カテゴリー別アーカイブ: フェミニズム

華のJK・Pさんと男性配信者達がフェミニズムを考える討論会の中止騒動について思う事

数日前、某男性生配信者達がフェミニズムについて考える討論生配信のゲストに15歳のフェミニストを呼ぼうとした事がTwitterで騒動となりました。

「ミソジニストが JKを引っ張りだして、許せない」「身元を晒そうとする人がいて危険だ」「音声が残って怖いからやめろ」と危惧する意見(特にフェミニスト達)が多数で、結局、「15歳以下の未成年は法律上21時以降の仕事はできない」「親の承諾が無い」などが理由で、その”華のJK(ご本人が称されているので敢えて使います)”Pさんの出演は無くなった様です。

わたしはその頃、Vagina Museumや、映画「Female Pleasure」の試写会でロンドンにいてTwittrerを追っておらず、どなたが配信されるのかも知らず、TLに流れて来た情報だけ見て何となく大多数の人と同じ気持ちになっていました。

ところが、Pさんのツイートを見たところ、これは「本人自らの応募」で、無理やり引っ張り出された訳ではない事や、配信者側も彼女を尊重して出演の際の条件などきちんと話し合いがなされていた事が分かりました。
まるで「10代の女の子は弱くて意志がない」かの様に無意識に思っていた自分の偏見に、わたしは気づきました
配信者のツイートも確認しましたが、その内のお一人は多少軽率な発言をしている様にも見えましたが、そこまであからさまなミソジニストの様にも思えませんでした。
むしろ、フェミニズムに無縁そうな男性がそれについて考えてくれるのなら良い機会ではないかと思います(フェミニズムを知らない、興味がない人にこそ、届かないと意味がないと思うからです)。

Pさんの書く文章からも真摯な考えが伝わりました。
これだけ聡明でしっかりと意見を持つ華のJKなら、何の問題もなく大人と対等に討論できるはず(もちろん21時以降の出演は法律で禁止されているのでNGですが)。
なのに、必ず加害されるかの様に過剰に心配し、危険だ危険だと騒いで辞めさせた人達は、Pさんの主体性を本当に尊重しているのか疑問です。特にフェミストを自称している人達は、Pさんが華のJKだからと一段低く見ていないでしょうか。更にその上、Pさんが自らの意志で男性との討論に応募した事が気に入らないのか、「名誉男性」と決めつけて罵るフェミニストまでいたと知り、驚き呆れ果てています。
むしろTwitterではその様にすぐ罵詈雑言を投げる大人が多い中、冷静に意見を述べることができるPさんを大人が対等に扱わないのは失礼だし、Pさんのやりたい事を奪っては、本末転倒です。

わたしは子供の頃から、何か新しい事をしようとすると、大人から「まだ早い」「何かあったら怖いからやめておけ」と言ってやらせなくさせられる事にウンザリしてきました。
そういう人は「良い事をした」と思っているけれど、わたしからしたら貴重な経験を奪い取る余計なお世話な人達です。
Pさんの出演の件で大人がすべき事は、「身元探す人がいて怖いよ」と脅すのではなく、おもしろ半分に身元を探る輩を徹底的に糾弾し、Pさんのやりたい事ができる様にその道を整えてあげる事ではないでしょうか。

Pさんは本当に良くできたお嬢さんの様で、わたしなら余計なお世話だと思うそれら大人の説教にも、「普段心配されることがなかったから嬉しいです」とツイートされていました。
ご本人が嬉しいなら、わたしがこれ以上言うことはありません。
ただ、何だか最近のフェミニスト達は、女性(特に若い女性)といえば即、「被害者・弱い存在」という思い込みが過ぎる様に思います。(わたしですらPさんに対してそう思い込んでいました)
性虐待やセクハラはもちろん撲滅すべきだし、MeTooもムーブメントになりましたが、世界の全ての女性が弱い存在とは限りません。

