は規制できる世界」になったとしたら、規制対象になる芸術作品を以下に挙げてみる事にします。
キュビズム、シュールレアリスムの名画は大体アウトになるかと思います。
こうして眺めると、現代は権威ある芸術作品も、当時は嫌悪感で猛烈に反発する人達がいただろう事は容易に想像がつきますし、三回言いますが、萌え絵を奇形差別でなら規制できると言う岩渕さんに、なぜあいちトリエンナーレのあり方検証委員会と言う表現問題に関わる重要なポストを任せてしまったのか、大いに疑問です。