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ろくでなし子 について

Rokudenashiko/ Megumi Igarashi/ 自称芸術家。フェミニスト。表現の自由暴れん坊将軍。正式名は、ラ=ほと=ぼぼ=こーまん=おめっこ=おぱんぽん=ぱよぱよ=現在も被告人= ド=ろくでなし子 。2014年、作品などがワイセツだとして逮捕起訴され、裁判で国と争う。デコまんについては無罪を勝ち取る。残りの有罪部分については現在も上告中。

ラブライブキャラクターポスターのスカート丈を加工した動画をUPした藤井美穂さんを見て、「そんな着方は恥ずかしいわよ」と着物の着付けを勝手に直してくる着物憲兵おばさんを思い出した事など。

今度は、ラブライブというアニメのキャラクターを採用した沼津のJAなんすんのポスターが、またもやフェミニストakaふしだら憲兵さんから「性的だ」として批判され、炎上しています。

わたしは最近、自分がフェミニストである事を疑う事ばかりです。フェミニストを名乗る人達がやっている事に全く賛同できないからです。そして、いちいち反論する事にも段々と疲れや虚しさを感じています。実はこのブログを書く気力も萎え、ずっとパソコンの前でぼんやりしてました。
わたしが何かを言っても言わなくても世界は何も変わりませんし、フェミニスト達は、この件に飽きたらまた新たなターゲットを探して攻撃するでしょう。

とは言え、このラブライブのキャラクターのスカートの陰影描写に物申す人が、スカート丈やシワが不自然すぎるとし、「この方が健康的だ」と言って、丈を伸ばす加工動画をUPした事に、なんともいやぁな気分になったので、気分を消化する為、「自分の為に」書く事にします。

さて、件の動画をUPしたのは藤井美穂さんという方で、ご自身のふくよかな体型を生かし、アメリカでプラスサイズモデルとしてご活躍との事。Twitterのアカウント写真も堂々と胸の開いた赤いドレス姿で素敵です。

わたしは「なんとフェミニストらしい人だなぁ」と思いました。
日本ではコンプレックスと受け取られがちなふくよかな体型を、チャーミングな長所に変え、お仕事としてご活動されて、とても幸せな人生だと思います。
かく言うわたしも、自分のまんこに対して「汚い、臭い、気持ち悪い」と言う嫌なイメージを世間から植え付けられている事に反発し、まんこを「面白くて楽しくて笑える物」に変える作品を作って来ました。
だから、自分が「他者から欲望される物を男性に捧げる」のではなく、「自分の意志で」自分の体を高らかに表現し謳歌することの楽しさや素晴らしさについては、藤井さんと共感する事ができると思っています
ですが、わたしは藤井さんのあのラブライブのキャラクターのスカート丈の加工動画には、全く共感できませんでした。そして、ある事を思い出しました。

わたしは30代の頃、着物にハマってました。訪問着の様な高級着物ではなく、古着や木綿の安い着物を洋服と合わせたりカジュアルに着るのが好きでした。
でも、自分なりに「これがかわいくてオシャレ」と思って着ているのに、街を歩いていると、突然わたしの着ている着物の襟を正し出したり、帯やおはしょりを勝手に直してくる憲兵の様なおばさんが必ず現れるのです。
こちらは訪問着みたいな着方や合わせ方が嫌で好きにしているのに、「そんな着方じゃ恥ずかしいわよ!」と、「おばさんが思う正しい着方」に直され、ひどい時は聞いてもいないのに着物の格についての説教を聞かされる。そういうことが続いて、だんだんと着物を着るのが嫌になってしまい、そのうち着物を着なくなりました。
それから10数年後、日本を出てアイルランドに住む様になってから、わたしはまた着物を着るようになりました。
ここでは「その着方はおかしい」と他人の着物の襟や帯やおはしょりを直そうとしてくる着物憲兵はいませんし、どんな着方をしていても「ジャパニーズキモノ、ソービューティホー!」とみんな適当に褒めくれて、とても居心地いいのです。
他人が干渉してこない方が「着物をもっと着たい」と思え、着物の購買意欲も高まりますから、着物文化を広めたいなら、着物を知らない人や若い人の好きにさせる事が一番ではと思います。

話が長くなりましたが、わたしは藤井さんの動画を観て、あの時のいやぁな気分を思い出したのです。

藤井さんは、問題の絵のキャラクター:高海千歌ちゃんが、「男性の都合に併せた姿態を演じさせられている意志のない人の様に感じられる」のではないでしょうか?
実はわたしも、少し前までは、萌え絵を見ると勝手にそう感じてイラついてました。
萌え絵の女の子は、なぜか内股でおしっこ漏れそうなのを我慢しているみたいだし、常に困った様な笑顔だし、男に「やらせて」と言われたら簡単にやらせそうで、「しっかりしろよ!」と言いたくなった物です。
萌え絵のキャラクターに自分の考える物差しや価値観を当て嵌めて見ると、服のシワやら胸のふくらみやらスカート丈まで、実在の人間にはありえない矛盾ばかり見えてきます。
そうです、これって、わたしの着物の着方に文句を言って来た着物憲兵おばさんと一緒なんですよね。
つまり、かつてのわたしや今の藤井さんは、女性(単なる創作物に過ぎない物でも)に対して、勝手に「自立した女性とはこうあるべきだ」とする、実にフェミニストらしいステレオタイプな価値観を押し付けているのです。相手がリアルな人間ではないぶん滑稽ですが。