冷たい様ですが、フェミニストはかわいそうな人を慰めてあげる「被害者の会」の人ではないと思います。誰も守ってくれない時にこそ、その人が自力で立てる様にしなければ意味がありません。喩えるなら、お腹が空いている人にその時だけ美味しいご飯を作ってあげるのでなく、ご飯の作り方や材料を買うお金を得る知識を得る、そのツールがフェミニズムです。

このブログを書きながら、かつて藝大で上野千鶴子先生と討論会をさせていただいた事を思い出しました。
上野先生は、わたしのアートについて「性的な表現をして後で後悔しても取り返しがつかない」などと仰いました。先生のお弟子さん達には、自分の過去を後悔する人が多いのでしょうか。わたしという女性を低く見てかわいそうがりたかったのかもしれませんが、わたしは覚悟を持って制作し、だからこそ、今も国と裁判でワイセツについて争っている。
そういうわたしに対して「後で後悔するかも」と言うのは失礼だなと思いました。

わたしは「男女平等」をモットーにするフェミニストとして、性別や年齢や活動内容に関係なく、あらゆる人間と対等でありたいですし、15歳のPさんの語るフェミニズムと、それについて考える一般の男性との討論を視聴したかったので、とても残念です。

ab6b08c6ab490e58b4dd7e32666b8fc0_s

Vagina Museumに遊びに行って来ました

さて、昨夜はせっかく映画「Female Pleasure」ロンドン試写会に招待されましたので、この機に、話題のカムデンタウンにあるVagina Museumにもお邪魔んこして来ました。

Vagina Museumの代表フローレンスさんには、この美術館のクラウドファンドに作品提供の依頼を受けていたわたし。その為に新しいデコまんを作り、支援者へのリターンとして提供しましたが、実際に現地に伺うのは初めてでした。

美術館と言っても、カムデンタウン内の出店舗の一角で、おしゃれな画廊と言う方がふさわしい佇まい。

IMG_0219

入って右側の部屋は、まんこのアクセサリーなど、おしゃれなお土産コーナーでしたが、肝心の展示はというと、簡素なパネルばかりで、一見、まんこが足りない感じがしました。
改めて観ると、今期は「世界のまんこに対する偏見を集めた展示」で、世界各地のまんこ偏見やおかしな風習が、その事例と共にパネルで説明されており、興味深い内容でした。
まんこミュージアムというと、つい日本人のわたしは秘宝館の様な物を想像しがちでしたが、ここは、まんこ持ちの女性が立ち上げた、ありのままのまんこ知識を高める場所なのです。
残念ながら、男性が期待する様なエロ要素は全くありませんので、あしからず(^^)

例えば、インドでは性教育がちょっとおかしくて、教科書なのに「真のまんこ」はビラビラや色や形はこんな風だとか、「偽のまんこ」はこんな風だ、などど偏見に満ちた事例を紹介していたりするのも、この展示で知り驚きました。
カーマスートラが生まれた国なのに、一方で性嫌悪する。
まるで、神話の世界では性がおおらかに語られて江戸時代には春画も華やいだのに、まんこをアートにすると逮捕される日本みたいですね。

IMG_0222

その他、「生理は汚い」「お湯の中でセックスすると妊娠しない」「オーガズムがないと妊娠しない」etc…と明らかに間違った世界のまんこ偏見や風習についての展示や、ケミカルで体に良くない女性器専用洗浄剤の説明など、まんこ持ちの女性だけでなく、男性にも一緒に見て知識を得て欲しい展示内容でした。(わたしは夫と観覧しました)

観覧後はフローレンスさんとキュレーターのセーラさんとお話しして、今後はわたしのまんこちゃんソフビ販売や本の販売もお願いする予定となりました。
ゆくゆくは、まんこのボートもこちらで展示させて頂けたらいいなと思っております。

ところで、フローレンスさんは最近日本で物議を醸していた生理バッジの件や「生理ちゃん」もご存知でした。流石、まんこに意識高い。

IMG_0232

ドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のロンドンプレミア試写会に行って来ました

昨夜は、わたしが出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」のプレミア試写がロンドンの小さな映画館で催されました。

