続・あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の展示中止騒動と再開催について

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の展示に、脅迫や抗議が相次ぎ、展示3日で中止に至り、その他の海外からの参加作家達も相次いで抗議の不参加表明をしていましたが、本日10月8日、晴れて展示再開となったそうです。
いち表現者として、わたしも喜ばしく思います。おめことうございます。

ただし喜ばしい反面、絶対に納得がいかない事があります。

わたしは以前、本展示の中止について、このような意見をブログに書きました。あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」展示中止騒動について

運営側のクレーム対策不十分さへの批判と、これはクレームに怯えた運営側が自主規制しただけで、逮捕者もおらず、国や警察から強制撤去もされていないので、「戦後最大の検閲」とする報道はおかしい、と述べました。

今でも、あれは単なる自主規制だったと思う気持ちは変わりません。
が、文化庁があいちトリエンナーレへの補助金不交付を決定したのであれば、それは経済的に芸術家や美術館側を追い込む形となる為、「国が国民の表現に介入し検閲した」と言っても過言ではなくなりました

今後、県立、国立美術館は国から補助金が降りなさそうな展示はせずに、無難な展示ばかりになるでしょう。

文化庁が補助金不交付にしたのも、「展示内容の是非が不交付の理由ではない」と強調しながらも、交付審査に必要な情報の不申告で「手続き上の不備」という曖昧な理由では納得がいきません。安全面の確認が足りなかったのはわたしも同意ですが、本当に運営がそこまで予期していなかった事態を後から責めるのは理不尽です。これをOKにしてしまったら、一度決めた補助金交付を国の後だしジャンケンでいくらでも無かった事にできます。
わたしは文化庁の仕打ちに強く反対します。

このような意見を Twitterで呟いたところ、表現の不自由展を嫌悪する人達から沢山の反論が来ました。曰く、「不愉快な表現になぜ国民の税金を使わねばならなのか」、「国を批判する表現をしている芸術家が国から金をもらうなどみっともない、自分の金でやれ」
まるでわたしも国から補助金をもらって制作して来たかのように勘違いし、わたしを乞食呼ばわりしている人もいましたが、一言言っておきます。

逮捕もされたわたしのまんこアートに国が補助金なんて出すわけないだろボケ!


わたしではなく、これからの日本の芸術家達を支えてあげようと言っているのです。芸術家も遊びではなく仕事で作品を作っています。何かを作ったら対価を得るのは当然です。会社員が給料をもらうのと一緒です。
また、補助金があれば助かるのは芸術家だけではありません。美術館側も補助金があれば入場料を安くできますから、日頃芸術に馴染みのない人や子供達でも気軽に芸術に触れる事ができるのです。
それに補助金(助成金)は芸術家しかもらえないと勘違いしている人もいるようですけど、あなたも何か発表したいことがあれば、国に申請する事はできるんですよ。なぜ、自らの楽しみを奪おうとするのか。なぜ、大人なのに未来ある若者を支えるどころか足を引っ張ろうとするのか、わたしにはそちらの方が見苦しい事です。

と言うと、「あんなものは芸術ではない、ただの無駄」と言う人がいます。

そもそも皆さん分かっていないようですが、芸術とはなんの役にも立たない無駄なものです

それを見ても空腹は満たされませんし、お金ももらえません。ですが、何かを見て感動したり、物事を深く考えるきっかけとなる思考体験があれば、生活はより豊かになるでしょう。なくても生きていけるけど、あった方が楽しい物。芸術とはそういうものです
また、表現の不自由展には、確かに保守的な人の感情を逆なでするような表現もあります。天皇の肖像を焼く動画作品(ちなみにこの作品の背景には、作者である大浦信行さんが海外滞在中に自分のアイデンテティを考えた結果、自分のルーツである日本、それを象徴した昭和天皇をコラージュ作品にして富山県美術館で発表したところ、美術館が作品を非公開にし図録を焼却した事件がベースにあると思われます。むしろ素朴な愛国心を表した作品を国によって弾圧された皮肉を表現しているのです)や、慰安婦問題の象徴となってしまった少女像など、不愉快に思う人達が一定数いるのはわかります。

ですが、あらゆる表現物は、意図せず誰かを傷つけます

たとえそれがモネの睡蓮シリーズのような誰もがうっとりする美しい作品であっても、それが好きだった恋人や家族を失った人にとっては悲しい気持ちを連想させるから見たくない作品となるでしょう。かわいい動物や赤ちゃんの動画も、それを失くした人には残酷な動画となります。天気の話ひとつを取ってもそう。「いい天気だなぁ」となんの気なしに呟いても、地球の裏側で被災している人にとっては腹立たしい呟きになりうるのです。
また、表現の自由とは、その内容や見た人の感想を問わず、あらゆる表現を守るものだと思います。むしろ多くの人から支持されない表現をこそ守らなければ「あらゆる表現を守る」の根底が崩れてしまいます。
仮に、見た人が快・不快かで判断されるべき事になったなら、その基準は誰が決めるべきなのか?
大きな国や組織の判断に委ねるしかないでしょう。
そうなると、国や組織や権力のある人が気に入らない個人を恣意的に潰すことも簡単になってしまいます。

この観点からすると、あいちトリエンナーレ側が「SNS禁止」にしたり、展示再開にあたっても「30分の教育を受けた人のみ、制限制で」と決めた件にも物申さなくてはなりません。大村知事は、「SNSのせいで拡散された、だから禁止にしたのに」と言っているようですが、イベントがあればSNSで拡散されるのが一般的な今の時代にわざわざ隠そうとするから返って不信感を募らせる人達を呼び寄せたのですよ。また、教育を受けなければ見られない芸術作品とは、なんとバカげた発想ですか。反論を恐れ、理解できる人しか見るな、と言う人達の催す芸術展に、一体なんの意味があるの?
わたしは以前もブログに書きましたが、あいちトリエンナーレを仕切るエラい人達は、どうしてこうもへタレなんでしょうか。

日本では、局部を隠していないワイセツ表現以外なら、かなりおおらかに表現の自由が守られて来ていました。しかし、今回の補助金不交付で、ワイセツだけでなく、政治的な表現も規制されるようになってしまいました。
この先、どんどんと、あれもこれも駄目というケースが増えて行くでしょう。

日頃、まんこをれんこし、ヘラヘラとふざけて来たわたしですが、日本の表現の自由がまたひとつ閉ざされた為、この記事に笑いのオチをつける事すら出来ないのが残念でなりませんこ。
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