多様性の時代と言われる様に、今は人々がそれぞれの考えを持つ事が当たり前となっています。その流れが急速すぎるのか、「自分が良いと思う物」が、他人には全くそうではない事がわからなかったり、アップデートできない人がいます。
そもそも、萌え絵は創作物であって、実在の人間ではありません。
男性オタクでも、二次元にしか興味がない人も沢山います。実在の女性が何をしようが、どんな服を着てようが、知ったこっちゃないのです。
オタク達は創作の世界で楽しんでいるだけなのに、勝手に自己投影して文句を言うフェミニストという女達が意味不明でしょう。
それに、高海千歌ちゃんの様な絵が好きな人は、何も男性ばかりではありません。
萌え絵には女性ファンが大勢いますし、萌え絵師が女性である事もごく普通の事で、
ファンの女性がキャラクターに自己投影してコスプレするのも普通の事です。
その人にはそれが「カワイイ」し、自分にとっての理想だと思うから共感できるのでしょう。
どんな女性でありたいかは、人それぞれのはず。
フェミニズムとは、選択の自由を増やそうと言う思想です。
これが「カワイイ」と思ってそのスタイルをしたり、絵に描いたり、表現したりする事も、当然、その人の立派な強い意志によるものだという事を、なぜかフェミニストは無視しがちです。
藤井さんや、オールドタイプのフェミニストが考える理想の女性象の方が、もしかしたら、今の日本では少ないかもしれません。

「フェミニストから見て、好ましい女性であるかどうか」

そんな価値観で同じ女性(しかも創作物であるキャラクター)の見た目や服装を「あんた、それじゃダメでしょう」「恥ずかしいわよ」と正そうとする事に、わたしはフェミニストの傲慢さを感じます。
そんなことではますます「やかましいおばさん」としてフェミニストは嫌われて理解されず、せっかくフェミニズムに興味を感じた若い人も、ウンザリして離れて行くだけでしょう。

茜さやさんと言う、胸の大きな女性モデルさんを起用した広告が最近炎上しましたが、
フェミニストが、茜さんの様な女性は許せず批判し、藤井さんのモデル活動は批判せず、むしろ称賛している様なのも、なんとなくですが、そこに通じる話ではないかと思います。
(茜さやさんのTwitterの自撮り写真投稿などを改めて見ると、萌え絵のキャラクターの様な独特の雰囲気である「カワイイ」を感じます)

最後に、藤井さんに質問させて下さい。
ご自身のモデルとしてのご活動を見た人が、藤井さんに「性的な事をするな」と言って来たり、直接グイグイと藤井さんの襟元や胸元を正そうとして来たら、どう思われますか?
「わたしが好きでやっているんだ!邪魔するな!」とフェミニストらしく怒る事でしょう。
もしも、創作物である高海千歌ちゃんがリアルな人間だったら、
「わたしだって好きでやっているんです。スカートの丈を勝手に直さないで。」と、藤井さんに言い返すのでは
ないかとわたしは思うのです。

中部大学の玉田敦子教授には、教育者として「ヘイト」の大安売りをしないでいただきたい

数日前に、この様なブログを書きました。「髙崎順子さんとひろゆきさんのハフポスト対談コラムを「有毒」だと言う中部大学の玉田敦子教授にお伝えしたいこと」

まず玉田教授からのコメントはないであろうと期待していませんでしたが、予想に反してご返信をtwitter経由で頂きました。玉田教授、ご丁寧にありがとうございます

教授曰く、

との事。
そこでわたしはこの様にお返ししたところ、

との事でした。

わたしは思わず「ヘイトスピーチ」について、辞書で調べ直してしまいました。しかし、何度読み返しても、ひろゆきさんの発言に、ヘイトの定義の「(英: hate speech)人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する言説」を見出す事はできませんでした

繰り返しますが、ひろゆきさんはご自身の母親から感じた女性の印象を語っただけなのにデマと呼ぶのも意味不明ですし、(フェミニストやフェミニズムと言う言葉は使わない方が良いとは仰っていても)フェミニズムの根底にある「男女平等」思想そのものは否定されていない様に見えます。
特に後編では、実際に日本の男性が家事分担の偏りがある事も認め、女性の政治家を増やしたいなら男女の議員数を同数にすべきだ等(それが独時の見解ではあっても)、むしろ建設的な会話がなされており、女性嫌悪や女性蔑視を感じる言説は見当たりません。
そしておそらく、ひろゆきさんと同じ様な意識の男性は、日本ではそう珍しくないでしょう。その程度の事でも許せない話となると、議論の壇上に上がる事もできません。
また、これが「ヘイト」なら、女性がよく言う「男ってバカよね」や、鼻垂れ坊主の「お前のかーちゃんデベソ!」も、「ヘイトスピーチ」になってしまいます
そこでわたしは、