Female Pleasure」は、監督のBarbara Millerさんが世界の女性差別と闘う5人の女性を撮影し、その実話を描いたドキュメンタリーです。
FGM(アフリカに今も残る女性器の陰核を切除する風習)を実際に受け、その非道な風習の根絶運動をしているドクターLeyla Husseinさん、
子供の頃からカトリックの聖職者に長らく性虐待された事実を勇気を出して告発した作家のDoris Wagnerさん、
(カーマスートラが生まれた国なのに)性教育はタブーとされ、親が決めた相手としか結婚してはならない古い慣習が今でも残るインドで、性教育や自由恋愛、自由意志での結婚運動を推し進める活動家のVithika Yadavさん、
ユダヤ教徒の厳しいコミュニティから脱会し、女性差別的な慣習を告発した作家のDeborah Feldmanさん、
そんな錚々たる女性達と共に、うっかりわたしも紹介されております。

Female Pleasureは、直訳すると「女性の喜び」です。わたし達5人は、本来は自分の喜びであるはずの体や性の自由を、男性や他者から奪われた事に対して闘っています
まんこアートを本格的に始めた当初はもちろん理解者はほとんどおらず、逮捕までされ、わたしはずっと孤独だと思っていましたが、この映画のおかげで「わたしは独りじゃなかった。」と勇気を得る事が出来ました。
また、撮影が終わって間もなくして、MeTooムーブメントが世界に湧き上がったのも功を奏し、ロカルノ映画祭では数々の作品賞を受賞しました。
まさか、まんこで捕まった数年後に、ロカルノ映画祭のレッドカーペットを歩く事になるとは夢にも思わず、無駄に感じ悪い弁護士には「焼け太り」と言われております。

この映画はスイスやドイツでは大ヒットしており、この度、イギリスにも上陸しました。
日本でもいつか上映される事を期待したいです。

DkIsXcUXcAAsRay
800px-Female_Pleasure_movie_poster_(2018)
IMG_0244 2

【これからのフェミニズムを考える白熱討論会 – 石川優実×青識亜論(せいしきあろん)】に登壇した石川さんに伝えたい事

「フェミニストって、討論会に誘っても絶対来ないんだよな」

今から5年前、わたしのまんこアート逮捕時に弁護団の一員となり、その後も無罪を勝ちとる事に貢献して下さった山口貴士弁護士が、無駄に感じ悪くこう言っていました(わたしの裁判は有罪部分のみ、現在も最高裁で係争中です)。

フェミニストは男女格差をなくそうと活動する人です。当然、反対論者との討論会には積極的に参加するものと思っていたわたしは驚きました。本当に社会を変えたいなら敵対者や無理解な人達にこそ我々フェミニストの主張を理解してもらわないと進展しないでしょう。社会の半数は男性で構成されているのを考えれば分かる事です。
しかし残念ながら、確かに山口先生の言う通り、フェミニストを名乗る学者や知識人達が、特に表現規制に反対する人達との討論会には頑なに拒否して参加しないパターンを、その後もよく見かけました

ですから、青識亜論(せいしきあろん)さんという表現の自由主義の方が、「KuToo」運動を興したフェミニストの石川優実さんとの討論をTwitter上で呼びかけていた時も、あまり期待していませんでしたが、石川さんが承諾した事で、わたしは俄然、この討論会を注目し始めました。

同じフェミニストでも、わたしは表現の自由主義者。週刊誌のグラビアや萌え絵ポスターのゾーニングを主張する石川さんとは意見が真っ向対立しますが、「フェミニストを名乗る人が討論会に参加する」と言う、よく考えれば当たり前の話でもなかなか実現しなかった事が叶うのは素晴らしいことです。
残念ながら、現在は日本に住んでいない為、直接討論会を見に行くことは出来ませんが、Twitterで討論の様子がツイートされるのを楽しみに待ちました。