とご返信しましたが、玉田教授からのお返事は今のところ無い様です。

ここ数年は、かつては蔑ろにされて来た、マイノリティと呼ばれる人達〜性差別や性犯罪被害や民族差別を受けて来た人達〜の発言力がSNSを通して活発になっています。彼らが声をあげられるようになった今はとても良い時代です。
ですが同時に、「傷ついた!」と思えばすぐに「ヘイトだ!」と言う人達も増え、実際には「ヘイト」の意にそぐわないことであっても誰かを「ヘイトスピーカー」と断定し、「ヘイト」と言う言葉を大安売りする人達をtwitterでも頻繁に見かけるようになりました。
自分にとって都合が悪い事を言う人を「ヘイトスピーカー」と言う加害者に仕立てれば、相手を黙らせる事ができるからです。
わたしはそこに、相手を悪者に貶める卑怯さや、言論の自由を損ねる危険を日々感じています。
それと同じ事を、いち大学教授が率先してやっている事、まるで「ヘイト」と言う言葉を、鼻をかんだティッシュの様に使用される事に、驚きと、強い危惧をますます強めております。

もう一度、懲りずに玉田教授にお伝えします。

ひろゆきさんのような女性観は、フェミニスト学者様におかれては都合が悪いのは分かりますが、まずは世の男性のリアルな意見を耳を塞がずに聞き入れ、現実を受け入れる事が大事です。
そして、我々フェミニストの意見も理解される様すり合わせ、異論者同士でも共存する方法を探っていくのが教育者のすべき事ではないでしょうか?
このままでは、フェミニストとは、何か言えば「ヘイト」と言い、人の話を全く聞かない極端でヤバイ人達の集まりだとして、ますます世の中からドン引きされるだけです。

ハフポストの当該対談コラム相手候補者も、何か言えばフェミニストの社会学者に「ヘイト」と罵られるようなら、誰も喜んで受けてくれなくなるでしょう。
言論の自由の為に、この様な事があってはならないと強く思います。

*ちなみにその後、髙崎順子さんからもご丁寧なご返信があり、対談コラムの連載は引き続き行われる様で少し安心しましたが、今後もこの様な異常な批判がフェミニスト学者から起きた場合、わたしは同じフェミニストの一人として批判し続けます。
(同じ批判は、フェミニスト学者内部から声は上がっているのでしょうか?わたしは聞いた事がなく、その事実が信じられません)

ひろゆきさんに言われても、やっぱりわたしはフェミニストをやめないし、フェミ嫌いな人との対話を心がけていきたいです。

筆不精なのに、今日で連続4日もブログを更新しております。

数日前から炎上しているハフポストの髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの件。
単に個人の意見を述べただけなのに、フェミニスト達から異常に批判されたひろゆきさんご本人も思うところあったのか、ガジェット通信でご意見の記事他者に敬意を払わない集団とフェミニストの先鋭化。をアップされていました。
「レディースデー」「女性専用車両」などの事例を挙げ、日本と海外での比較論や、ひろゆきさんが「フェミニストではなく差別主義者」と認定した数名の方への批判や反論の後の〆として、わたしへの呼びかけと、拙ブログのリンクも貼って頂いていたのには驚きました。

”というわけで、フェミニストの人はフェミニストじゃない人の状況も見えてないし、海外のこともあんまり見えてないし、行動パターンがネトウヨに似てきてるので、やっぱりまともな人は「フェミニスト」を名乗らないって選択をしちゃうんじゃないですかね? ろくでなし子さん。”

やはりわたしはまともではないのでしょう。
ネット界では影響力の大きいひろゆきさんにこう言われても、相変わらずフェミニストを名乗る事にわたしの意志は揺るぎません(^.^)
それより、不肖わたしに呼びかけて頂いたのが嬉しく光栄でした。記事全体についても楽しく読ませていただきました。

この記事をまた批判している方々もいますが、そういうのはそちらにお任せするとして、わたしは共感した点を挙げてみます。
これはわたしも実際に欧州に住み、欧州文化に触れて実感した事ですが、

「日本は専業主婦・主夫をかなり優遇する仕組みを持っている」
「フェミニストは働く女性が云々の話はするが、世の中には働きたくないけどお金は欲しいという人が大勢いるってのが見えてない気がする」

欧米といってもわたしが住むアイルランドはまだ保守的で日本に近いので、専業主婦であるわたしがさほど生きづらさを感じることはありませんが、特に男女平等が進んでいると言われるスェーデン人のママ友がこんな事を言っていました。

「スェーデンではあらゆる福祉が整っていて、女性が出産するとベビーシッター補助も付くので働きたい人はいつでも働ける(1年間の産休を取るのが普通だと言う人もいます)から、女性でも働かないで家にいると「なんで働かないの?」と言われる事もある。自分は今、子供達と家で過ごすのが楽しいし、ここ(アイルランド)にいると、そういう空気がないから、すごくラク」

念の為、これは、いちスェーデンママ友さんが言っていただけで、スェーデン人の総意ではありません。
でも、男女平等を徹底すると、外で働くより家事や育児が好きな人が窮屈に感じる世界にもなり得るのが興味深いです。
わたし自身、今は必死で働く必要がなく、家事や子供のお世話をしながら自分の時間を持ってのんびりできる専業主婦と言う生き方に、とても満足していますが、ここで「男女平等なんだから、女も働け」という空気を感じたら、わたしは生きづらいと思うでしょう。

わたしは、フェミニズムとは、男女平等はもちろんですが、女性の権利や選択の自由を増やすことだと捉えているので、当然「専業主婦でいたい人の自由」も尊重されるべきだと思います。
ですが、現在のフェミニストには「専業主婦」を否定したり見下し、働いている女性をよしとする暗黙の空気の様な何かを感じてしまいます。それって、結局女性差別や選択の不自由さでは、と思います。
「専業主婦は旦那に何かあったり死んだら終わり、何も考えてないバカ」とあからさまに言う人もいますが、「働いている人も何かあったり死んだら終わり」でしょう。
どの様な生き方であっても、その人が選んだ生き方を、他人が勝手に気の毒がったり蔑むのはおかしな事です。
せっかく日本には、働きたいくない女性が優遇される面もあるので、そこについてまで否定しなくてもいいじゃないかと思います。
ですから、ひろゆきさんの、「なんでもかんでも欧米の真似をすればいいってものではなく、日本は日本の文化と生活習慣に会わせて取り入れていけばいいと思うんですよね。」と言う意見に同意します。

さて、ひろゆきさんの言っている事に怒るどころか共感部分が多いわたしが、ひろゆきさんがウンザリされている「フェミニスト」であり、それを名乗る事を止めようとは一切思っていないのが、我ながら不思議です。
今や悪いイメージしかないフェミニストを名乗る事になんのメリットもありませんが、わたしがもし、メリットの可否で何かを選択できる常識人だったら、そもそもまんこのアートをしていません。他人から見てデメリットでしかなくても、わたしがわたしである為にやっているのです。

ただ、ひろゆきさんが仰る通り、差別主義者の様なフェミニスト達の横行や先鋭化が非常に気がかりです。
特に、いち男性の単なる個人的な意見についても「有毒だ」と言い、人間を敵か味方でしか見れないフェミニスト(大学教授や学者に多い)が、これからの若者に「有毒」で心配です。
教育者なら、違う意見の人も尊重し共存していくにはどうしたら良いかを、若い学生達と一緒に考えてほしい
ものです。

この様なフェミニスト学者達の結束は強いので、どの様に対処していけば良いのか?
わたし一人では、正直どうしたらいいか分かりません。
ならばこそ、フェミニズムとは無関係な人や、フェミが嫌いな人達の意見をもっと聞き、時にはフェミニストが見えていない事を教えていただける様、わたし一人でも、対話を心がけていこうと改めて思いました。
閉塞したフェミ学者様達には何も届いていなくとも、ブログで思いを伝えたこの数日で、「ろくでなし子さんの考えるフェミニズムなら応援したい!」と言う声を沢山かけていただきましたから、何もしないよりは、ずっと効果を感じます。

遠いアイルランドにおりますが、スカイプやライン通話もできる時代です。フェミニズムに関わる問題での話し合いの場がありましたら、気軽にお声がけください。
よろしくお願いいたします。

髙崎順子さんとひろゆきさんのハフポスト対談コラムを「有毒」だと言う中部大学の玉田敦子教授にお伝えしたいこと

ハフポストでの、髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの炎上が続いている中、後編がUPされました。

これを読み、「前編よりもずっと良い」と言う人もいましたが、わたしは相変わらず前編の何が一体ダメなのか、さっぱりわかりません。だって、ひろゆきさんは質問に対して個人の意見を述べているだけですよね。むしろ、後編はやたら注釈が多く、ハフポスト編集部からもナゾの謝罪文があり、フェミニストの逆鱗に触れないよう、気を遣って慎重に慎重に書かれていて気色悪く感じました。
(よろしければ、わたしの前編ついての感想 と オマケも併せてお読みください)

フェミニズムへの思いを専門外の人が気軽に語ると、フェミニストに怒られる。
そしてメディアもそれに忖度する。
これでは、フェミニズムへの理解が深まらないのも当然です。
わたしはフェミニストの一人として、非常に情けなく思います。

怒って批判するにとどまらず、『一般の皆さんは読まなくていい』とし、コラムをまとめている髙崎さんに対して『後半(のコラム)で(髙崎さんがひろゆきさんを)論破されているならば、なるべく早く公開して解毒してほしい。有毒すぎる。』とTwitter上で要求するフェミニストの大学教授がいると知り、恐ろしくなりました。
中部大学の玉田敦子教授、この方のもとで学んでいる学生達の事を考えるとわたしは勝手に心配になって来ます。

思い出してほしいのですが、当コラムは、髙崎さんが『専門家でなくても、より身近な「私ごと」として、フェミニズムに触れられないだろうか』という趣旨でスタートした物です。なぜ、いちフェミニストの教授の意に沿わないだけで、有毒だと決めつけられ、相手を論破しないといけないのでしょうか?