わたしは石川優実さんにはなぜかブロックされていて、氏のタイムラインを見れませんが、よく反対論者とのやりとりがTwiterで流れてくるのを見ていても、主張がコロコロ変わりやすくて一貫性に乏しく、場当たりで意見を述べる人の様に推測できるので、理詰めで話をするタイプの青識さんとは全く合いそうにないのは確かでした。
でも、アイドルと学者が対談してエンターテイメントとして面白くなるNHKの番組もよくありましたし、わたしはその化学反応まで含めて、本当に楽しみだったのです。

そして案の定、討論会が始まってから、石川さんの知識不足や主張の論理性のなさを指摘する参加者のツイートや、途中で石川さんが変なことを言って嘲笑されていたようなツイートまで見かけましたが、参加者の多くが議論好きの表現の自由主義者ばかりの中、たった独りでも討論会に参加した石川さんの真摯な姿勢に好感を寄せる人が多かった様で、
「石川さんの主張には反対だが、イメージが良くなった」
この様なツイートが圧倒的だったのが印象的でした。

くどい様ですが、なぜか石川さんにブロックされているわたしですら、石川さんへの好感度がUPしました。主張はさておき、反対論者にも話を聞いてもらう架け橋を作った石川さんは素直にすごいと思いました。
この討論会について、参加もせず、応援もせず、後になって「公開処刑だ」と言いだす石川さん支持の人達の声が強まれば強まるほど、返って孤軍奮闘した石川優実さんの好感度が増す形となりました。(彼らが本当に石川さんを支持しているなら、なぜ参加して質問タイムなどで意見を述べないのか不思議です)
石川さんのお陰でフェミニストの印象も少しは変わったのではないかと、わたしは喜んでおりました。

ところが、この討論会は有意義だったとその場では言っていたと言う石川さんご自身のブログを読んだわたしはひっくり返りそうになりました。

曰く、「私は青識さんの承認欲求を満たす道具にされた」「共感が欲しいのに上から目線の評価しかない」「青識さんを嫌いになったから関わらない事にします」…etc.

一体、なぜこの様な解釈となってしまったのでしょう。

せっかく良いイメージとなり、今後への架け橋を作りかけたのに、自らちゃぶ台返してしまった石川さん。
フェミニストは討論会などしても無駄、敵対し続けたい人達のイメージが補強されただけで、酷すぎます。彼女やその支持者は内部の支持や共感がほしいだけ。
社会を変えようとは本気で思ってないのでしょう。

でも、わたしは違います。わたしはフェミニストが嫌いな男性にこそ、討論し、お互いがどう共存するかを話し合いたいです。
残念ながら日本にはいませんが、どんどんキリスト教的禁欲主義、保守となり、視野が狭くなっていく日本のフェミニスト達を見ていられません。

真偽はわかりませんが、石川さんは討論会後、フェミニストを名乗るK氏やその一派に連れて行かれ、会場での発言について怒られたとお聞きしました。
K氏のツイートによれば、その会場に「潜入したが、石川さんが嘲笑されていて酷かった」との事ですが、なぜ「潜入」と言う言葉を使うのか。青識さん界隈にならK氏の顔や名も知れているのですから、こそこそせず堂々と入ればいいでしょう。まして、石川さんが目の前で笑われているなら助けようと声を上げる事もしなかったのは何故でしょう。
わたしが石川さんなら、味方が困っていてもただ見てるだけの無能なK氏を逆に怒りたくなりますが。

最後に、同じフェミニストを名乗る者として、石川さんにお伝えします。

「共感が欲しいのに、上から目線の評価しかない」とか言っているのは、あなたがブロックした人達だから、ただ見えないだけです。
あなたは一人でも頑張ったと、皆さんからの人気を得ています。(これはあなたの欲しい「共感」ではないのかもしれないけど、あなたへの好意や人気に変わりなく、それはあなたの活動理解にもつながるでしょう)
むしろ、K氏の様にあなたの邪魔しかしない人達に、どうか洗脳されないで。
せっかくあなたが作った架け橋を無駄にしないでください。