髙崎さんは、これに対して丁寧に「有毒性とは何か具体的にご指摘を」と聞かれていましたが、玉田教授はこれに答えず「(ひろゆきさんという)相手を選んだご自身で責任をとられた方が良い」とのこと。DVモラハラの夫に責められた妻がどこが悪いのか尋ねると「自分で考えろ」と言う論法とそっくりで、わたしはますます怖くなりました。

わたしは同じフェミニストとして、フェミニストの学者である方がこの様な態度を取られている事を見るに耐えませんので、無駄とはわかっていても、玉田教授に以下の事をお伝えしようと思います。

今、フェミニストと言えば、一般人には「何か言えば攻撃してくるヤバい人達」というイメージになっています。異論反論を拒絶すればするほどヤバさ高まる一方です。これでは、フェミニストの意見や主張など、社会に通るはずもありません。
もしも教授が日本のフェミニズムの未来を真剣にお考えであるなら、どうかフェミニズムに無理解な人の話にこそ積極的に耳を傾けてください
わたしは「反論を受け入れ肯定しろ」とは言っていません。
世の中には、違う意見の人達がいる。それを知ることが大事なのです。
そして、教授が本当に教育者であるならば、違う意見の人も尊重し共存していくにはどうしたら良いかを、若い学生達と一緒に考えてほしいです。(丁度、髙崎さんも「フランスでは違う意見の相手を尊重しようと言う教育が徹底しており、日本でもその作業が必要ではないか」と当コラムで仰っています)

わたしの意見など、当然教授はガン無視されるでしょう。同じフェミニストからの反対意見であっても「聞かなければ、無かった事にできる」のです。
しかし、その様な態度こそ、「女子供の話なぞ聞かなくていい」と言って来た、我々フェミニストが敵対して来たはずの家父長と同じ態度ではないでしょうか。

つまり、今のフェミニズムに「有毒」なのは、玉田教授の様な閉塞的で不寛容な態度では無いでしょうか。

フェミニストを名乗る社会学者や人文学者の先生方には玉田教授のような思考の方が多く、もはや驚く事もなくなってきましたが、同じフェミニストであるわたしの思いを「無かった事」にはされたくありません。今まではTwitterでぶつくさ言っているだけでしたが、Twitterだと流れてしまってそれこそ「無かった事」になる。
ご本人には届かなくても、フェミニストの中にはこの様な考えの者が少なくともここに居る事を、一人でも多くの方が目に留めてくださる様、拙ブログに書き留めておきます。

*当該コラムに関するわたしの感想を書いた一連のブログ内で、髙崎順子さんの事を「高崎さん」と漢字を間違えて記述しておりました。お詫びいたします。

*こちらのブログに、玉田教授からご返信をいただきました。その件につきまして更新しました。併せてお読みください。


それでもわたしがフェミニストを名乗り続ける理由 (「#私たちのフェミニズム」を何がなんでもみんなで語らせようとしない閉塞したフェミニスト達に思う事オマケ)

昨日のブログでは、ハフポストでの髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの炎上について、思うところを書きました。
わたしは、多くのフェミニスト達が怒る理由について、ひろゆきさんが「女は男より生きやすい」と受け止めているところにのみ焦点を当て過ぎましたが、彼らの怒りはそこだけではない事と、またそれについては、わたしが以前からフェミニストを名乗る事にこだわり続ける理由にも関わってくる為、丁度いい機会なのでオマケとして追記したいと思います。

さて、ひろゆきさんはコラムの中で、要約すると以下の様に語っておられました。

“問題なのは、フェミニストには、「男女平等がいいよね、同じようにしたいよね」という平等主義者と、「女性の権利を増やしたい、そのために男性の権利を制限したとしてもいい」という差別主義者が両方いて、なのに同じ「フェミニスト」を名乗る為、二つがごちゃ混ぜになる、だから切り分けるか、どちら側も「フェミニズム」「フェミニスト」という言葉を使わずに「違うものだ」と言った方が、世の中に理解されやすいのでは?”

この考えにも猛反発する人達がいて、昨日からひろゆきさんの事を「sexist」だと決め付ける意味不明な人までいます。
わたしは、ひろゆきさんの、『フェミニズムやフェミニストという言葉を使わない方が良い』という結論には反対ですが、それ以外の事はほぼ事実なので同意します。
これにお怒りの人達は、自分達が差別主義者だという自覚があったのでしょう、実に素直な人達だと思いました。(彼らは、胸の大きな女性漫画キャラクター「宇崎ちゃん」を起用した献血ポスターが炎上した件について、ひろゆきさんの『「私が気持ち悪くない程度」という主観になってしまっている人が多い』という意見にも強い抵抗を感じている様です。)

実際フェミニストの中には、大雑把に分けると「男女平等を唱えるなら、女性と同じく男性の権利も対等に尊重しようとする人」と、「女性の権利を最優先し、男性や性的なものを嫌悪する人」がいて、主に後者は萌え絵や性的な表現物の規制を主張しています。
Twitterでは、数年前から後者の声の方が大きく、男女平等派のフェミニストで表現の自由を唱える人(わたし)の声はかき消されがちです。彼らの中には、男性の権利に言及しただけで「名誉男性」「ちんぽよしよし」などと罵る者もいます。
そして「フェミニスト」と言えば、残念ながら、共感や賛同以外は求めない男性嫌悪者達の拒絶と攻撃スタイルによって、かなり悪いイメージになってしまっています。

そんな中でフェミニストを名乗るメリットは、正直、全くありません。事実、わたしは長らく表現規制派と勘違いされ、表現の自由を主張する人達から「クソフェミ」と罵られて来ましたし、そうではない人達からも、「フェミ怖い」と言われ続けています。

フェミニストを名乗っていても良い事が無いから辞めよう。
そう何度も思いかけました。だけどこれ、わたしのアートのテーマである「まんこ」と同じなんですよね。
「まんこ」には、嫌らしい、汚らわしい、卑猥なイメージが染み付いてしまっていますが、わたしはそのイメージを覆す為、まんこを楽しくて、面白くて、笑える作品に変えて来ました。
過去には、まんこという名前そのものが悪いイメージだから新しい名前に変えようとする動きもあり、埼玉県の教育委員会は「おぱんぽん」、フェミニストの北沢杏子さんが「われめちゃん」と名付けたりしましたが、いずれも定着しませんでした。
名前を変えても定着しないなら、わたし一人でも言い続ける事で「こんな面白いまんこも有るんだ」と分かってもらえる様、地道にやるしか無いと思ったから、ここまで「まんこ」にこだわって来たのです。

「フェミニスト」も、その名前を捨てようと思えば簡単ですが、まんこ(女性の身体)の自由を語る時、わたしにはフェミニズムと分けて考える事はどうしてもできない。結局フェミニズムが関わって来るのです。
だったら、わたしの様なフェミニストもいたって良いし、その為にも地道に自称し続けるしかありません。
「お前なんかフェミじゃない」と男性嫌悪者のフェミニストからも言われる事もありますが、自分で名乗る以上、誰にとやかく言われる筋合いがあるのでしょう(だからわたしは、彼らも自分達をフェミニストと自称している以上、否定したくないのです)。

これがわたしがフェミニストを名乗り続ける理由です。

*髙崎さんとひろゆきさんの対談コラム後編がアップされました。そちらについても感想ブログを書きましたので、よろしければご覧ください。

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「#私たちのフェミニズム」を何がなんでもみんなで語らせようとしない閉塞したフェミニスト達に思う事

フェミニズムを扱う新しい企画の記事が、掲載初日から燃え上がっています。

#私たちのフェミニズム 」をみんなで語ろう。と言うタイトルの、その対談コラムは、ライターの髙崎順子さんが、『もっとフラットに「フェミニズム」を語る機会はないだろうか。専門家でなくても、より身近な「私ごと」として、この言葉に触れられないだろうか』と考え、そこで、『性別、年齢、立場を超えて、フェミニズムに対するそれぞれの語り手の思いをなるべくそのまま連ね』ようとする趣旨でスタートし、記念すべき第一回の対談者は、2ちゃんねるやニコニコ動画を立ち上げた西村博之(ひろゆき)さんでした。

おそらくお二人ともフランス在住の為会いやすかったのもあるかと思いますが、コラム趣旨通り、敢えてフェミニストの専門家ではない人であり、かつ、インターネットと言う情報社会で新しいコンテンツを生み出して来た第一人者であるひろゆき氏にフェミニズムについて意見を聞くのは、わたしは画期的だと思いました。なぜなら、SNSの発展で急速にフェミニストを名乗る人たちが増えた事からも、もはや個人の発言がネットとは切り離せなくなっていると思うからです。

ひろゆきさんは、ニュース記事の煽り文句にもある通り、『男女平等を実現したいのであれば、今の日本では「フェミニズム」って言葉を使わないほうがいい』と言う、フェミニストのわたしにとっては挑発的な意見で、そこについては個人的な思いがあるので賛同はしませんが、そう言う意見もあるのだと知れた事は良かったです。その他の内容についても、情報社会を見渡しているひろゆきさんの一意見として、フェミニストであるわたしは興味深く楽しく拝見しました。

しかし、このコラムが多くのフェミニストの逆鱗に触れたらしく、批判のツイートが沢山流れていました。「フェミニズムは男性に理解してもらわないと広まらないとか(中略)うんざりなんだよ。(中略)そんな交渉のテーブルにはつかないよ」と激しく拒絶するフェミニストのツイートに、何千件もイイネがつく程で、わたしは呆気に取られてしまいました。