(石川さんのブログ中の「誰も評価してくれない」について誤読しておりましたが、「共感が欲しい」ということの様でしたので、訂正し、お詫び申し上げます。)

0

「萌え絵を奇形差別として規制できないか」と言っている岩渕潤子さんに思う事

昨日に引き続き、萌え絵を規制したがる人がテーマです。
今度は、『萌え絵を女性差別で規制はできないが「奇形差別」でなら条件付きで認められる可能性はある』と言っている識者が現れ、まんこアーティストのわたしですらドン引きしております。
作家の岩渕潤子さん。
氏は、驚く事に、巨乳の萌え絵の問題に絡めて、女性の中には巨乳である事を恥じて整形手術をしている人もいる事をTwitterで何度も強調していました。まるで、巨乳の女性が悪いどころか奇形だとし、整形手術を煽っているかのようです。
(追記:今朝見たところ、「秋葉原に高い外塀を作りR16指定の特区にする案」なる話をツイートされており、ナチスのゲットーと同じ発想でゾッとしました。なぜ自ら炎上中に更にガソリンを被りたがるのか、不思議で仕方ありません)
氏は、フェミニストではないそうですが、あいちトリエンナーレのあり方検証委員会の委員だそうです。ある種の表現を「奇形差別で規制できる」と平気で言う人が、日本の表現問題に関わる重要な立場にある事を、わたしは非常に危惧します

股マタ、わたしの話をさせて下さい。
漫画家のわたしは、10年近く前に女性器の陰唇を切除して綺麗に整えるという名目の”小陰唇縮小手術”という整形手術を受け、その体験を漫画にしました。
当時はうすらぼんやり自分のまんこはビラビラし過ぎだし色も黒ずんでいて醜い、というコンプレックスを抱えていました。
日本では、性器にモザイクがかかって隠されている上、大人は誰も真剣に性の話を教えてくれなかったので、女性器がどんな色形が正常なのかもよくわからずに大人になりました(実は、クリトリスがどこにあるかも知らなくて、20歳を過ぎるまで自分はクリトリスが無い人だと思い込んでいました)。
そこまで悩んでいませんでしたが、今まで自分のまんこを漫画のテーマにした人は居なさそうだし、この機に「まんこと言えばこの人」と言われるポジションも得られると思い、割とカジュアルにその手術を受けました。
その後、漫画のネタの流れで整形後のまんこをモチーフに、笑えるまんこアートを始めたところ、2ちゃんねるで「キモい、臭そう、グロ、etc…」と激しく罵倒されたのでした。

型を取った石膏の上にジオラマを載せたり、キラキラパーツで飾ったわたしのまんこ作品を「ただ、まんこというだけで」激しく嫌悪する人達がいる事に、世間知らずのわたしは驚きました。
そこから、わたしは女性の性について真剣に考えるようになり、その流れでフェミニズムに辿り着きました。
そして、アート活動の一環としてデコまんワークショップを開くようになり、他人様のまんこを見るようになってから、まんこの形とは実にユニークで、人の数だけ多種多様、正解なんてなく、みんな違って素晴らしい物だと気付きました。
かつてのわたしは、ピンク色で小陰唇も小ぶりな方が良いまんこだだと何故か思い、そうなるように整形手術を受けたのですが、それはわたしが、AVやポルノの影響で自分の本当の体(まんこ)を醜いと思わせて来た世間の風潮にすっかり流されていただけなのでした。
もちろん、整形手術をしたい人にはそうする自由があります。
長年のコンプレックスを、手術で気軽に解消できます。やりたい人を止めません。
しかし、自分の体を悪いものや恥ずかしい物だと思っていなければ、そもそもしなくて済む手術です。まして、巨乳は奇形であるかのように思わせ、整形手術を煽るかの様な話を、日本の表現問題に関わる重要な立場にある人が言ってしまって良いのでしょうか

昨日の繰り返しになりますが、

胸のでかい女性をいじったり、セクハラをする人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物を潰しても世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしていきましょうよ。

ところで、岩渕さんのお望みの「奇形差別とみなされた物は規制できる世界」になったとしたら、規制対象になる芸術作品を以下に挙げてみる事にします。
キュビズム、シュールレアリスムの名画は大体アウトになるかと思います。
こうして眺めると、現代は権威ある芸術作品も、当時は嫌悪感で猛烈に反発する人達がいただろう事は容易に想像がつきますし、三回言いますが、萌え絵を奇形差別でなら規制できると言う岩渕さんに、なぜあいちトリエンナーレのあり方検証委員会と言う表現問題に関わる重要なポストを任せてしまったのか、大いに疑問です。

萌え絵は環境型セクハラだと言うフェミニストの皆さんへ

あいちトリエンナーレの表現の不自由展の騒動が冷めやらぬ中、今度は献血ポスターに採用された萌え絵表現への抗議でTwitterは荒れています。
問題の絵である「宇崎ちゃんは遊びたい!」という漫画のキャラクターである宇崎ちゃんが、異様に胸が強調されている為、性的だとして主にフェミニスト達から猛烈な批判を浴びています。

わたしもフェミニストであり、かつてはこの種の萌え絵に得も言われぬ違和感を覚え、どちらかと言えば嫌悪する側でした。が、わたしは表現の自由主義者。己の嫌悪感は差し挟まず、あいちトリエンナーレで問題となった天皇の肖像を焼く動画などと同様、公平に表現の自由を主張しています。
なお、献血はコミケ会場に併設される事が多い為、オタク層をターゲットにする事は特に問題ないかと思います。実際に都内の献血ビルをルポした方によれば、問題のポスターも献血ビルの中に入らなければ見ることもなく、よく探さなければ見つからず、秋葉原の献血ビルに数枚あった程度、との事でした。

それでもこの絵に対する嫌悪感の強い人達の怒りは収まらないようで、「巨乳の人が見たら可哀想!」「環境型セクハラだ!」「私は巨乳ですが、この胸のせいでからかわれたりセクハラされて嫌な思いをして来たんです!」と、実在の巨乳の方々もわたしに怒りをぶつけて来られます。
「あらゆる表現は意図せず誰かを不快にさせるもの」なので、それは当然。不快に思う人の気持ち自体は否定しません。現に、かつてのわたしも萌え絵が嫌いでした。
しかし、この意見をフェミニストを名乗る人達も一緒になって叫んでいるのは不思議です。
フェミニズムとは、女性を長らく押さえ付けて来た社会の役割や性的な偏見や古い価値観から解放し、女性はもっと自由になろうと謳って来た思想のはずだからです。

フェミニストこそ、「女の胸がでかくて何が悪い!」と言うべきではないでしょうか。

Twitterでは「アメコミの女性キャラは胸の露出が多いのに不快じゃ無いのは胸が大きくても強調されてないから」と絵付きで説明する人もいましたが、まるで、スカートの丈や前髪の長さをチェックする風紀委員のようです。
昔、娘や生徒がミニスカートを履いたり体のラインを強調する服装をしたら怒るお父さんや教師みたいな事を、女性の自由を主張するはずのフェミニスト達が率先しているのが怖いです。
しかも、萌え絵はフィクションの世界の絵です
よ。(こう言うと、現実の女性とフィクションを一緒にするな!と言う方がいますが、あなた方がフィクションである萌え絵を現実と混同して騒いでいるから批判されるのです)

もちろん、おっぱいのでかい女性をいじる男の子達やセクハラをする大人達というのは必ずいて、人によっては深い心の傷となります。しかし、悪いのは「自分の性欲や性への見下しを相手の承諾無しにぶつける人達」と、それを許して来た社会の風潮であり、表現物ではありません。