怒っている人達は、ひろゆきさんの『僕は専業主婦の家庭で育っていて、「女の人が働かない」ことがいかにラクか見えていました』
『女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない。けど男性はイケメンでも二十歳過ぎたら仕事ができないと行き詰まる 』
と言う発言に主にお怒りの様です。

これらは単にひろゆきさんの私見であり、ひろゆきさん個人の目に写った世界です。が、中にはたったこれだけのことで「ミソジニー(女性嫌悪)だ!」と怒り狂う人もいて、毎度のことですが、なぜそうあなた達は湯沸かし器より沸騰しやすいのか、とため息をついてしまいます。一部のフェミニスト(今やネットではかなり多数派かも知れません)が、「女は男より生きづらい」とし、少しでもそうでない事を言う人を攻撃する姿をTwitterではよく見て来たので、同じフェミニストとしてわたしこそ「うんざり」する思いです。

わたしは、「男と女、どちらが生きやすいか?」と聞かれたら、「どちらにもそれぞれ違う種類の辛さと楽しみがある」としか言えませんし、「性別は関係なく、年齢やその時の状況によって意識も変わるもの」だと思います。
わたし自身、若い頃は若いだけでチヤホヤされ、就職しなくても誰にもとやかく言われず、当時は「女ってラクだな」と感じていましたが、年を重ねるごとに、BBAと呼ばれて急に低い扱いを受けたり、嫌がらせやセクハラも増え、特に低収入のフリーランスで独身時は新居を探すのも大変で、「女って生きづらい」と感じる様になりました。
さらにその後、結婚して専業主婦になったら、また意識が変わったのです。
今までの様に必死で働かなくても暖かい家でご飯を食べられ、家の中で創作活動や好きなことをしながら家族と過ごせるのは、わたしにとってとても幸せな事です。同じことを男性がしていたら、「男なのになんで働かないで家にいるの?」という世間様の圧力を感じたかもしれません。丁度今はひろゆきさんの思い出の中のお母さんと同じ立場かもしれません。
この先、もしかしたらまた状況が変わって「女って生きづらい」と思うかもしれません。結局、性別と言うよりも、個人の状況や価値観次第で変わるものなのです。

勿論、専業主婦と一口に言っても、夫が妻に協力的ではないとか、お金を入れないなど経済的に苦しめたり、言葉の暴力、実際の暴力をふるう場合もあるかもしれませんし、みんなが全てわたしの様に幸せを感じているなどとは思っておりません。経済的には自立していませんから、そこに強い不安を感じる人もいるでしょう。
ですが、現に、わたし自身は幸せで、「女であるラクさ」も感じるのは嘘ではなく、「ラクそう」に見られることの、何が一体ダメなのか、さっぱり分かりません。
女性の権利拡張や自由を目指すフェミニストなら、「生きやすい」と感じる女性が増える事こそ望むべきなのに、意味不明
です。

改めて、この対談コラムはフェミニズムの専門家ではない人達にも広く語り合える場にする事を趣旨としているので、対談相手を全く間違えてはいませんし、1話1話で必ず良い結論を出す義務もありませんから、髙崎さんに「ああしろこうしろ」と完璧さを求めるのも筋違いでしょう。
わたしは今後も、もっともっと、なんならフェミニストから嫌われているような人との対談をやって欲しいと思い、楽しみにしております。
なぜなら、わたしは、女性の権利や自由について改善したいなら、人口の半分が男性である以上、男性にも話を聞いてフェミニズムへの理解を深めるべきだと思うからです。

しかし、ほとんどのフェミニストの人達は、あいも変わらず共感や賛同しか求めず、異論や反論は拒絶していくスタイルです。わたし自身、同じフェミニストを名乗る人達から文字通り「ブロックで拒絶」されている有様です。フェミニストが頑固で偏屈で怖い人達のイメージに根付いてしまったら、結局「あの人達には触れないでおこう」と誰も相手にしないタブーな存在となり、ますます先鋭化してヤバイ人達になっていくでしょう(もう十分そうなっているみたいですが)
わたしは、フェミニストの一人として、今のフェミニストが自分達を客観視できなくなっている状況を強く危惧します。
そして、この対談コラムについても、媒体であるハフポストさんが、多くのお怒りのフェミニスト達に忖度して今後の対談相手をフェミニストが気に入りそうな相手に偏らせたり、あるいは連載自体を早々に終了する事がない様、強く望みます

(こちらで書き足りなかった話を更新しました→ それでもわたしがフェミニストを名乗り続ける理由 (「#私たちのフェミニズム」を何がなんでもみんなで語らせようとしない閉塞したフェミニスト達に思う事オマケ

胸の大きな女性を起用した広告を「性的だ」と批判するフェミニストを称する人達は、「ふしだら憲兵」に名前を変えていただきたい

それは、昨年の日本帰省事、大好きな岩井志麻子先生や、人気ライターの中川淳一郎さんなど、仲良くして下さるいつものお友達でお食事していた時の事。
その後もご予定があって途中退座しなければならない中川さんが、お金を多めに置いて行かれようとされました。その金額は、皆で割り勘にしても中川さんが払いすぎな額の為、当然他の皆はお返ししようとしましたが、気前の良い中川さんも絶対に譲らない。
そんな時、とっさにクリ出たしまんこ先生の行動が、実に艶やかでした。
「見てください!」と、いきなり上着をめくり、右側の胸を中川さんに見せるしまんこ先生。
更に、左側の胸も出し、「これ、一つ5000円ってことで、両方合わせて1万円ってことで!」

中川さんに対し、せめて何かでお礼をしたい気持ちが「おっぱい」と言う、しまんこ先生ならではのユニークさで、気まずかったその場は大笑いの渦と化し、中川さんも気持ちよく(?)お帰りになる事ができました。
なんならわたしも、「追加オプションです!」と言って、まんこをお見せしようかと思いかけましたが、流石に冗談の度が過ぎますしお店にも大迷惑になります。やはり「おっぱい」のほどほどさが丁度良く、しまんこ先生は流石だなぁと感動した出来事でした。
(このエピソードは中川さんも記事にされています。岩井志麻子氏『5時に夢中!』発言の裏側 当事者の思いは?|NEWSポストセブン)

なぜその話を思い出したかと言いますと、最近、茜さやさんという胸の大きなモデルさんのフリー素材を起用した転職広告サイトが「転職とは関係なくて不適切だ!」と、なぜかまたしてもフェミニストを称する人達がtwitterで大騒ぎしているからです。
女の「おっぱい」は、差し出す人によっては上記の様な面白エピソードにもなれば、「性的だ!」と怒られる恐ろしいモノになるのです。しかも、問題の広告画像の茜さんは着衣で、裸にもなっていません。ただ「胸がデカい」という、女性によってはごく自然な事で騒がれているのです。

批判者達の怒りは、「転職と関係ない女性の胸を強調して客を釣ろうとしている」にとどまらず、「売れてるタレントならこんな仕事はしない、このモデルは大きな仕事はもらえないはず」「やらかした」などと、茜さん本人に対して直接向けられました。
これでは、企業側も騒ぎを恐れ、今後広告で胸の大きな女性モデルの起用を避ける様になる。つまり、胸が大きな女性が職業差別にあったり、自身の体を恥じたり悪いものだと思わされる事になります。
フェミニストなら、そこは「女の胸がデカくて何が悪い!」と怒るべきところ
わたしは強い憤りと共に、非常に申し訳ない気持ちになりました。

茜さやさんご本人は、実に立派な方で、おかしな批判にも怯まず毅然と対応されている為、返ってこの機に好感度や人気が高まった様で、そこだけは幸いな事でした。
ただ、茜さんを擁護する人の中には、「彼女は単に胸が大きいとかではなくて、他の努力で頑張って来たのだ」と言う方もいましたけれど、わたしはこれにも少々疑問です。
顔が良い人やスタイルが良い人がそれらを誇示する様に、胸が大きい事をチャームポイントとしてアピールしたとして、一体何が悪いのでしょうか。
とにかく、多くの人は「性欲は悪い事」が前提で、「肉体は精神に劣る」と言う思い込みが強過ぎる様に感じます。人の見た目は努力だけでは絶対に得られないものなのに(もちろん、茜さんご自身が、「胸だけじゃない、努力でここまでやって来たのだ!」と仰るのなら別の話です)。

周知の通り、わたしはまんこのアートを作って日本の警察に「ワイセツだ」として逮捕されました。しかし、「わたしのまんこはわたしのもの」ですし、「わたしにとってはいやらしいものではありません」。
もちろん、多くの異性愛者の男性にとって、まんこは欲望の対象でしょう。しかし、それの何が悪いのでしょうか。性欲は人間に備わった自然な欲望です。本人の許可なく勝手に触ったり乱暴したなら犯罪ですが、内心でなら、誰でも何かを欲望する自由はあります。
ですから、「わたしのまんこはワイセツではないし、ワイセツで何が悪いのか!?」と警察と闘って来ました。

話を戻します。
茜さやさんの様な、胸の大きなモデルさんやその広告を非難するフェミニストを称する人達に、わたしは言いたい。
なぜあなた達は、警察がわたしにしたのと同じ事を女性にしようとするのか。
女性の体はその人のもの。他人が管理するものではありません。
人が誰かの体を見て興奮したり、それらを誘発する事がどうしても許せないなら、平等に男性アイドル、マッチョな韓流アイドル、男性タレントや俳優にも、仕事を降りていただきましょう。誰が幸せかわかりませんが。
それでも自説を曲げない方は「ふしだら憲兵」に名前を改めるべきで、フェミニストを名乗らないでいただきたい。

わたしは、フェミニストとして、おっぱいを持つ女性の一人として、しまんこ先生ほど突き抜けた笑い話に変える事はできなくても、それを皆が必要以上に怒ったり不安になったり怖がったりしない世界を強く望みます。

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