ここでわたしの話をさせてください。
今は出産した上、加齢でしぼんでしまいましたが、かつてEカップの胸を持っていたわたしは、20代の頃は自ら好んで胸が強調されるピタピタTシャツやセーターを着て、もっと胸が大きく見えるよう、パッドを入れて底上げまでし、自分の体を性的な視線で見られることも承知で楽しんでいました。(現在は見る影もありませんが、わたしは自分の体を普通に受け入れていますから、別段悲しくもありません。今は胸が無いぶん、洋服をすっきり着られるし、乳首隠しのついたワイヤー無し下着をつけて肩こりのない快適な毎日を過ごしてます)
わたしのような女性も少なからずいるはずです。そうでなければ、見せブラ、底上げボリュームUPブラなどの需要は市場に一切無い事になります。

さて、20代の頃は性の対象として眺められるのも悪くないと思っていたわたしは、加齢とともに胸も萎んだ代わりにフェミニズムに目覚め、40歳を前にして、まんこのアートをするようになりました。
まんこのアートと言うだけで、面と向かって「汚いから寄るな!」と嫌悪感を示す人もいましたし、簡単にセックスができる女だと思われ、仕事の話と称してわたしを呼び、ホテルに連れ込もうとする人もいました。一番多かったのは、性的な表現をしているからと、人間以下のように見下す人達でした。
そこで気の強いわたしは反発するのですが、驚く事に、その場にいた人達まで、「怒りすぎだ」「女なんだから大人になってあげないと」と、同じ女性ですら、わたしを牽制したりバカにするのです。とてもガッカリしました。
女性に嫌なことをするセクハラ加害者の方が社会的に立場が強いと、周りは無視するか、加害者側に立つのです。これではセクハラが一向に無くならないわけです
この手の話はわたしの体験に限った事ではないと思います。
つい最近も、フォトジャーナリストの広河隆一氏の複数の性接待強要事件が発覚した騒動が記憶に新しいですが、被害者達によれば、人権団体の関係者に相談しても聞いてもらえなかったが、metooムーブメントを機に勇気を出して週刊誌に告発したとの事でした。恐ろしい事に、人権団体の人達ですら、権威ある人のセクハラを、長年見て見ぬふりして来たのですよ。
カトリック教国であるアイルランドでも、神父の信徒の子供達への性虐待が長らく隠されていた事が80年代に大問題になりましたが、これも同じく、加害者の悪事を正すべきはずの信者達が隠して来たのが根深いです。

話を萌え絵を抗議するフェミニスト達に戻します。
「萌え絵が公共の場にあるとセクハラに加担する事になる」なら、萌え絵などなかった時代はセクハラは一切無かったのでしょうか?
あなた方の主張が世間に届いていたら、広河氏の十数年に及ぶ性接待強要も、あらゆるセクハラはとっくに問題視され、解決していたはずですが、なぜ見過ごされて来たのでしょうか?

繰り返しますが、本当の敵は、セクハラや性暴力をする加害者と、それを見過ごしたり無視したり、被害者をバカにする周りの空気です。物言わぬ表現を攻撃しても、世界は変わりません。
胸のでかい人は自分の体を恥じる事はないし、胸を強調する服装をしたい人は自由にすればいい。それを見て冷やかしたりセクハラする人には、10メートルダッシュで跳び蹴りか4の字固めで阻止する社会にしましょうよ。

最後に、それでも萌え絵が「環境型セクハラだ!」と言う事でしたら、日常のあらゆる事象を性的だと思った瞬間に取り締まらないといけませんので、わたしも性的に感じた物をUPしますね。ご査収ください。

“Female Pleasure” Review: Fighting the Patriarchy – The New York Times. NYタイムズにて、わたしも出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」が紹介されています

“Female Pleasure” Review: Fighting the Patriarchy – The New York Times

NYタイムズに、わたしも出演しているドキュメンタリー映画「Female Pleasure」が紹介されています↓

https://www.nytimes.com/2019/10/17/movies/female-pleasure-review.html